(5月末に参加したマインドフルネス瞑想会で感じたことです。別所で書いていたのを、こちらにアップしました。)
今日は、一か月に一度のマインドフルネス瞑想会で、
鶴巻温泉の近くにある「ゆとり家」へ。
心が落ち着かない日々において、
「今ここに生きている自分の命」に
向き合う時間を得られるのは、本当に貴重です。
近くの野山を、瞑想をしながら歩くと、
春から夏に移り変わろうとする、
生命の息吹があちこちで感じられました。
中でも、特に目を奪われたのは、
活発に動き回るアリの存在です。
地面を良く見ると、
あちこちに小さな穴が開いており、
そこからひっきりなしに、黒アリが
出入りしていました。
アリの動きをじっと見るのは、子どもの時以来ですが、
その、きびきびした動きが、何だか楽しかったです。
彼らの掘っている穴を見ていて、
ふと思いました。
「こんな地中にまで、彼らは命を運んでいる。
世界は、とても細かいところまで、さまざまな動きがつながり合って、
存在しているんだ」と。
エコシステム、という言葉があります。
日本語にすると、生態系。
最近は、ビジネスの用語としても使われるようになりましたが、
世界は、本当に、目に見えない多くの働きによって成り立っていると思います。
自分が、その中でどのような位置を占めるのか。
「ぱっとしたことをしないと、自分の存在が認められない」
そんなことも考えることがあります。
でも、見えないところで世界を支える、
小さな役割を果たすこと。
それを、もっと意識していいのだろう、と思いました。
自然を見る、というのは、不思議な行為だと思います。
僕たちの普段の行動は、
何かに向かって前進することが、前提になっています。
仕事をしたり、キャリアを積むための勉強をしたり。
洗濯や掃除も、「これを片づけて、空き時間をつくる(そして、自己の成長のために投資する)」というように。
けれども、自然を見るのは、
そうした、積み上げる、前進する行為ではありません。
おたまじゃくしの動きを見て、感動を覚えることと、
仕事でキャリアを積む、社会で活躍するといったことは、
まったく無関係に思えます。
だから、通常のキャリア観からいくと、
「自然と共に生きる」といった考えは、
馬鹿げたものに見えるのだと思います。
でも、僕が生き物として、命をまっとうするには、
自然を何か見つめることが必要なのだと、
何となく直観的に感じています。
今後、この直感と、理屈の間をもう少し埋めて行きたいものだと思っています。
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