「目に映るすべてのことはメッセージ」by ユーミン&内田樹

2018年1月17日水曜日

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一日中、オフィスの中で頭ばかり使っていると、「オレも動かしてくれ」と、全身がメッセージを送ってくる。

そんな時は、帰り道に1〜2駅前で電車を降りて、歩くようにしている。

昨日もそんな風にして、1駅前で降りて夜風に吹かれながら道を歩いていた。

すると、ふと、公園の近くの植え込み、黄色い花があるのが目に入った。

夜の透明な光の中、静かに咲いている花を見ていると、ふと、呼吸がゆっくりになるのを感じた。

ユーミンの曲

「カーテンを開いて、静かな木漏れ日の、やさしさに包まれたなら、きっと、目に映るすべてのことは、メッセージ」

スタジオ・ジブリのアニメを好きな人は、この文を目にして、すぐにピンと来たと思う。

これは、『魔女の宅急便』の主題歌に使われた、ユーミンの『やさしさに包まれたら』の一節だ。

先日、フランス現代思想の研究者、内田樹(うちだ・たつる)さんの『困難な成熟』(夜間飛行、2017)を読んだ。

この中に、この曲の歌詞が引用されている箇所がある。その部分を読んで、「ああ、いいな」と感じた。それで、この文章を書きたくなった。

贈与論


内田樹さんについては、100冊以上の本を出しているので、知っている人も多いのではないかと思う。

「他者とはなにか」というテーマを追求し続けたフランスの哲学者、エマニュエル・レヴィナスの研究者で、合気道の師範というユニークな肩書の持ち主でもある。

彼の近著『困難な成熟』は、「社会の中で生きる」「働く」といったさまざまなテーマを元に、「大人になる(成熟する)とはどういうことか」を論じているものだ。

その中の一つの章に、「贈与論」に関する話が出てくる。

「贈与論」とは、ものすごく簡単に言ってしまうと、「人間社会の根幹にあるのは、「贈り物をもらったら、何かお返ししなければいけない」と感じる義務感である」という考え方だ。

もともと、フランスの文化人類学者、マルセル・モースが、途上国の社会の研究を通して提唱した概念で、現代の社会学などにとても大きな影響を与えている。

もっとも、ここで言う「贈り物」というのは、お歳暮の贈り物といった物質的なものにとどまらない。

例えば、誰かから「おはようございます」と笑顔で言われたら、「おはよう」と返さないと、なんとなく気まずく感じる。こうした感覚も含めての、「贈り物のやりとり」が想定されている。

そして、内田さんは、こうしたやり取りの中にこそ、人間の「生きている実感」のようなものがあるのだという。

その例として、キャッチボールを挙げ、

 「(キャッチボールは)こちらが投げる、あちらが受け取る。あちらが投げる、こちらが受け取る。それだけ。別に何も生み出していません。」

「でも、ボールを受け取るときには、グローブが「ばしん」と小気味のよい音を立てて、掌に持ち重りのするボールが届けられる。それを投げ返すと、今度はむこうのグローブが「ばしん」と音を立てる。」

「何も価値あるものを生み出しているわけじゃないけど、なんとなく幸せな気持ちになる。それはボールが送られるごとに、「あなたがいてくれて、よかった」という祝福の言葉がそれに添えて送られてくるからです」
(P201)

と述べている。

まあ、野球部などで、毎日キャッチボールをやっていると、惰性になって、こんな感覚を覚えることは少ないと思う(笑)

ただ、この部分を読んで、思い出したのは、自分の学生時代のこと。

僕は、学生時代、多くの時間を1人で過ごしていた。まあ、色々と考えるところがあったり、「他人と会っているより、本を読んで、少しでも勉強しなきゃ」みたいな意識が先に立っていたためでもある。

ただ、何日間かほとんど人と話さない状態が続いた後で、大学に行って知り合いと少し言葉を交わしただけで、自然とウキウキとした気分になったのを覚えている。

(別に、知り合いから、何かメリットになるようなことをしてもらったわけでもないにも関わらず)


さきほどのユーミンの曲の一節は、このキャッチボールの話の続きに出てくる。

僕たちが、「贈り物をもらった」と感じる相手は、別に「人間」だけに限らない。

ユーミンの曲は、(おそらく、穏やかな休日の)カーテンを揺らす木漏れ日を見て、そこに、自分に幸せにしてくれる、祝福のメッセージを読み取っているのである。

「誰もメッセージなんか送っていないんです」

「木漏れ日は誰かからのメッセージじゃありません。ただの自然現象です。でも、ユーミンはそこに「メッセージ」を読み出した。自分を祝福してくれるメッセージをそこから「勝手に」受け取った。そしてその贈り物に対する「お返し」に歌をつくった。」

「その歌を僕らは聴いて、心が温かくなった。「世界は住むに値する場所だ」と思った。そういう思いを与えてくれたユーミンに「ありがとう」という感謝を抱いた。・・・(中略)・・・そして、はじめてこの歌を聴いてから35年くらい経ってからも、こうやって  「あれはいいね」という文章を書いている」
(P209)

とりあえず布団メーカーさんに感謝

「こんな素敵なものを私に与えてくれて、ありがとう」。

こういう感謝の感覚が、ほぼイコールで幸福感だということ。

似たような経験を自分もしたことがあるので、実感として分かる。そして、そのことを思い出させてくれた内田さんに、僕自身も感謝を感じた。

(その感謝を忘れたくないので、このブログを書いている)

ただ、通常の生活をしていると、「目に映るすべてのものが、自分にメッセージを送ってくれている」という幸福は、すぐに不安や苦しみにかき消されてしまう。

でも、こうした感覚を忘れたくないなあ、と思い、先日から、「幸せ・感謝日記」を始めてみることにした。

(先週の日曜日にこのブログでもアップしたが、自分のノートにも日々つけてみることにした。まあ、3日坊主になるかもしれないが笑)

とりあえず、(これを書いているのは夜中だが)、今夜は

「こんな暖かい布団をつくってくれた布団メーカーの人、ありがとう」

などと思いながら、安らかに眠りたい。

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