瞑想会の場所の近くで。雨上がりに映えるあじさい |
昨年の秋ごろから、月に一回、神奈川の伊勢原にある「ゆとり家」さんで、「一日瞑想会」に参加させて頂いています。(ゆとり家HP https://www.yutoriya.net/)
瞑想には色んな種類がありますが、ここで実践しているのは「マインドフルネス」をベースとした瞑想。
マインドフルネス瞑想とは?
マインドフルネス瞑想とは、「今、ここ」を深く生きるためのメソッドです。大人になればなるほど、「将来どうしよう」といった不安や、「あの時は、ああすればよかった」という後悔に捉われることが多くなると思います。
特に、仕事や家族関係で不安や苦しみを抱えている場合、一人で静かな時間を過ごしていても、常に苦しみや不安が頭の中を駆け巡り、落ち着くことができず、さらに消耗して問題に対応ができなくなる、という負のスパイラルに陥りがちではないかと思います。
僕自身も、会社勤めの時代、休日に地方を旅していても、「あの仕事、まだ終わっていない。どうしたらいいんだ」という悩みが湧きあがって、美しい景色が目に入らず、帰りの電車で心配が募り頭痛になることがよくありました。
でも、大体、将来の不安などが湧きあがる時というのは、実際に困難に直面しているその時よりも、一人でいたり、別の作業をしていたりする時だと思います。
マインドフルネス瞑想とは、そうした中で、「今、ここ」に気付き、今向かい合っているものに集中する練習です。
今の自分にあるのは、鼓動している温かい心臓。
今の自分に聞こえるのは、鳥の声。
今、ここで触れているのは、涼しい風。
今、ここに生きている自分の命や、世界が存在する奇跡に気付くことで、生きる喜びを取り戻すこと。
そして、困難に向き合うエネルギーを得ること。
それが、マインドフルネス瞑想の目指すところです。
(「目指す」という表現には多少語弊があるのですが、それはまた、別途書きたいと思います)
マインドフルネス瞑想は、ベトナム出身の禅僧、ティク・ナット・ハン氏が、仏教の教えを現代的にアレンジした瞑想方法です。
ティク・ナット・ハン氏は、1926年生まれ。仏教僧としてベトナム戦争時に平和運動に携わり、それがかどで国を追放され、以後、フランスや米国を中心に仏教の教えをベースにした心と社会の平和の創り方について教えを広めています。
欧米では、ダライ・ラマと並んで有名で、例えば、世界銀行のジム・ヨンキム総裁などもハン氏の瞑想会に参加しているそうです。
マインドフルネス瞑想の特長として、仏教の深い哲学を基盤にしながら、日常的な場面に即した実践的な技術が多い(イライラしている時に己を見つめるなど)ことが挙げられます。
また、基本的に「自分と向き合う」ことが重視されるので、「●●をしなければならない」という強制感がないのもポイントだと思います。
苦しみや不安との向き合い方
ちょうど昨日参加した瞑想会では、ティク・ナット・ハンのマインドフルネスを通して苦しみや不安とどう向き合うか、というテーマで話を聞きました。半ば自分用のメモですが、共有できればと思います。(もっとも、覚えている内容を自分なりの解釈で書いたものなので、語弊があれば申し訳ありません。。)
1、苦しみや不安を抱えたままでも、私たちは世界の美しさとつながることができる。
僕たちの心と感情は、まるで空と雲のような関係にあります。
空には、さまざまな感情の雲が浮かんでいます。怒りの雲、悲しみの雲、不安の雲、苦しみの雲、喜びの雲・・・・・
ある感情が強いと、その雲で空は覆い尽くされてしまいます。
そして、その感情をどうにかしなくては、と気を取られ、心が心配事で塗りつぶされます。
その一方で、苦しみや不安に向き合うのは、とても体力のいることです。心が乱れている状態では、場当たり的な対応をして、余計に事態が悪くなる、ということもあります。
(例えば、仕事が忙しくてイライラしている時、何か別の厄介事が持ち上がって、怒鳴り散らしてしまい、周りとの関係が悪化する、など)
僕が参加している瞑想会では、最初に、身体を緩める瞑想をしてリラックスをします。
リラックスをして、今・ここにある自分の命、そして自分を取り巻く世界に対する感受性を高めることが、苦しみや不安に、冷静に向き合う第一歩となるからです。
昨日の法話では、アン・フーンさんというティク・ナット・ハンのお弟子さんが、「私たちは苦しみを抱えていても、朝日の美しさや、風の気持ち良さとつながることができる。
むしろ、苦しみに向き合う前に、そうしたものにつながり、自分を癒さなければならない」とおっしゃっていました。
2.苦しみの原因と深く向き合う。
心を落ちつけた上で、苦しみや不安の原因に深く向き合います。
苦しみや不安の原因というのは、複数の要素が重なりあっている場合が多いと思います。落ち着いた心で、これを一つ一つ解きほぐし、解決策を考えていく作業が必要です。
この時に大切なのは、苦しみを、早急に何かの形にあてはめようとしないこと。
「こうあるべき」という考えが先にあって、それに基づいて苦しみや不安を解釈しようとすると、自分を別のもので縛り、別の苦しみを生み出す恐れがあります。
(これは「自分自身に対する暴力」と言いかえることができるかもしれません)
うつ病などになる人の多くは、例えば「社会的なノルマに合わせられない自分はダメな人間なんだ」「自分には幸せになる資格はない」と考え、「だから自分がもっと頑張らなければいけない」という形で解決を図ろうとすることがあると思います。
そうした「こうあるべき」論によって、自分を縛り、自分の苦しみを増幅させている場合が往々にしてあると思います。
マインドフルネス瞑想の基盤となっている仏教の目指すところは、苦しみの存在を認め、そして苦しみをなくすこと。本当に自分を苦しめているのは何なのか、それが自分や周りの人にとって本当に必要なことなのか、深く省察することです。
こういったことを、落ち着いた心でじっくり取り組むことが必要です。
「20代で仕事がないのと、30代で仕事がない時の悩みの深さはまるで違う。だからこそ、自分を見つめるよい機会となるのでは」
昨日の瞑想会で、ある方から、そんな風に励まされました。
正直なところ、将来の不安で自分の心が一色に塗りつぶされていたな、と感じていたので、とても今回の内容は、とても深く感じられました。
<一日瞑想会の内容>
ちなみに、一日瞑想会では、こんなことをやっています。
・体を緩める瞑想(寝っ転がり、緊張を抜いていく。途中で寝てもいい)
・法話を聞く(ワシントン在住の、ティク・ナット・ハンのお弟子さんとスカイプでつなぎます。英語だけど、通訳付き)
・食べる瞑想(15分間、沈黙で食べる。食べものがどこから来たのかを想像し、感謝するとともに、一口一口しっかり味わう。15分が過ぎた後は、おしゃべりOK)
・歌う瞑想(マインドフルネスの思想を短い言葉で表現した歌を歌う)
・歩く瞑想(近くの山道をゆっくり歩く。一歩一歩、まるで大切な場所に帰りついたかのように、大切に歩く)
・他の参加者との感想のシェア(自然と、話したい気持ちが自分の中に湧きあがってくるのを待つ。逆に、黙ったままでもいい)
0 件のコメント:
コメントを投稿