『3月のライオン』主人公のプロポーズ
孤独なプロ棋士の少年が、さまざまな人との関係を通して他人の暖かさを知り、成長していく。羽海野チカさんの『3月のライオン』は、個人的に特に好きなマンガの一つだが、これまでの中で特に印象的だった場面がある。
物語冒頭から存在をほのめかされてきた、ヒロインの川本三姉妹の父が登場するシーン(10巻)だ。
不倫が原因で出奔した父は、家を出た後も別の不倫騒動を引き起こす。
あげくの果てに職を失い、にっちもさっちもいかなくなって「もう一度、家族で一緒に暮らそう」と戻ってきたのだった。
優しい態を装いながら、三姉妹を追い出して新しい妻子と家を乗っ取ろうという魂胆が見え隠れする彼の態度。
でも、心の優しい三姉妹は、彼に対して強く言うことができない。
そこで主人公の桐山零(きりやま・れい)は、彼女たちを守るため、この問題に介入することを決意する。
父と2度目に対面したとき、零は、父への思いに揺れる三姉妹の前で、SNSを通して調べた父の不品行を明かす。
「これは家族の話なんだよ。他人には関係ないだろうがっ!」
激高した父に対し、零が切り返すのは、
「僕はひなたさん(川本家の次女)との結婚を考えています。だから、これは他人事なんかじゃないんです」
『3月のライオン』10巻、P161−162 |
零はひなたを好き(ひなた以外の周りの人もそれは知っている)だけど、別に付き合っているわけではない。
なので、(ストーリーを知っている人は分かると思うけど)、これはまったくの「爆弾発言」である。
いつかは何かアクションがあるのだろうけど・・・と、期待を持たせるストーリ展開をしてきて、こんなシーンでぶち込み、シリアスな場面を一転してコミカルなムードに変える。
作者の羽海野さんのストーリーづくりの妙に、思わず唸った。
と同時に、赤の他人である零が、川本家の抱える重苦しい問題をともに背負おうとする姿勢に、考えさせられるものがあった。
心理学の泰斗、アドラーの思想をまとめた『嫌われる勇気』
『3月のライオン』を思い出したのは、最近読んだ『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』の中で、「課題の分離」という言葉を見たときだ。
これは、フロイトやユングと同時代人である心理学の泰斗、アドラーの思想をまとめた本で、2013年の刊行以来、100万部を超すロングセラーとなっている。
「他人の期待を満たすために生きてはならない」「自由とは、他者から嫌われることを恐れないこと」
タイトルが示すような人間関係に関する主張から始まって、
「人間は今ここで変わることができる」「未来や過去にとらわれず、今ここを全力で生きよ」
といった生きる心構えまで、各ページに刺激的な考え方が散りばめられている。
本書は、もともと共著者の岸見一郎さんと古賀史健さんが2010年に出会ったときに構想がスタートしたという。
さまざまな哲学を組み込んだアドラーの心理学を、これだけ分かりやすい形にまとめるのは、相当な苦労があっただろう。
刺激に満ちた本をものにしてくれた、お二人を含むこの本の関係者にまず感謝したい。
そのうえで、本書をより深く読むために、自分がおぼえた違和感を少し深ぼって見たいと思う。
それが「課題の分離」という考え方だ。
『嫌われる勇気』の「課題の分離」とは?
『嫌われる勇気』には、こんな一節が出てくる。「およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足に踏み込むことー。あるいは自分の課題に土足で踏み込まれることによって引き起こされます」
(『嫌われる勇気』P140)
「課題の分離」とは、ざっくり言うと、「この課題は誰の課題か」をまず精査したうえで、自分の課題には全力で取り組み、他人の課題には干渉しすぎないようにする。
そのような態度を奨励するものだ。
この例として、『嫌われる勇気』では、「親の言うことを聴かず勉強しない子ども」の事例が挙げられている。
「子どもに勉強させたい」というのは「いい学校に入れないとみっともない」といった親の見栄やエゴであることが多い。
しかし、不勉強のツケは最終的に降りかかるのは子ども自身だ。
だから、まず親は「勉強するのはあなた自身の課題」と伝える。
そのうえで、本人が勉強したいときにサポートする準備はしつつ、勉強を強要すべきではないという。
感情的な問題にも有効な「課題の分離」
「課題の分離」は、学校の成績といった目に見える問題だけではなく、感情に関する問題も含まれる。例えば同じ会社の中に、どうしても仲良くできない同僚や上司がいるとする。
しかし、「課題の分離」の観点からいくと、自分を嫌っている上司や同僚の気持ち自体は、上司自身が解決すべき問題であり、自分にはどうにもできないことだ。
自分がやるのは、ただ自分の課題に誠実に取り組むことのみ。彼らが自分を嫌っていることで、自分の心を乱されないようにすべきだという。
近年の学説によると、人間の脳には「ミラーニューロン」が存在するらしい。
これは、他人の感覚や行動を、あたかも自分の感覚のように感じる「共感」を司る脳細胞だ。
そのため、他人(周り)がイライラしていると、自分もイライラしてくるし、他人が緊張していると自分も緊張してくる、ということがある。
「課題の分離」は、このような他人の気分に巻き込まれないためにも、有効な考え方だと思う。
「他人事」から「私たちの課題」へ
その一方で、『嫌われる勇気』を読む中で、「必ずしも、課題を「自分のもの」と「他人のもの」に分離しないことがいい場面もあるのでは」と感じた。
例えば、チームで一つのプロジェクトに取り組んだり、サークルを運営したりするときだ。
もちろん、各メンバーには役割分担があるので、「この仕事はボクの担当」「あの仕事はアナタね」と分けることはできる。
ただ、全員が「この事業の運営に責任を持っている」と思っている、つまり「自分ごと」だと捉えている方が、よりよい成果が得られるだろう。
(新しい取り組みには、予想外の問題が起きるものだが、皆が自分ごとだと捉えていれば、そうした場面に対処がしやすい)
これは、公的な関わりだけではなく、プライベートな人間関係にも当てはまると思う。
冒頭で紹介した『3月のライオン』の主人公・零の態度も、「あえて他人の課題に踏み込む」ということで、より深い関係を川本家と築こうとする意志の現れだ。
他人と深い関係を築くというのは、このような、「あなたの課題」を「私たちの課題」にするという態度が含まれるような気がする。
自分と他人の課題を切り分けた方がいい場面と、そうではない場面。
それらに光を当てていくと、「自分らしく生きる」ということと、「他者とよい関係を築く」ということの間にある、面白い側面が見えてくる気がする。
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