困難との向き合い方を教えてくれた『ゲド戦記』:アーシュラ・ル=グウィン哀悼

2018年1月27日土曜日

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今週はじめに雪が降ってから、東京は急に寒さが増した。

ここ数日、朝は、寒さで寝足りないまま目が覚めてしまう。ぼんやりした頭のまま、「まだ起きたくないな」と、スマホでネットサーフィンする時間も増えている。

昨日も、そんな風に朝、布団の中で、だらだらとFacebookを見ていた。すると、ある投稿が目に入った。

フォローしている雑誌『ビッグイシュー』のFB投稿に、『ゲド戦記』で知られる米国人の作家、アーシュラ・ル=グウィン氏の記事が載っていたのだ。

数年前、『ビッグイシュー』でル=グウィン氏のインタビューを読んだ記憶があったので、「また、特別インタビューでも組んだのかな」と思った。

しかし、FBの投稿を見ていて、「訃報」という文字が目に入って、すこし驚いた。

数年前に見た写真では、ル=グウィン氏の元気な姿が映されていたので、なんとなくまだ60代くらいに思っていた。

しかし、実はすでに80歳を越え、数年前から闘病していたということだった。


『ゲド戦記』への思い入れ

ル=グウィン氏は、SF・ファンタジー小説の分野でとても有名な作家だ。

2006年にスタジオ・ジブリで映画化された『ゲド戦記』や、SF小説『闇の左手』といった作品によって、さまざまな賞を受賞しており、世界中にファンも多くいる。

僕自身は、ル=グウィン氏のファンと言えるほど、彼女の小説を読んできたわけではない。(実際、『闇の左手』は手付かずのままだ)

ただ、『ゲド戦記』は、小学生の時に初めて手にとって以来、思い入れがある。

ル=グウィン氏の訃報に接して、昨日から、再び『ゲド戦記』のことを考えていた。

(原作好きにありがちだが、2006年に映画『ゲド戦記』を見に行って、「オレが思い描いていた『ゲド戦記』と全然違う。けしからん」と心の中でつぶやいたことを、懐かしく思い出したりもした。笑)


小学生の時に読んでもちんぷんかんぷん

「オジオンさま、わたしは狩りに出かけます。」
(『ゲド戦記1 影との戦い』P226)


『ゲド戦記』について考える時、最初に思い浮かべるのはこのセリフだ。

『ゲド戦記』を初めて読んだのは、小学生の時だった。近くの図書館の目立つ位置に置かれていて、ファンタジー小説が好きだったこともあり、手に取ったのだ。

ただ、当時の自分にとっては難しすぎて、正直なところ、さっぱり理解ができなかった。そのせいで読んだ後、ストーリーもすぐに忘れてしまった。

しかし、このセリフだけは、響きがカッコイイため心に残っていた。(アニメや特撮ヒーロー番組の決めゼリフに憧れる年頃だったこともある)

そして、社会人になった後で、色々と行き詰まりを感じていた時に、この言葉がふと心の中に蘇ってきたのだった。

「この言葉って、どこに出ていたっけ?」と調べてみたくなり、本屋に行って『ゲド戦記1 影との戦い』を再び手に取ってみた。そして、ページを繰っていく中で、「これは、自分の人生のテーマだったんだな」と気づいた。

『ゲド戦記1 影との戦い』:傲慢な少年

『ゲド戦記1 影との戦い』は、こんな話だ。

片田舎の農村で生まれたゲドは、子どもの時から類まれな魔法の才能の片鱗を見せる。

そして、あるきっかけから大魔法使いオジオンに見出された、世界最高の魔法の学府であるローグ魔法学院に入学する。

ローグ魔法学院で「学院始まって以来の秀才」と呼ばれるほどの才能を発揮したゲドは、さまざまな人から一目置かれるようになる。本人も、鼻高々となる。

そんなゲドにも、看過できない相手がいた。いつも「田舎者のくせに」と馬鹿にしてくるヒスイという同級生だ。

血気盛んで傲慢なゲドは、「ヒスイをぎゃふんと言わせてやりたい」と思い、学院で禁忌とされていた死者の霊を呼び出す儀式をやって、「オレってすごいんだぞ」と見せつけようとする。

