2017年11月26日に山梨で鶏の屠殺体験をさせてもらった時の記録です。
前回の記事はこちら:
気持ちが悪くなる方は、無理に見ないようにしてください。
この日は、10人弱の参加者が3チームに分かれ、各チーム1羽ずつ、鶏をさばいた。
各チームの代表者が、まず鶏小屋に入り、それぞれ1羽を選んで連れ出す。
2年前に初めて参加させてもらった時には、鶏を捕まえるのに随分時間がかかった。(たしか、逃げ惑う鶏を小屋の端に追い詰めて、捕まえたように記憶している)
だが、今回はどのチームもスムーズに鶏を捕まていた。
加藤さんの家の鶏では、おとなしい性質の鶏を選んで交配させることを繰り返しているため、2年前の鶏よりも、今回のほうがおとなしい鶏が多かったのだろう。
鶏を作業台に持ってきて、皆で机に押さえつける。
首だけ、作業台から垂れるようにして。
鶏の屠殺方法はいくつかあるようだが、僕たちはこの日、カッターナイフで頸動脈を切る方法を使った。
僕は、この、頸動脈を切る作業をやらせてもらった。
その左右に、頸動脈が一本ずつ付いている。
「命を奪う」ことに対する、本能的な恐れなのか、ただ不慣れな作業をする際の緊張なのかは分からないが、胸の内から熱いものがこみ上げ、少し吐きそうになった。
そして喉元を触りながら、頸動脈の場所を探る。
その表情は、人間そっくりだった。
頸動脈はなかなか見つからず、首のあちこちを指でつまむ度に、鶏は苦しそうな顔をした。
やがて、意を決して、「えいや」と、それらしい箇所をナイフで切り裂いた。
ばっくりと裂けた首から、赤黒い食道がのぞくのみだった。
再び喉元を探り直して、ようやく片方の頸動脈を切ることができた。
ただ、それだけでは十分な血が出なかったので、もう片方の頸動脈を探し、さらに数回、喉元を切り裂いた。
すると、どっと血がこぼれ落ち、作業台の下に生えていた草と、僕の手を赤く染めた。
そこからは、鶏の「命の火」が消えていくのが分かった。
血が抜けていくにしたがって、鶏の目はゆっくりと閉じられていく。
しばらくすると、口から黄色い胃液が垂れ、肛門からは糞が漏れ出た。
それから1〜2回、「バタっ」と身震いして、がっくりと首をたれた。
身体の温もりが、徐々に消えていくのが分かった。
首を切り落とした時に感じた「生き物から食べ物への変化」
鶏が完全に死に、血抜きが終わった後は、鶏を60〜70度くらいのお湯に浸け、羽毛をむしっていく。
(お湯に浸けると、毛穴が開き、羽毛が抜けやすくなる)
そのため、3人がかりで10分近くかけて、徹底的にきれいにした。
薄い黄色の地肌が現れると同時に、「食べ物」としての肉々しいしい匂いが、鶏の全身から立ちこめた。
それから、再び鶏を作業台に置き、ナタで首を切り落とした。
(一撃ではうまく切り落とせないグループもあった。僕自身はこの作業をやらなかったが)
「生き物が食べ物に変わった」
と感じたのは、この瞬間だ。
「生き物と食べ物を分けているのは、しょせんは外の皮や顔くらいしかないのかもしれない」と感じた。
食べ物への加工:内蔵の除去
この後からは、鶏の身体の解体に移っていく。
まずは、足を取る作業だ。
足の関節を逆側に折り曲げ、筋をナイフで切ってから、もも肉を外す。
個人的には、この足の関節を折り曲げる作業をする時、自分の足の関節にも痛みが走るような感覚を覚える。
鶏の足の形や関節のつき方は、人間とも多少似ているせいなのだろう。
(前に、埼玉県の猟師の方のところで、鹿肉の解体を体験させてもらったことある。
その時も、鹿の肋骨を折る工程があるのだが、やっぱり、自分の肋骨を暴力的に折られているような痛みを錯覚した)
内蔵の構造はそれなりに複雑な上、変な箇所を切ると、消化中の食べ物や糞が肉にかかって食べられなくなってしまう。
慣れない身にとっては、かなりの重労働だ。
前日の寝不足もたたり、作業を続けていると、あくびが出てきた。
「早くご飯にならないかな」などと、他人任せな気持ちが顔をのぞかせてくる。
11時過ぎから始まった作業が終わった時には、すでに13時を過ぎていた。
それから、たった今さばいたばかりの鶏の肉で、焼肉を行った。
冒頭の厳粛な「命をいただく」という感覚は薄まり、満腹したことによる満足感がこみ上げてきた。
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