昨日、友人に誘ってもらい、渋谷の文化村で上映中の映画『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン~世界一優雅な野獣』を見に行きました。
(映画サイトはこちらから)
これは、1989年にウクライナで生まれ、世界的に有名になった若手バレエダンサーのドキュメンタリー映画です。
(大変失礼ながら・・・)正直、僕はバレエにはあまり興味がありませんでした。
過去に何度かバレエを見たことはあるのですが、個人的に、アートというのは「個人(アーティスト)と個人(自分)の対話」だと思っている(というか、感覚的にそういうものに心惹かれる)ため、バレエのような集団芸術に、どうも関心が向かなかったからです。
そのため、今回の映画もそんなに期待していなかったのですが、見初めてしばらくしてから、どんどん、話に引き込まれました。
それは、これが、バレエというより、家族と自分の生き方を模索する話だったからです。
※以下、ネタバレ注意
「ぼくががんばれば、家族が一緒にいられる」
ポルーニンは、ウクライナの田舎の出身。幼少時からバレエに才能を示し、まずは首都キエフの名門バレエ学校へ。
そして13歳で英国・ロンドンのバレエ学校に留学し、めきめきと才能を示します。
ですが、そもそも田舎の彼の家には、物価の高い首都キエフ、さらにはロンドンに留学させるようなお金はありません。
それでも、親(特に母)は彼の才能を信じ、父親はポルトガルへ、祖母はギリシャへ出稼ぎに行って、彼の留学費用をまかないます。母はウクライナに残り、必死に働き、ポルーニンを厳しく育てます。
「ぼくががんばれば、また家族みんな、一緒にいられるんだ」
そんな思いで、彼は必死に練習しました。
そんな最中、寮生活を送るロンドンで、彼は両親が離婚したことを知ります(15歳の時らしい)。
出稼ぎで、家族がバラバラになっていたことが原因でした。
その後、ポルーニンは19歳で、英国ロイヤル・バレエ団で、史上最年少のプリンシパル(バレエ団のトップクラスのダンサー)になり、マスコミに大きく注目されます。
ですが、「家族がバラバラになった今、自分はいったい何のために踊るのか」と悩む彼は、「天才」の名をほしいままにしつつも、バレエに取り組む理由を見失います。
そして、さまざまな非行にを繰り返したあげく、21歳のでロイヤル・バレエ団を退団します。
自分の内面に向き合ったダンス映像
その後、ロシアにわたり、再度ダンサーとして活躍。よき師にも出会いますが、しばらく経つと、再び「自分はなぜバレエをやるのか」という悩みに突き当たります。
そして、自分の離婚した両親や、子どもの時のバレエの先生に会ったりしますが、悩みは解決されず、再びバレエを辞めようと決意します。
ロンドン留学時代からの彼の親友は、「セルゲイが本気で苦しみ、辞めたいと思っているのが分かっていたから、(英国のバレエ団の時は引きとめたけど)今回は、引き留めようとは思わなかった」と回想しています。
この時、ポルーニンは「最後だから」と思って、親友の振付師と相談し、自分の思いをぶつけるダンスの映像を取ることを決めます。
そして、ハワイで撮影したのが、こちら。「Take me to church」。
使われている曲は、ホージアという歌手が、LGBT差別をメタファーを通じて歌ったもの。米国では根強い人気があり、ポルーニン自身が、この曲で振付を考えてくれ、と依頼したそうです。
Take me to church
I’ll worship like a dog at the shrine of your lies
I’ll tell you my sins and you can sharpen your knife
Offer me that deathless death
Good God, let me give you my life
(教会に連れていけ。お前のウソに満ちた教会で、僕は犬のように拝む。
僕の罪を告白したら、ナイフを研いで。
死なない死を与えてくれ。
良き神よ、僕の命を受け取りください)
ポルーニンのダンス映像も、己の苦しみを叩きつけるような踊りで、とても心惹かれました。
