「母さん、僕はあなたのものだった。
でも、あなたは僕のものじゃなかった。
僕はあなたが欲しかった。
でも、あなたには僕は要らなかった。
だから、僕は、「さよなら」って言わなきゃならなかった。
父さん、あなたは僕のもとを去っていった。
でも、僕はあなたを忘れ去ることはできなかった。
僕には、あなたが必要だった。
でも、あなたには僕は要らなかった。
だから、僕は、「さよなら」って言わなきゃならなかった。
子どもたちよ、僕と同じことをするな。
僕は、歩けもしないのに、走ろうとした。
だから、僕は、「さよなら」って言わなきゃならなかった。
母さん、行かないで。父さん、戻ってきて」
(ジョン・レノン『Mother』)
12月に入ると、町がクリスマスに色づく。
あちこちに、クリスマスのイルミネーションが飾られ、コンビニやスーパーに行くと、山下達郎の「クリスマス・イブ」や、ユーミンの「恋人はサンタクロース」が流れている。
そんな中に混じって、時々耳にするのが、ジョン・レノンの『Happy Christmas』だ。
ジョン・レノン。言わずと知れた、世界的に有名なロックバンド「ビートルズ」のメンバーだったミュージシャンである。
世界平和をうたった彼の代表曲『Imagine』を知っている人も多いだろう。
彼の命日が1980年の12月8日だということもあって、僕の中では、なんとなく「12月はジョンの月」のようなイメージがある。
もっとも、僕は20代前半からほぼ10年間、ジョンの曲をまったく聴いていなかった。中学生から高校生にかけて、入れ込んでいたにも関わらず。
それにはそれなりの理由があるのだが、最近、たまたまジョンの曲を聞き返してみて、ふと気づいたことがあった。
常識をぶち壊してくれたヒーロー
「こんなことを歌っていいんだ」中学生の時、ジョンの曲を初めて聴いて抱いた第一印象は、そんな驚きだった。
自分が中学生の頃、テレビや学校、町中でよく流れていたのは、「SPEED」(20代の人はグループ名も知らないと思いますが)や「SMAP」(こちらも最近解散しましたね)の曲だった。
彼らが歌うラブソングの、きれいなメロディーに快さを感じる一方で、「(男女の)純粋な愛」「未来」「希望」といったメッセージには、共感することができなかった。
ルックスも良くなく、スポーツや音楽ができるわけでもない自分は、「そもそも恋愛市場から疎外されている」と思っていた。
そんな自分を他人と比較して、いつも劣等感を感じていた。
それに、「まじめに生きるなんて、馬鹿らしいしカッコ悪い」という、なんとなくの風潮に対して、違和感を覚えつつも、どう向き合っていいかがよく分からなかった。
そんな中で出会ったのが、ジョン・レノンの『Mother』という曲だ。
ジョンは、子どもの時に両親が離婚し、親戚に引き取られている。『Mother』という曲は、こののトラウマに向き合って作った曲だという。
(さらに母親はジョンが高校生の時、交通事故で亡くなっている)
『Mother』は、いわば「マザコンの曲」だ。中学生の男子にとっては、「マザコン」というのは、「自立できていない、カッコ悪いヤツ」という侮蔑の表現だと思う。
しかし、そんな「カッコ悪さ」「弱さ」を全面にさらけ出して歌うジョンの姿は、衝撃的だった。
その後、社会への痛烈な皮肉を込めた「ジョンとヨーコのバラード」や、麻薬中毒者の苦しみを表現した「Cold Turkey」などを聴くにつれ、
「自分の違和感を、こんな風に表明してもいいんだ」
と、彼の音楽に対する敬慕の思いはつのっていった。
「しんどい」「ナイーブ過ぎる」音楽?
ただ、大学生以降、ジョンの曲を聴く機会は少なくなった。ジョンの曲というのは、重すぎて、聞き流すことができない。「居住まいを正して聴かなければいけない」という切迫感を感じるのだ。
中学生から高校生にかけて、ほぼ毎日、そうした音楽に向き合い続けてきたことによる、一種の「食傷」があったのだと思う。
さらに、前にこのブログに書いたが、大学生の時にイラク戦争の反戦運動に少し関わり、非常に嫌な思いをしたことがあり、『Imagine』みたいな反戦運動の曲など聴きたくない。そうした気分になったこともあった。
前のブログ記事:政治とはさみしいものである
泣いている子どものような声
それが、先日、ひさびさにジョンの曲を聞き返した。このブログを初めてから、自分の過去を振り返ることが多くなっていることもあり、ふと、聴き返してみたくなったのだ。
ジョンの『Mother』をYou tubeで検索し、ライブ映像を見つけて、それをクリック。イヤホンを耳に当て、目を閉じてみた。
改めて聴くと、「ジョンの声って、まるで泣いている子どものようだな」と感じた。
そして、「こんな風に、自分の痛みをさらけ出すことって、社会人になってからほとんどなかったな」と思った。
マインドフルネス瞑想のプラクティスを一緒に行っている人とご飯を食べた時、「日本では、女に比べて、男が泣きづらいよね」という話題が出たことがある。
「泣く」というのは、身体の持つストレス解消の一つの機能なのだと思う。
ただ、だからといえば、日本では、どことなく、「男は泣いてはならない」という風潮があると思う。
僕も、社会人になってから、ほとんど泣いた記憶がない。辛くても、どう泣いていいのか、分からないからだ。
(日本社会における男の泣き方の「ロールモデル」のような存在もいないこともあるのだと思う)
そんなことを思い出したのだろうか、『Mother』を聴いているうちに、なんだか、「ジョンが、僕の代わりに泣いてくれている」ように思えてきた。
『Mother』は、それだけで聴いていると、救いがない曲だ。
でも、そんな思いにふけりながら聴いてみると、なんだか、ジョンが
「もっと正直に生きたって、いいじゃん」
「お前の痛みを、オレが代わりに吐き出してあげるよ」
と、言ってくれているような気がしたのだ。
それで、1時間くらい、ずっとジョンの曲をYou tubeで聞き続けた。聞き続けている内に、なんだか、温かい気持ちになってきた。
自分はお祭りごとは苦手な性格だし、クリスマスイブである今日も、用事を抱えていたり、体調不良もあって、別に遊ぶ予定もない。
それでも、「Happy Christmas」といろんな人に言ってあげたいような気持ちになった。
そういう感情を起こさせてくれたジョンと、クリスマスという機会に、感謝したいと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