ベジタリアン生活を1週間してみて感じたこと

2018年6月9日土曜日

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このブログで以前、鶏の屠殺や狩猟関係のイベントについて書いたことがある。

肉を食べることに関する整理のつかない感情:鶏の屠殺体験(1)
ガンと向き合う狩猟家・幡野広志さんの写真展「いただきます、ごちそうさま。」に行って

 そのときに触れたのだけど、「生き物を殺して食べる」ことに対して、自分の中には、子どもの頃から整理のつかないわだかまりがあった。

日常の惰性に流され、正直、これまで深く考えることはなかったのだが、ここ最近、自分の生活を見つめ直したいという思いが高まってきた。

そんな折、体調をふくめ「このタイミングだ」という流れがきたこともあり、6月2日〜8日、「ベジタリアン(ヴィーガン)ウィーク」をやってみることにした。

「ヴィーガン」と「ベジタリアン」の違いすら知らないまま勢いで始めたため、結果的にヴィーガン的な食生活になったのは後半3日間だけだったけれど、その中で感じたことを書きたい。

※ベジタリアンとはさまざまなタイプの菜食主義者の総称。ヴィーガンは卵や乳製品を含む動物性食品をいっさい口にしない「完全菜食主義者」。こちらの記事に違いが詳しく説明されている。
今さら聞けない、ビーガンとベジタリアンの違い!


ベジタリアンウィーク:

誤って動物由来の食品を口にしたりも

弁当。にんじん・大根・生姜・しめじ・ひじき・わかめ・大豆を入れた玄米の炊き込みご飯に、厚揚げも付けた

自分はふだん、玄米の炊き込みご飯のほか、カルビーが販売しているシリアル「フルグラ」や、コンビニのホットフード(唐揚げなど)を食べている。

今回はこのうち、魚など動物由来の原料が入っているふりかけや、コンビニのホットフードは避けつつ、下記のように取り組んでみた。


1日目
いつも通り、炊き込みご飯とフルグラを食べた。炊き込みご飯にはわかめを多めに入れ、鉄分を摂るよう心掛けた。身体には特に変化は見られなかった。

2日目
昼間は忙しくて意識しなかったが、夜になって、「自分の中から何かが抜けている」ような感覚があった。悪いものが抜けてスッキリしたような気もしたし、力がなくなって踏ん張りが効かないような感覚でもあった。

3日目
ヴィーガン食について調べ直し、炊き込みご飯にヒジキを入れてみた。夜は久々に納豆を食べた。すると、身体に元気が出てきたのを実感して、「納豆ってすごい!」と思った。

4日目
 仕事帰りにコンビニでパンを買おうと思ったが、卵などの動物由来の成分が入っていないものを見つけられなかった。

5日目
フルグラを食べるとき、牛乳をかけていたのを豆乳に切り替えた(前日にヴィーガンについて調べ直していて、牛乳もダメだと気付いた)。豆乳フルグラは微妙な味だった・・・

6日目
夜、知人2人と上野のヴィーガンラーメンの店に行った。ここで食べたとんこつラーメンは、普通のとんこつラーメンそっくりの味で、「よくこんな風に調理できるものだ」と驚いた。

7日目
お昼は会社近くの隅田川沿いでお弁当を食べた。買い食いがしづらいので、夕方にかなりの空腹感を感じたけど、大きな波乱はなく1週間のベジタリアンウィークは終わった。


この間、牛乳のほか、何度か誤って動物由来の原料が入っている食品を口にした。

一つはレトルトのわかめ味噌汁。成分表をよく見たら、魚のエキスが入っていた。同様に、3日目に一度、あんパンを食べたのだが、後で見てみたら卵が使われていた。

(このほか、気づかない間に食べたものもあると思う)

日本の加工食品には、一見して想像がつかないようなさまざまな原料が使われている。

ヴィーガンだけでなく、ムスリムにも「ハラル」と呼ばれる食の規制があるが、そうした人たちが日本で暮らすのは大変だなあと、改めて痛感した。

ベジタリアンウィークが終わって:

両義的な身体の変化

JR上野駅構内にあるヴィーガンラーメンの店で
食べたとんこつラーメン

1週間やってみて気付いたことは2点ある。一つは、胃もたれが改善されたことだ。

もともと僕は身体が強くないが、1年くらい前からは胃もたれに悩むことが増えた。

これは揚げ物をよく食べることが原因だったのだろうけど、1週間ベジタリアン生活をしてみて、胃の調子が良くなった。また、全体的に身体がすっきりした。

その一方で、筋肉がしぼみ、力を入れて動かしづらくなったような感覚もある。これはおそらく肉を食べなかった影響だろう。

(もっとも、今回は初めてで栄養管理の方法がよく分からなかったのだが、やり方を変えればこうした問題は起こらないのかもしれない)

