仕事の意味について:「はたを楽にする」ではなく「一緒に幸せになりましょう」と言いたい

2017年7月12日水曜日

雑感

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スパの屋上から見える横浜の夜景

「11日、よかったら横浜のスパに一緒に行かない?」

5日ほど前、ある友人から、そんな連絡をもらいました。

彼とは、大学院時代からの付き合い。
お互い全く別の大学で、別の分野を学んでいたのですが、
大学院生同士の交流会で知り合ったことがきっかけで、
一緒に就職活動に関する勉強会を行ったりしました。

社会人になった後も、1~2年に一度会うなど、
交流を続けていますが、
とても気が利いて、他人を慮る人なので、
今回は、仕事を辞めた僕を案じて、
誘ってくれたのだろうと感謝し、
(彼はそんなことを、おくびにも出しませんでしたが)
早速OKしました。

18時ごろに駅で待ち合わせ、
スパでお風呂に入った後、
一緒にご飯を食べながら、
お互いの近況を報告しました。

彼は、僕が今後やろうと考えていることについて、
「お、動いているねー」「すごく面白い」と、
励ましてくれました。

それから、彼が、
「2020年のオリンピックに向けて、こんなことをやりたい」
と語るのを、楽しく聞いていたのですが、
彼が「やっぱり、楽しく仕事をしたいよね」と言った時、
ふと思いだしたことがあります。

苦しみのいたちごっこ

僕が社会人として仕事を始めたばかりのころ、
ある人から、「働くっていうのは、はた(他人)を楽にする、てことだ」
「他人がやりたくないことをやってあげているから、お金をもらえるんだ」
と言われたことがあります。

その時は、それは正しいのだろうと思いつつも、
どこか釈然としない思いが残りました。

その後、仕事で苦しい思いをしている時に、
この考えに明確な違和感を覚えるようになりました。

というのは、
「俺は今、他人を楽にするために苦しんで働いている。
で、その他人も、別の他人を楽にするために
過労で倒れそうな思いをしながら働いているのだろう。
で、その別の他人も、また別の他人を楽にするために、
過労で倒れそうになりながら、働いている・・・・」

皆が皆、「他の人を楽にするために」苦しみながら働いている状態。

これは、社会全体で見ると、
苦しみの”いたちごっこ”みたいになっているのではないか。

いくら企業が「人々を幸せにする」とうたって
技術を進化させ、サービスを発達させても、
こういう状態では、
社会全体はいつまでたっても幸せにはならないんだろうな、
と思いました。

大人になるのが怖い

そんな話をしながら、さらに思いだしたのですが、
僕は子どもの時、
大人になるのが怖くて仕方ありませんでした。

というのは、自分の身近にいる大人を見ながら、

「大人って、皆、苦しい思いをして働いているんだな」
「社会の中で落伍しないよう、ビクビクしながら生きているんだな」
「生きることは、基本的に苦しみなんだな」
と思ったからです。

その後、多少なりとも社会にもまれて
自分の視野が広がったことや、
キラキラした目をして働いている方に多くお会いする機会があり、
今はそうは思っていないのですが。

ワクワクする仕事を

そんなことを思い出しながら、
聞き上手の彼に、

「こんなこと言うと他の人に怒られちゃうかもしれないし、
クライアントに面と向かって言うのは難しいだろうけど、
本当は、仕事を通して、
クライアントや仕事のパートナー、そして自分たちも含めて
『一緒に幸せになりましょうよ』
って言いたいんだよね」

「あと、自分より下の世代に、
『オレはこれだけ苦労をしてきたんだ。
だからお前もこれくらい苦しめ』
とは言いたくないんだよね。
それだったら、『こうやって苦労を乗り越えてきた』とか、
『苦労はしていてもこんな充実感もあるんだよ』
って伝えたい」

と話しました。


自分の下の世代に、働くことは楽しいことで、
生きることは喜びであると、伝えたい。
そんな姿を見せたい。

僕は弱い人間なので、
大変なことに直面して挫けることは
これから何度もあると思うのですが、
自分なりのささやかな目標として、
持ち続けていきたいと思いました。

そんな話を聞いてもらって、
彼からは改めて、
「お互い、これからワクワクする仕事をやっていきたいよね」
と言ってもらいました。


スパを出た時は、22時を過ぎていましたが、
帰りの駅までの道すがら、
夜風が気持ちよく吹いていました。

忘れたくない一夜として、
このブログに書いておきたいと思いました。








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