帰宅途中に家の近くで見かけた雪だるま |
1月22日、東京は大雪に見舞われた。
交通機関が麻痺する恐れがあったため、仕事は早上がりすることになった。
しかし、「後少し、切りのよいところまで」と粘って仕事をしていたら、つい会社を出るのが遅くなった。
それで、案の定、帰りは猛烈な帰宅ラッシュに巻き込まれた。
東京メトロの表参道駅で、半蔵門線に乗り換えようとしても、あまりに混んでいて、とても乗れない。何本か待ったが、それでも、ラッシュが終わる気配がなかった。
思わず「チッ」と心の中で呟いたが、ふと呼吸をして、「あ、自分は今、悪態を付いているな」と気づいた。
自分の内に生まれたイライラを、少しの間見つめる。すると、炎源のなくなった火のように、その感情はだんだんと小さくなっていった。
それから、「せっかく、貴重な時間ができたことだし」と、ベンチに座ってブログを書くことにした。
(結局、表参道では2時間ほど待った)
いつものヨガ教室
先週の日曜日の午後、いつものように渋谷のヨガ教室に行った。長年来の友人と、1年ぶりに会ってランチした後だった。楽しくて、しばらくの間、彼女と話した内容が、頭の中でリフレインしていた。
少し心臓の鼓動が早くなっていた。それで、はじめはヨガに集中しづらかった。
しかし、しばらく体を動かしているうちに、「ああ、この感覚だ」と、喜びがじわじわと湧き上がってきた。
「ヨガ」とはつなぐこと
ヨガを始めたばかりのころ、あるインストラクターの先生から「”ヨガ”という言葉は、もともと”つなぐ”という意味なんですよ」と聞いたことがある。「ヨガ」の語源となったサンスクリット語の「Yuj(ユジュ)」という言葉は、牛や馬を車につなぐ軛(くびき)のことを意味していたらしい。
では、この「Yuj」の意を念頭に練り上げられた心と体の鍛錬法であるヨガは、何と何をつなぐことを目的としているのか。
多くのヨガインストラクターが第一に挙げるのが、「心と体をつなぐ」ということだ。
これは、例えば、深呼吸をすると心臓の鼓動がゆっくりになり、気持ちが落ち着いてくるような状態のことを指している。
(ヨガの呼吸法は、一般の深呼吸とは多少異なっているが)
この「つなぐ」という感覚をさらに極めると、自分と他者やこの世界(宇宙)ともつながっているような感覚が得られるらしい。
正直なところ、今の自分のレベルでは、そういった感覚はうまく理解できない。
ただ、体調が良く、集中力が高まっている時、自分にもふと「つながっている」という鮮明な感覚が訪れることがある。
ただ、「心と体」というより、自分の場合、まず「自分の体すべてがつながり、連動して動いている」という感覚があって、そこから、「体と心がつながっている」という感覚も生まれているようである。
「体が喜ぶ」感覚
この日のヨガのレッスンでは、右腕を頭の方に上げ、合わせて体全体を左側に倒す、というアーサナ(ポーズ)が出てきた。この形に体を動かした時、右手の指から、肩や胸、肋骨、脇腹、腰をつなぐ見えない1本の糸のようなものが、自分のイメージの中に浮かび上がってきた。
この1本の糸のようなものが明確にイメージされた時に、「あ、これだ」「今、自分の体が喜んでいる」と感じたのである。
右手と左足。指先と背骨。それらは、普段、本当はつながっているはずなのに、バラバラに動いている。
(パソコンを打つ時、手だけ動いていて、自分の背骨のあり方に気付かないように)
それが、再び統合された、「自分の体が、自分に戻ってきた」感覚とでも言ったらいいのだろうか。
自分の「センター」
前に、モダンダンスで有名なアキコ・カンダというダンサーのインタビューを読んだことがある。(山田玲司『絶望に効くクスリ』Vol.10)
彼女は、ニューヨークでモダンダンスの創始者マーサ・グラハムに師事していた時、「あなたのセンターはどこにありますか?」とよく尋ねられ、体の中心点からすべてがつながっているという感覚を叩き込まれたらしい。
(「センター」というのは、「体幹」と近いものなのではないか、という気がする)
僕のような運動音痴の人間が、彼女を引き合いに出すなどおこがましいことではあるが、彼女のその感覚がちょっと分かるようで、嬉しかった。
この感覚を忘れないように
僕は極度の不安症なので、ヨガをやっている最中も大抵、心の中に「あれはどうしよう、これはどうしよう」と次々に悩み事が出てくる。しかも、そういう時にアイデアが出てきて、「早くメモっとかないと、全部忘れちゃうぞ」という不安が大好きな自分が出て来る。
(後から考えると、大したアイデアではないことが多いのだが)
特に、昨年の11〜12月は非常に忙しかったので、そんな感覚がとても強くなった。
う
年が明けても、寒さのせいで体調を崩しがちだったためか、うまくヨガをやる感覚を捉えることができなかった。
でも、この時はある程度ちゃんと休んでいたためか、久々にヨガをやる喜びを鮮明に感じることができた。
この感覚を忘れないようにしたいものだと思い、このブログを書いている。
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