ネットには、ヴィーガン生活で体調が回復したという事例もあれば、逆に身体を壊した人の話も紹介されている。

自分がもうしばらく続けていたら、身体にさらにどんな変化があったか、今の段階では分からない。

ヴィーガン・ベジタリアンを肯定するか

豆乳と米でつくったヴィーガンアイスクリーム

ヴィーガンは、動物を殺して食べる、あるいは何らかに形で動物を搾取する(毛皮を取るなど)ことに対する倫理的な異議申し立てだ。

こうしたヴィーガンに対しては、多くの批判もある。ネットに出ていた意見をざっくりまとめてみると、このような形になるのではないかと思う。

<ヴィーガンへの反対意見>
・植物も命であるにもかかわらず、ことさら動物の命を重視するヴィーガンは偽善者である。
・ヴィーガンは健康に悪い(ビタミンB12などを摂取しづらいので、サプリメントに頼りがち)。
・肉食は食文化の一つである。


こうした意見を踏まえつつ、今回のベジタリアンウィークをやりながら、改めて自分の考えを省みてみた。

自分には、肉を食べるのは人間にとって自然なことではないか、という感覚がある。

星野道夫さんのエッセイ『イニュニック(生命) アラスカの原野を旅する』に登場するエスキモーの狩りの話や、作家・石牟礼道子さんが描く漁師の世界が好きなこともあるが、「命を頂いて生きる」ことは、この地球とつながる深い意味があると感じるのだ。

また、「人間を犠牲にしてでも動物の生命を優先すべきだ」という考えは、自分にはない。

地方の農村に行くと、獣害がいかに深刻かを感じる。そこでは、農作物を食べる動物を殺すことが死活問題だ。

(ここには、「狩る者がいなければ、特定種の動物が増えすぎてしまう」という食物連鎖も関連している)

また、以前、南三陸で牡蠣やホヤの養殖をされている漁師の方にお会いしたことがある。その方は、2011年の東日本大震災の後、事業を立て直すのにどれほど苦労したかを、言葉少なに語ってくれた。

食肉文化の背景には、それによって生計を立てている人が相当数いる(また、その仕事に誇りを持っている人も多くいると思う)。

そうした方々に対して、今の自分が代替案を示せるわけではない。

これらの事情から、たぶん、自分は今後も完全なベジタリアンやヴィーガンになることはないと思う。


「0か10か」ではない視点

荒川弘さんのマンガ『銀の匙』には、農業高校で学ぶ主人公が、食肉にされる豚に名前を付け「忘れないようにしよう」と決心する場面が出てくる


その一方で、これは「0か10か」といった問題ではないのではないか、とも思う。

自然環境に近いかたちでのびのびと動物を育てている牧場がある一方で、動物に対して過剰な暴力が振るわれている現場もあるだろう。

(以前、フォアグラをつくるために、劣悪な環境でアヒルに強制食餌をしていることが話題になった。こうした問題は、メディアの情報にも虚実が入り混じりやすいだろうから、安易に判断するのは危険だが、過剰な暴力が振るわれている食肉生産の現場が存在することは、容易に想像できる)

また、食肉用の動物を育てるには、多くの穀物や水が消費される。「飢えに苦しむ人がいる中で、食肉用の動物にそれだけのコストをかけるのはどうなのか」という問題もある。

(食肉用の動物を大量生産するために、森林が伐採されるなど、環境面での問題もある)

ヴィーガンになるか肉食を肯定するかに関わらず、こうした暴力や環境問題を減らすためにできることはあるのではないか、と思うのだ。

少なくとも、自分の足元でも、こんなことはできると思った。

・日々、食べられることに感謝する。
・自分が食事を残さないことを含め、食品廃棄量を減らすよう働き掛ける。
・動物に対して過剰な暴力が振るわれていないかアンテナを立てておく

(3つ目の「過剰な暴力」というのがどの程度なのか、というのは、自分なりにもう少し考えてみたいと思うが)


今回、ヴィーガンやベジタリアンに関する記事を読む中で、特に心に残ったのは、ドイツ在住のブロガー、Wasabiさんの記事である。

ベジタリアンの私が「菜食主義」を嫌いな理由

彼女は、自らの信条にもとづきベジタリアン的な生活をしつつ、「それが問題の絶対的な解決策だとは思っていない」として、矛盾に向き合い続けることの大切さを強調している。

自分も、今回で明確な答えが出たわけではないが、「生きるための他の生き物を犠牲にする」ということについて、今後も考え続けてみたいと思った。

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