このビデオをYou tubeにアップしたところ、2000万回くらい再生され、「自分もこんな風に踊れるようになりたい」といったコメントが多く寄せられました。
また、ポルーニンも、「自分はやっぱり踊りが好きだ」と再確認し、再び踊ることを決心します。
親への義務と、内発的なものを生きること
「人間は、誰でも己に課せられた責任を果たさなければならない」
これは、ポルーニンがバレエを辞めようとして母親を訪ねた際、母が述べた言葉です。
その後、この二人の会話は、このように続きます。
「私はバレエのことは分からないけれど、お前を一人前のバレエダンサーに育てるのが、私の責任だと思った。だから、私は、自分の時間を全て投げ打って、お前を学ばせた」(母)
「お母さんは、僕にあれをやれ、これをやれ、と言った。なぜ僕を信頼して、見守っていてくれなかったんだ」(ポルーニン)
映画の中には、ポルトガルやギリシャで出稼ぎをしていたお父さんと祖母のインタビューも出てきます。ポルーニンを育てるために、誰よりも犠牲を払ったのは、彼の両親を含む家族だと思います。
でも、それがポルーニンを苦しめている。
家族というのは、もっとも秘匿性が高く、同時に多様な関係性が存在する場所だと思います。おそらく、「普通の家族」というのは、どこにも存在しない。
僕の友人で、親との関係で苦しんでいる人を何人か知っていますが、人間は皆、親を持っており、親から逃れることができない。
ある意味、人生の矛盾みたいなものが凝縮されているのが、親との関係ではないかと思います。
親子の問題を考える時に、僕が思い出すのが、新約聖書です。
イエス・キリストは「預言者が敬われないのは、その故郷と家族の間だけである」と(マタイの福音書だったと思いますが)批判しています。
つまり、親や故郷の人は、頼りなかった幼少期のことを知っている分、聖人のことを正当に評価できない、ということです。
ポルーニンの場合、恐らくその才能を、誰よりも家族が信じていたと思います。
だからといって、家族が、その内面の苦しみを理解できるわけではありません。
ポルーニンが、親との関係を改善できたのは、前述の「Take me to church」を撮影し、「自分はやっぱりバレエが好きで、踊りたいんだ」という内発的な気持ちに気付いた後。
ポルーニンは、もともと「親に見られると緊張して踊れなくなる」と言って、自分の公演に親が来るのを拒んでいました。
しかし、「Take me to church」後に再びロシアに戻り、活動を再開した後で、初めて両親を自分の公演に招待します。そして、公演後、楽屋で、笑顔で抱き合うことができます。
直接、ポルーニンの口から、親への思いがどのように変わったのかは語られないのですが、内発的な生き方ができるようになったからこそ、親に対する見方も大きく変わったのでは、と思いました。
ダンサーではなく「アーティスト」
ポルーニンのインタビュー記事を読むと、彼はその後、バレエダンサーたちの待遇向上などに関する社会的な活動に取り組んでいるということです。(これは、映画館内にあった別のインタビュー記事にあったのですが、)
バレエ団のダンサーたちは、1日11~12時間、週6日も踊り、給料は安く、さらに強い自己節制を求められます。また、団内の競争が激しく、メンバー同士の嫉妬なども激しいということ。
「もっと、純粋に踊ることを楽しんで、観客に感動を伝えられないか」という観点のもと、ポルーニンは、「プロジェクト・ポルーニン」という取り組みを進めています。
さらに、ポルーニンは「自分の心に正直になった時、出てきたことが“アーティスト”になりたいってことだった」と述べてます。
伝統を守るクラシックバレエのダンサーではなく、自分の内面から生まれてくるものを、できるだけ正直に、自由に生きようとすることに挑戦しているようです。
親との関係を含め、「自分らしく生きる」ことに真摯に向き合っている一人の人間の姿として、このブログにも書きとどめておきたいと思いました。
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