僕たちはどうすれば幸せになれるのか 1:『サピエンス全史』(5)

2017年7月23日日曜日

読書

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8年前にフィリピンに行った時に会った子どもたち。一緒に遊んだ

アジアやアフリカなどの途上国に行く人からは、よく、「途上国の人の方が、日本人よりも幸せに見えることがある」と聞くことがあります。

確かに、自然に親しんだり、コミュニティーを大切にする生き方を今でも続けている彼らの方が、人間関係が希薄にな都会で暮らしている人間より幸せに見えるというのは、あることだと思います。
(南スーダン、フィリピンのミンダナオのような紛争地帯もあるほか、途上国でも都市部は犯罪が横行しているので、こう見えるのは、もちろん、途上国の一部の地域だと思いますが)

こういう時、「先進国はdeveloped country、つまり「発展した国」と言われるけど、果たして発展は、人間を幸せにしてきたのだろうか」。そんな疑問が湧いてきます。

農業を始めたことで、人類は繁栄したが、

一人一人の人間は、より不幸になった


『サピエンス全史』でも、いくつかの点で、文明の進歩に対して、疑問を投げかけています。

一例を挙げると、約1万年前に起きたと言われている、狩猟採集時代から、農業時代への移行。

人類は、数百万年にわたり狩猟採集生活を行ってきましたが、約1万年前くらいから、地球上のあちこちで植物の種をまいて穀物を栽培したり、家畜を育てる生活が始まったと言います。

これによって、チグリス・ユーフラテス文明をはじめ、各地の文明が誕生しました。
なぜなら、小麦などの穀物を蓄えれるようになることで、食料を得るためだけに全ての時間を注がなくてもいい層が生まれ、文化的な活動(職人的な仕事も含め)を行う時間が生まれたからです

ですが、『サピエンス全史』の著者、ユヴァル・ノア・ハラリは、「狩猟採集時代に比べて、農業革命後の人間は不幸になった」と主張しています。

狩猟採取時代、人間は、野山にあるさまざまな食べ物に頼って生きてきました。
さまざまな食べ物を栄養バランス良く採ることができ、ある食物が不作の年でも、別の食物を頼ればいいことから、飢饉になることも少なかったと見られています。

一方で、農業を始めた後、人間は、得られる食べ物の総量を増やし、人口を飛躍的に増やせるようになりました。

しかし、数少ない品種の食べ物に依存するようになったために、飢饉も頻発するようになりました。(飢饉が頻発したのは、そもそも人口が増えたためでもある)

さらに、農業で穀物を作れるようになってから、「財産を蓄える」ことが可能になりました。それに伴って、「相手の財産を奪う・搾取する」といったことや、人々の間の貧富の差も拡大していきました。

農業を初めてから、人口自体は増え、人類は、種としてはより繁栄していると言えます。
しかし、一人一人の幸・不幸を見ると、むしろ不幸な人の方が増えたということです。

(この、「人類の種としての繁栄」と「人間一人一人の幸せ」は異なるという点は、とても大事なポイントだと思います)

文明の進歩は、果たして価値を持っているのか。それを考える上で、『サピエンス全史』では第19章に「文明は果たして、人間を幸せにしたのか」と銘打ち、「人間はどのような条件があれば、幸せになれるのか」について、考察しています。

結論から言うと、この問い掛けに対する答えは本書では提示されていないのですが、ただ、ハラリが示している幸福のメカニズムに関する考え方は、とても興味深いので、ここで記しておきたいと思います。

(長くなるので、いったんページを変えます。続きはこちら

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