このブログについて:30代の自分探し、はじめました

2017年6月9日金曜日

このブログについて

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「20年、30年先のキャリアをちゃんと考えて生きろよ!」

僕は先日、会社を辞めて、今はフリーランスのライターとなっています。
前から地域おこしや、持続可能な社会の在り方などに興味があり、その可能性を探りたいと思ってのことなのですが、そんな話を知り合いにしたところ、こんなことを(怒りながら)言われました。

たしかに、20年、30年などあっと言う間に過ぎてしまうので、自分の老後に備えて、明確なキャリア目標を持ち、老後の貯蓄などを計画的に進める必要があるとは思います。


その一方で、「それでいいのか」という、モヤモヤが湧いてきます。

このモヤモヤの正体を、正直、自分でもまだ十分に把握できていないのですが、今の段階で、大づかみに言うと、こんなことかもしれないと思いました。

そもそも、30年後も今の仕事があるのか

最近、東芝が東証2部に格下げになったという話がありましたが、「ザ・日本株式会社」の代表格だった同社の苦境を見ても、世界の経済構造が大きく変わってきたのを肌身で感じます。これから大手企業がどんどんリストラしたり、潰れたりするのでしょう。

しかも、人工知能(AI)だとかモノのインターネット(IoT)の普及によって、なくなる仕事も沢山出ると言われています。
こうした中、「そもそもオレの仕事って、20年、30年先にあるのか」という不安があります。

環境問題etcで、今後世界はどうなるのか?

また、最近の英国のEU離脱や、米国でのトランプ政権の誕生に見られるように、国際情勢で見ても「パックス・アメリカーナ」(米国一強による国際平和)の時代は終わりを告げ、これから激動の変化が待ち構えていると思います。

世界ではかつてないほど人口が増え、100億人を突破することも予想されますが、他方で地球温暖化で干ばつなどが起きる地域が増えているので、今後、食料不足といった問題も深刻化するでしょう。

新聞などを読むと、経済の問題ばかり騒がれているような気がしますが、そもそも環境面で考えても、現代の社会は持続可能ではないと思います。

また、日本社会も、今、地方の過疎化などが騒がれていますが、今後、年金問題とか、福祉の削減とか、色んな問題がますます深刻化すると思います。

こういう中で、今のままの生活を続けていてもいいのか。

幸せな生き方とは?

上記2点は、主に「サバイバル」の観点の話ですが、一方で、生きているからには、幸せに生きて、そして悔いなく死んでいけるようにすることも大切だと思います。

でも、どういう生き方が幸せなのか。

何となく、少し前の日本社会では、「いい会社に入って、いい給料をもらって、安定した老後を送る」ということが、典型的な幸せな生き方というように思われていたと思いますが、前述したように、これからはそうした生き方が難しくなってくる可能性が高い。
(また、そもそも「いい会社で働く」ことが、誰にとっても幸せなわけでもない)

こうした中で、どのような形で、僕たちは幸せを見出すことができるのか。


あるいは、もう少し原理的に考えると、幸せというのは、多くの場合、他者がいて成り立つものだと思います。「自分のやりたいこと」というのも、受け取る他者がいなければ、十分な意味を持ち得ない。

けれども、時に他者はうとましかったり、こちらを抑圧してきたりすることもある。この日本社会の中で、「自分らしく生きることができない」と感じている人は多くいるのでは、と思います。その一方で、他者とのつながりを持てず、孤独に苦しんでいる人も多い。
こうした中で、どのような他者との関係を築けばいいのか。

勇気づけられた言葉

何となく、社会の話ばかり書いているように見えるかもしれませんが、本当に知りたいのは、僕自身の生き方について。

「社会が悪い」「時代が悪い」といった批判をする前に、僕自身の生き方をどうにかしないと、何も変わらないのは分かっているのに、これまで、どうしていいか分からず、いつも何となく世間的な生き方に流されてきた気がします。

でも、30代になって、しかも周りからは「時代の大転換期だ」なんていう声がしょっちゅう聞こえてくる中で、「何となく社会の常識に合わせたり、分かったフリをすることをやめて、立ち止まって考えないと、今後、自分はちゃんと生きていくことができないのではないか」という危機感を覚えるようになりました。


僕の好きな「働き方研究家」、西村佳哲さんの著書『なんのための仕事?』の中に、こんな一節が出てきます。

「違和感を流さずに生きていると、10年くらい経った頃にいつの間にか解消出来ていたり、扱える力が備わっていたりするんです」
(『なんのための仕事?』35ページ)



また、同じく好きな作家である夏目漱石の講演録『私の個人主義』の中にも、こんな一節が出てきます。

「何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。
ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡げて来るのではありませんか。
(中略)もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当るところまで行ったらよろしかろうと思うのです。
必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。またあなた方のご家族のために申し上げる次第でもありません。あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。
もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこだわりがあるなら、それを踏潰ふみつぶすまで進まなければ駄目ですよ。」

(『私の個人主義』。青空文庫でも読めます。http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_33100.html)



「30代にもなって、まだ自分探しをしているのか」
ある知り合いからは、(退職したことについて)こんな風にものすごく怒られたりしたのですが(汗)、自分が感じる違和感に向き合い、言葉にすることを通して、自分の生き方を改めて見つめ直してみたい。
そんな思いから、ブログを始めることにしました。

旅や読書、イベントやセミナー、あるいは他者と話した中から、日々、自分が感じたことをつづっていきたいと思います。








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