30歳を過ぎてから、「自分はこの先も一人かもしれない」と、時々、感じるようになってきた。
「一人」というのは、「特定の(社会的に認められた)パートナーを持たない」「血縁のある子孫を残さない」という意味だ。
(本質的には、地球上の生物は誰も独りで生きてなどいないが、そういう哲学的な意味ではない)
自分は、わりと結婚願望がある方だと思う。ただ、これまで縁のある相手には巡り会えなかった。自分にも不備はあったのだろうけど、基本的には、そういう「運命」ではなかったのだろうと思っている。
こんな話をしたところ、ある人から
「運命だなんていい加減なことを言うな。結婚できないのは、お前が真剣に努力していないからだ」
「お前は一人で生きる気楽さに逃げているだけだろう」
「お前は社会人としての義務を果たしていない」
と、ひどく怒られたことがある。
現代日本のように、ポジティブな観点から一人で生きることを選ぶ人も多くいるので、これ自体は旧弊な物言いと片付けることができるかもしれないが、その人の言うことにも、一理ある。
以前、知り合いから「結婚相手を見つけるために、仕事を辞めて婚活の時間を作った」という女性の話を聞いたことがある。
「結婚する」ことだけをゴールに据えるなら、こんな捨て身戦略もありだ。
僕も、社会人になってからほとんど遊ぶ時間がなかったので「仕事をやっている限り、永遠に結婚できない」というその女性の焦りは分かる気がする。
無理やりな結婚で幸せになれる?
ただ、これまでの自分の人生の中で、幸せそうな夫婦にも会ったけれど、とても不幸そうな夫婦にも出会ってきた。そうした経験からすると、「結婚」というハコ自体が幸せをつくるわけではない気がする。
むしろ、「無理やり結婚して子どもをつくる」のは、この世界の苦しみを増やすことにつながるのだろう。
もっとも、こんなことを書いていても、自分の望みとしては、縁があれば誰かと一緒に生きたいし、それはとても素敵なことだと思っている。
ただ、いかんせん自分の意思でどうにかできる問題ではない。
(TOEICの点数を取るのと異なり、結婚やパートナー探しは相手があって成り立つものなので、より運命に左右されやすい)
それに、もう少し考えてみると、たとえ誰かと一緒になったとしても、別れたり、死別したりする可能性もある。
そういう意味で、「一人で生きる」とはどういうことなのか、また、そうなった場合にどう対処すればいいかを考えておくことは、無駄ではないと思う。
虚しさへの対処と、困った時に助けてくれる人の存在
「一人 生きる」でGoogleを検索してみると、「手に職を付ける」「貯金」などに関する女性向けの記事が多く出てくる。これは、これまで専業主婦になることが当たり前だった女性が、一人で生きていったり、離婚したりすることが当たり前になっている世の中の動きを反映しているのだろう。
こうした観点の情報は、とても大切だと思う。今の日本では、なんだかんだで女性の働きづらさはまだまだあると思うので。
ただ、結局、仕事やキャリアに関する問題は、独身だろうが家庭を持っていようが、同じだという気がする。
家庭を持っていても、貧困に追い詰められる人は多くいるからだ。
そうした点を踏まえつつ、今後、女性が働くことがもっと当たり前になり、女性の立場が今の男性と同じような形になってきた時、最終的に、男性と女性の独身者に共通する特有の課題は、
・一人で生きる寂しさ・虚しさをどう紛らわすか
・病気などで困った時に、助けてくれる人がいるか
の2点になると思う。
で、正直なところ、かなり難しい問題なので、まだ全く自分の考えがまとまっているわけではないが、暫定的にこの2点について考えた対処方法をまとめてみた。
●他人の面倒を見る、あるいは生き物を育てる
「自分の人生の無意味感」は、他人とつながることでしか、解消されないような気がする。ただ、それが必ずしも、直接自分の血の繋がった子孫でなくてもいいと思う。自然科学者のレイチェル・カーソンは、生涯を独身で通したが、晩年は甥の面倒を見ていたらしい。
彼女の遺著『センス・オブ・ワンダー』には、甥のロジャーとの、すばらしい交流の様子が描写されている。
また、「他人」というのを、そもそも人間に限定しなくてもいいかもしれない。
「犬を飼っている女性は、結婚をしない傾向がある」と聞いたことがある。犬があまりにも可愛くて、男に魅力を感じなくなるためらしい。
いかにもありそうな話のような気がする。
また、フランスの作家ジャン・ジオノの『木を植えた男』という有名な短編小説がある。
これは、荒野で黙々と一人で何十年も木を植え続ける男の話だが、これも、木という(人間より長生きする)生き物を育てることを通じて、生きることの無意味感を克服する行為だったのかもしれない。
●仕事を「恋人」にする
事業に自分を捧げることを、自分の生きる意味とすること。独身の芸術家や事業家には、このように考えている人もいると思う。正直、僕自身は仕事を恋人にしきれないような気がしているので、このことを十分に考えられていないのだが、これを目指す場合は、多分、上に挙げた「他人の面倒を見る」のような観点を関わらせる必要があると思う。
つまり、「この事業を通して、誰にどうつながりたいのか」という点への意識を、より鮮明にするということだ。
●独身者の互助コミュニティーをつくる
江戸時代、首都の江戸に暮らしていた人口の6〜7割は男だったという。ものすごい男女数のアンバランスのため、ほぼ半数の男性が結婚できなかった。(だから遊郭商売が盛んだったらしい)
そうした中で、結婚できない男たちが身を寄せ合い、互いに助け合っていたのが、長屋だったという。
東洋経済オンライン:「独り身大国」江戸と現代の知られざる共通点
別に結婚した人を排除したりする必要はないと思うが、独身者同士が近くで、いざというときに協力し合える体制を築く、というのは、それなりに有効な気がするし、なんとなく、虚しさが抜けないところはあっても、まあまあ生きているのかもしれない、という気もする。
●野垂れ死にする覚悟をつくる
仏教に「九相観図」という絵がある。これは、人間が死んでから、死体が腐り、鳥獣や虫に食い荒らされ、骨だけとなり、最後は焼かれて灰になる様を9つの絵で表現したものだ。
死の恐怖を克服するために、仏教では、これを思い描く瞑想を行うという。
究極的には、人間は、野垂れ死にする覚悟があれば、どんな生き方でもできてしまうと思う。
なので、例えば、アパートで誰にも看取られずに孤独死するとか、路上で倒れて死ぬというシーンを想像してみて、具体的にどんなところに苦しみを感じそうか、予め予測を建てておいてもいいかもしれない。
ぼんやりとした形では、ただ悲惨で怖いだけだけれど、具体的に思い描くことで、自分が孤独死することの恐れを少し取り除けるのではないか。
それは、一人で生きていく勇気にもなるかもしれない。
結論はまた来年
ここに挙げた4点は、一つ一つ、もっとちゃんと考えていった方がいいことなので、今後も継続的に考えたいと思っている。女性で、「30歳前後までは一人で気楽に生きるのがいいと思っていたけど、30代半ばになってから、急に子どもが欲しくなった」という話はよく聞く。
僕も、もう少し年をとったら、色々と考えが変わってくる点があるだろう。
(もっとも、それまでに誰かと縁があって万々歳となれば、それにこしたことはない)
ただ、いずれにしても、一人で生きることになっても、誰かと生きることになっても、最終的に「この世界に生まれてきて良かったな」と思えるようになりたいものである。
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