新潟・十日町「大地の芸術祭」の地で

2017年6月19日月曜日

旅行記

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「農舞台」のレストランはブッフェ形式で、土地の産品を使ったさまざまな料理を出している。このレストラン自体がアート作品でもある


※所用で、6月16~17日に新潟の新潟市・長岡市・十日町を旅しました。その記録です。


新潟県の南部にある十日町市から、私鉄「ほくほく線」に乗って、隣のまつだい駅へ。
車窓からは初め、住宅街が見え、それが田園風景になって、トンネルが続きます。山の中に入っていっていることを実感します。

10分弱ほど電車に揺られた後、出迎えてくれたのは、有名なイリヤ&エミリア・カバコフのアート「棚田」。
そう、ここは、地域おこしやアートイベントの分野で有名な、「大地の芸術祭」の舞台です。

※私は旅行中だったので、長岡からバスで十日町に行き、そこから「ほくほく線」の乗り変えて松代、というルートを取ったのですが、新幹線の止まる越後湯沢駅からも「ほくほく線」は出ているので、うまく乗り継げれば、東京から松代まで2時間強くらいで来れそうです。



「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」は、新潟県十日町市と隣の津南町を舞台に、2000年から3年に1度開催されている国際芸術祭です。
「人間は自然に内包される」というテーマを掲げ、里山を舞台に、さまざまなアート作品が、200もの集落に展示されているということ。

「大地の芸術祭」の実施地域は、十日町、松代、津南、川西、松之山、中里の6つのエリアに分かれるのですが、電車で回れるのは十日町にある「里山現代美術館」と、松代になるので、この時はまず、松代の方を訪問しました。


駅から歩いていく道もアートになっている


遊ぶ子どもたち


まつだい駅のすぐそばにあるアート施設「農舞台」。
行くと、まず、大はしゃぎで遊んでいる子どもたちの姿が。なんだか、見ているこちらも楽しくなりました。





確かに、ここには、「見て鑑賞する」というより「使って遊べる」作品が多く置かれているのです。




この時点で、「普通の美術館に来たわけじゃない」ということを、意識しました。

通常の美術館では、ガラスケースや額縁に入った絵や美術品を、少し離れて鑑賞します。しかし、そもそも、農村とは鑑賞する場所ではなく、働き、生活する場所です。そのため、アートについてもより能動的に関わる、つまり遊んだりして、直接使うことこそ、正しい関わり方なのかもしれません。

自然の中の異物?

「農舞台」の近くの山の中にも、多くのアート作品が置かれています。
今回は、時間の都合もあり、「農舞台」よりも山に行くことにしました。



山を登っていると、次々と、面白いアート作品が出てきます。









これらのアート作品を見つめながら、だんだん、不思議な気がしてきました。

辺りでは時折、ウグイスが「ホーホケキョー」と鳴いています。
棚田をわたる涼やかな風で、木々が静かな波のような音を立てています。
モンシロチョウが、あたりをひらひらと飛び交っています。
そして、晴れた空の太陽の下、木々が美しく揺れています。

それらは時とともにうつろいゆく命の現れです。
そうした中で、古びない素材で作られたアートは、何か一種の”ひっかかり”のように思えます。
「自然はそのままで美しい。アートはむしろ、ここでは異物なのだ」と感じました。





でも、「このアートがなければ、自分はここには来なかったし、この地域の、美しい自然に触れることはなかった」とも思いました。

僕は、都市部で生きてきた人間です。
育ったところは東京に近い位置にある千葉県内で、周りには田んぼなどもありましたが、例えば、そこらに生えている野草をとって食べるといった、自然との直接的な関わりはありませんでした。


「土地と関わる」という時に、僕が思いだすのは、写真家・星野道夫の著作『イニュニック』の一節です。

「カリブーであれツンドラの木の実であれ、人はその土地に深く関わるほど、そこに生きる他者の生命を、自分自身の中にとり込みたくなるのだろう。そうすることで、よりその土地に属してゆくような気がするのだろう。その行為を止めた時、人の心はその自然から離れていく」


昨年、約10ヶ月間にわたり千葉で米作りの勉強に参加したのですが、初めて農作業をある程度体系的にやってみて、「農業、自然を相手にした仕事というのは、これほど大変なのだな」と実感しました。
この大変さから、人間は都市をつくり、自然を遠ざけ、快適な生き方を追求してきたのだと思いますし、それは仕方ないことだと思います。

けれども、今の時代において、都会者である自分が、自然と関わるとはどういうことなのか。過度な便利さの追求が行われた時代を経験した今の僕たちは、おそらく、新しい自然との関係をつくっていくフェーズに入っているのではないか。


そう考えて、再びここのアートを見た時、「アートを通して、自然との関わりを再構築していけるのではないか」と感じました。
例えば、先ほど書いた「遊ぶこと」。遊ぶというのは、自分自身が主体となって、そのものと関係を結ぶことです。
そうして一度関係を結ぶ中で、何か新しい関係を創造していけるのではないか。

と、こんなことを考えていて、「アートとは問い掛けである」という、ある人の言葉を思い出しました。

アート施設「農舞台」


写真は撮ってみたけれど、アートはやはりじっくり見て、そしてその場に居合わせてこそ、その魅力が分かるもの。アートとは、一種の「出会い」なのだと思います。お時間のある方は、ぜひ直接行ってみてください。



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