幸せな思い出を呼び起こす:マインドフルネス1日瞑想会の法話から

2018年1月8日月曜日

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祝日の月曜日の夕方。東京近辺は、今日は曇り時々雨。太陽のエネルギーが弱かったせいか、多少ゆううつな気分が自分の中に漂っている。

渋谷のマクドナルドで、少し目を閉じて、呼吸を繰り返す。

(金欠のせいで、相変わらず外出時の作業はマックでやっている)

もやもやしていた感情の流れを少し落ち着けて、このブログを書き始める。

苦しみとの向き合い方

昨日は、月に1回のマインドフルネス瞑想会だった。

瞑想会について:不安との向き合い方:マインドフルネス瞑想について

僕が参加しているプラムビレッジの瞑想会では、現在、アン・フーンさんというティク・ナット・ハン師のお弟子さんがほぼ毎回、法話を行っている。

(彼女は、夫と一緒に米国に住んでいるため、スカイプ経由でだが)

今回の法話が、前回の記事で考えた問題と深く関わるものだったので、自分の備忘を兼ねて、その要点をまとめてみた。

(レコーダーで記録を取っていたわけではないので、表現には筆者の主観が入っていることをご容赦いただければと思います)


テーマは、「苦しみへの向き合い方」。

◆私たちは、幸せな記憶よりも、苦しい記憶にしがみつく傾向がある。

例えば、ある友人と10日間、一緒に旅行したとする。

そのうちの9日間が楽しくっても、たった1日、それもたった1時間だけ、その友人といて、とても嫌なことがあったとする。

すると、楽しかった9日間のことは忘れてしまい、「あの1時間は、ほんとにイヤだったなあ」という記憶ばかり、脳内で再生されることになる。

それで、「あんなヤツとは、もう会いたくない」という気持ちになる。

このように苦しい記憶ばかりが思い出されるのは、「これ以上、傷つきたくない」という自分の防衛機能。

どうして、このような防衛機能が自分の中で強く働いてしまうのか。

アン・フーンさんが自身の内面を探ったところ、彼女の場合、子どもの時にとても傷ついた経験があったという。

その後、彼女はその傷に向き合う瞑想(赤ちゃんをあやすように、自分の傷をあやす)ことをしていると、

すると、「これ以上傷つきたくない」と、戦うエネルギーがゆるんで、自分の中に、他のものを受け容れる”スペース”があることに気づいたという。

そうして、「私を傷つけてきた人たち」だと思っていた人たちと接してみると、彼らもまた、心に傷を負っている人たちだと分かった。

そこで、彼女は、彼らに、自分がこれまで抱いていた感情を吐露する「ラブ・レター」を書いたところ、彼らも返してくれ、和解ができたということだった。


◆幸せな記憶を思い出すこと

人間は、苦しい記憶にこだわりがちである。

そのため、私たちが幸せになるには、まず呼吸を通して「今、ここに自分が生きている」という喜びに立ち返ることが必要。

それと同時に、「自分が幸せだった時の記憶」を、呼び起こす努力が大切だという。


◆生米を炊いておいしくするように、苦しみを幸せに変容させる

(「苦しみの記憶」を再生し続けることからも分かるように)人間には、目の前の苦しみから逃げ出して、幸せを追い求めようとする傾向がある。

けれども、実際のところ、苦しみと幸せは、相互に関係しあっている。

苦しみがなければ、幸せだと感じる時もない。

アン・フーンさんによると、「苦しみと幸せは、生米と炊いたお米の関係」にあるという。

生米の状態では、人間はとても食べることができない。けれど、ちゃんと調理をすると、とてもおいしくなる。

それと同様に、(調理するのに時間はかかるが)私達は、苦しみにちゃんと向き合うことで、苦しみを幸せに変えることができる。

私たちに本当に考えるべきなのは、「苦しみを消滅させよう」「苦しい目に合わないようにしよう」と努力することよりも、苦しみが出てきた時に、それをどう幸せに変えるか、考えることである。


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<就活面接のイメージによる自己内対話>

面接官:「あなたにとって、これまで一番幸せだったことは?」

自分:「ええと・・・そうですね・・・(しどろもどろ)。いや、それより、僕がどんな苦労をしてきたか聞いてくださいよ。ボク大変だったんですよー。その方が簡単に答えられるなー」

面接官:「いや、ワタシが知りたいのは、アナタの楽しかった思い出なんですけどね」

自分:「・・・・・・・」


幸せな経験は、僕にも確実にあるはずなのに、嫌な経験に比べて、なかなか思い出すことができない。なので、今回の話は、図星だった。

(僕の好きなロシアの作家、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』や、ドイツの作家、ミヒャエル・エンデの『果てしない物語』でも、幸せな思い出の大切さに関する話が出てくる。でも、自分はそれらをさっぱり理解していなかったんだなーと痛感)


「私たちは、今この場所で、幸せになるために存在することもできるし、苦しむために存在することもできる。選ぶのは、あなた自身」

アン・フーンさんの法話の中には、そのような言葉もあった。


昨日の瞑想会では、僕より年上の参加者の方から、「年を取るほど、自分ができることが限られてくる。その限られたエネルギーを、何に向けるかが大切だ」と聴いた。

幸せな記憶は、思い出すには努力が必要。では、自分は、自分の限られたエネルギーをこれからどんな方向に向けていくか。


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