はじめ、その儀式はうまく行ったかのように見えた。しかし、儀式の途中、呼び出された死霊が突如豹変し、「影」のようなものになってゲドに襲い掛かってくる。

ローグ魔法学院の長である大賢人が救援に駆けつけたことにより、一命はとりとめたものの、ゲドは心身に大きな傷を追う。

それ以降、ゲドは「影」の脅威に付きまとわれることになる。魔法学院の外に出ると、「影」が自分に近づいてくるのをひしひしと感じるようになる。

そして、実際、ある要件から人気のないところを旅していた時、「影」に襲いかかられる。

影に対しては、ゲドの魔法は全く通じない。手にしていた杖でどれだけ殴りつけても、まったく効果がない。

恐怖にかられ、傷だらけになりながら、ゲドは命からがら逃げ出す。

どうしていいか分からないゲドは、自らの師であるオジオンに会いに行く。ここで、オジオンから諭される内容が、とても示唆的だ。


困難に「向き直る」こと

「影」の力が強すぎて、自分はとても歯が立たない、と悩みを打ち明けるゲドに対し、オジオンは「向き直るのじゃ」と言う。

「このまま、先へ先へと逃げて行けば、どこへいっても危険と災いがそなたを待ち受けておるじゃろう。そなたを駆り立てているのはむこうじゃからの。今までは、むこうがそなたの行く道を決めてきた。だが、これからはそなたが決めなくてはならぬ。そなたを追ってきたものを、今度はそなたが追うのじゃ」
(P222)

この言葉を聞いたゲドは、はじめは戸惑うが、じっと考え「逃げ続けても、何も解決しない」と覚悟を決める。

そして、翌朝、先に紹介した「私は狩りに出かけます」という言葉をオジオンに残し、ゲドは出ていくのである。

そして、自分が追うつもりで「影」を探し、実際に相対すると、ゲドは「影」が急に弱体化しているのを感じる。

ゲドはさらに海の果てまで「影」を追っていき、そこで影の真の正体を見出す。

ゲドが向き合うと、影は、かつてゲドを軽蔑した級友のヒスイたちの姿など、ゲドのトラウマとなっている人々に次々と姿を変えていく。

そう、「影」とは、傲慢さや恐怖といった、ゲドの心の影そのものだったのだ。そしてゲドは、「影」を抱きとめ「影」と融合する。

そして、同行してくれた友人に「傷は癒えた。おれはひとつになった。もう、自由だ」と言い、子供のように泣き出す。

それから、数日間、海を漂流した後、無事に帰還する、というところで『影との戦い』は幕を下ろす。

自分をヨガや瞑想に導いてくれた『ゲド戦記』

困難や不安は、逃げ回っているうちは、とてつもなく強く、手が付けられないように思える。

しかし、いったん勇気をもって、向き合おうとした途端に弱くなる。

このブログで何度か書いているが、自分はかなりの不安症なので、何かがあると「逃げたい」という気持ちがすぐに働く。

(実際、いまだに逃げ続けている課題も多い)

ただ、こうした自分が、少なくともいくつかの課題から逃げ出さないで向き合えうことができたのは、『ゲド戦記』に負っている部分もとても大きいと思う。

(難しい課題が浮上すると、自分の頭には、アニメ『エヴァンゲリオン』の主人公の「逃げちゃだめだ」「逃げたら、もっと辛かったんだ」という言葉と同時に、ゲドの「わたしは狩りに出かけます」という言葉がリフレインすることが多々ある)


なお、自分が今取り組んでいるマインドフルネス瞑想やヨガに関しても、「自分のうちなる影と向き合う」点に関して『ゲド戦記』と通じている。

そういう意味で、『ゲド戦記』が、自分をマインドフルネス瞑想やヨガに導いてくれたのだと、最近は感じたりもしている。


このほか、『ゲド戦記』第二巻『壊れた腕輪』で登場するヒロインのテナーが、自ら負った宿命を断ち切るために、親しかった人を犠牲にするシーンも、とても考えさせられた。

また、第4巻『帰還』で、世界最高の魔法使いから無力な老人になったゲドが、より深い人生の理解に達するシーンなど、『ゲド戦記』には、多くの印象的なシーンが出てくる。

その辺の話も、そのうち書きたいと思っています。

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