僕の人生のうち、アスファルトの上を歩いた時間と、土の上を歩いた時間のどちらが長いだろうか。
考えてみると、僕はほとんど、土の上を歩いた経験がありません。
学生時代にグラウンドを駆け回ったことがほとんどで、社会人になってからは土に触れることすらめったにない生活を送っています。
そんな中、日経ビジネスオンラインで、この記事を見た時にはびっくりしました。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/053000139/053000002/
なんと、千葉の南の方を走る小湊鉄道というローカル鉄道で、駅前のロータリーのアスファルトをはがして、代わりに木を植えるという「逆開発」が進んでいるというのです。
「これは見に行かなくちゃ」と、先日、早速その現場に行ってきました(天気予報を見ないで行ったら、大雨でエライ目に合いましたが。。)
アスファルトの代わりに木を植える
小湊鉄道は、千葉駅から20分ほど行ったJR五井駅から出ている、1~2時間に一本くらい、車両は一つだけという小規模なローカル線です。
「逆開発」が行われている現場は、その終点近くにある「養老渓谷駅」の前。
小湊鉄道は今回、初めて乗ったのですが、周囲には田園風景が広がり、すこし古くて趣の在りそうな駅舎が沢山、車窓から見えました。
行きは地元の人らしき、高齢の方の客層がほとんどだったのですが、帰り道には高校生らしき制服姿の子たちがたくさん乗ってきたので、地元の人には色々と活用されているようです。
五井駅から一時間ちょっとで着いた養老渓谷。
さすがに平日、しかも雨の日と言うこともあって、駅前には誰もおらず、お店もほとんどしまっていました・・・・
もっとも、休日に来るお客さんは増えているということです。
ここは、戦後の高度経済成長期に観光地として栄え、駅前開発が進み、多くの観光バスが止まっていたといいます。
けれども、日本の景気が悪くなると客足が減り、それにつれて、駅前は閑散としたアスファルトとコンクリートの景色だけが残されました。
まだこじんまりとしたレベルですが、今後10年くらいをかけて、ここを森にし、再び観光客を戻す、という戦略のようです。
日本の道路舗装の歴史
日本を旅していて、田舎にいくと「こんなところでも道路が舗装されているのか」と、驚くことがあります。
Wikipediaなどで調べたレベルですが、日本では都市部の道路舗装は戦前からかなり進んでいたようです。
さらに戦後、1952年に道路法が改正され、道路開発に弾みがついたのだとか。
道路がアスファルトやコンクリートで舗装される前は、いろいろと生活が大変だったようです。
雨がふればすぐに泥濘ができて通れなくなるし、乾燥した日には砂埃がひどかったりと。それを考えると、僕たちはずいぶんと便利な時代に生きているんだな、と実感します。
もっとも、それが、味気ない風景を作っているのも事実。
先日、あるラオス関係のセミナーに行ったのですが、写真で現地の農村を見て、木でできた家に住み、道も土のままと、ほぼ自然のものを活用して成り立っている生活の美しさに息をのみました。
多分、日本の古き良き風景みたいなものは、もう見ることはできないんだろうな、と、日本の田舎に行った時に寂しく思うことがあります。
中道の文化
雨が降っていたのですが、せっかくこういう場所に来たので、ちょっと歩いてみたくなり、4キロほど離れた熊野神社まで往復しました。こんな道を、雨の日に歩けるのも、道路が舗装されているおかげ。そうでなければ、危険で山の中に入れず、こんな景色を見ることもできなかったでしょう。
歩きながら考えたのですが、僕たちがこれから何十年もかけて創っていく必要があるのは、「中道」の文化なのかもしれません。
経済成長の時代に行われた開発のおかげで、便利になり、僕たちの経験できる範囲は飛躍的に広がりました。
その反面、景観が損なわれ心の潤いがなくなったり、環境が破壊されているのも事実。
これからの時代は、そのバランスをどう取るのか、より微妙な領域を深く考えていく必要があるのでしょう。
そういう意味で、これからの時代の開発は、より細やかな感性が求められるのかな、と思いました。
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