「しがらみ社会」に生きる:ラオスの話を聞いて思ったこと

2017年6月22日木曜日

セミナー

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2017年6月21日

昨晩は、東京・虎ノ門にある日本財団ビルで開催されていたセミナー「ラオスの「しがらみのある幸福」」に参加しました。

主催団体は、非営利のシンクタンクとして活動している一般社団法人構想日本。同団体は、幅広い社会の問題について有識者が議論を交わす「J,I,フォーラム」をこれまで開催してきており、今回のラオスのセミナーは第236回になります。

セミナーの様子は、同団体のホームページ(http://kosonippon.org/blog/?p=1225)にアップされていますが、ここでは、セミナーのテーマである「しがらみ」について、考えさせられたことを書きたいと思います。


強いつながりが残るラオス農村


このセミナーは、自然に根差した自給自足経済を営み、強いコミュニティーのつながりを保持しているラオスから、格差や過重労働などの問題に悩む日本が学べることがあるのではないか、という趣旨で開催されました。
ラオスに深い関わりがある、あるいはラオスに在住している4人のパネリストが、それぞれのラオス体験について、スピーチしました。

4人とも、農村での滞在経験があるので、農村の暮らしが話題の中心となりました。
ラオスの農村は、農業で自らの食べるものを得るのはもちろんのこと、生活で使う道具を竹細工や鍛冶などで自分たちで作ります。また、高床式の木造建築の家に多くの人が住んでいますが、こうした家も、長い期間をかけて木材の準備をし、村人たちが協力しあって建てているということです。
また、各家では、綿織物をつくっていて、家族が着る服、市場で売る布、葬式の時に子孫へ相続する財産など、さまざまな意味を持っているようです。

こうした仕事を行っている彼らは、さまざまな場面で協力し合い、共に汗を流しています。そして、ご飯も日常的に一緒に食べています。

驚いたことに、この関係は村の中だけで留まらないということ。
例えば、村人が首都ビエンチャンに移住したりすると、他の村人が「泊めてくれ」と尋ねてきて、数か月も居ついてしまうこともざらにあるようです。
その際、尋ねてくる側は米や食べ物を持ってくる、というのも面白い点で、村での付き合いが、都市部に行ってもそのまま延長されているようです。

複雑な人間関係


こうした村社会を生きているので、当然彼らの中には、さまざまな派閥があったり、複雑な人間関係があります。「あの人の前で、これは言っちゃいけないよ」ということも沢山あるようです。

また、先ほどの、村人が当然のように「泊めてくれ」と言ってくることも、都市部に暮らす日本人の感覚からしたら、プライバシー侵犯のように感じられて、あまり心地よくないのではないでしょうか。

セミナーの中では、このしがらみ社会の是非に関する議論が交わされたのですが、特に二点、印象的な意見が出ました。

第一に、「農村における人間関係のしがらみは、都市部の人間が支払っている保険金のようなもの」というものです。
彼らは、困った時にお互いを助け合うことで、セーフティーネットを作っています。これが生命保険などの代わりになるということですね。
(逆にいえば、生命保険のようなサービスは、都市化と個人化が進んだから出てきたということでしょう)

第二に、「東京のような都会に来ても、しがらみから逃れられるわけではない」ということです。
というのは、会社なども結局、村社会的な人間関係が在るわけで、やはり苦労させられることが多いからです。しかも、村の中ではある程度フラットな関係が築きやすい一方で、会社では明確な上下関係が生まれます。

都会の自由って?

こうした点を踏まえつつ、登壇者の方々は全体的に色々としがらみがありつつも、ラオスの社会を愛している様子が伺えました。

とは言いつつ、やっぱり日本では、「田舎は窮屈」といった声も大きいと思います。
僕自身が直接、田舎で長期滞在した経験がないので、想像+他人の意見を聞いたことでしかないのですが、都会が自由だと感じるなら、どのような点なのか、ということを考えてみました。

・仕事以外で、人とあまり関係を持たなくてもいい。

会社ではしがらみに巻き込まれるかもしれませんが、プライベートに関しては、基本的に他人とあまり関わりを持たなくてもいい場合が多いと思います。
例えば、道路掃除といったコミュニティーの協働作業も、東京ではあまりありません。基本的に、東京では「仕事に行って、家には寝に帰るだけ」という生活が成り立ちます。

その分、アパートなどでは、「隣に住んでいる人の顔も見たことがない」という状態があります。


・金があれば、すぐにモノを買えて便利(消費の自由度が高い)

東京では、「これでもか」というほど、過剰なくらい色んなお店があちこちにあります。
そのため、(僕もよくやりますが)「小腹がすいたから、コンビニ行って何か食べよ」と気軽にできます。

もっとも、これは逆に、「カネがなければ、何にもできない」ということの裏返しでもあります。
都市部だと、畑で食べ物を自給することもできないし、騒音だとかスペースの問題で、DIYとかもやりづらいでしょう。消費の自由度が高い反面、自給の自由度はとてつもなく低いのが都会だと思います。


・多様な価値観の人に出会いやすい

都会は人間の数が多い分、色んな人が住んでいます。例えば、僕はマインドフル瞑想の集まりに定期的に参加したりしていますが、こうしたニッチな集まりがそこかしこにあります。
自分で行動することさえできれば、興味があうコミュニティーを見つけることがしやすいと思います。
(もっとも、そのコミュニティーがどのくらいの強さのつながりを持っているかは、コミュニティー次第だとは思いますが)

逆に田舎の場合、よく聞くのか、「田舎の画一的な価値観(学校の場合は、スクールカースト)が嫌い」という意見です。同じ流行りに合わせなければ変人扱いされてしまう、といった点を嫌がる人は多いと思います。





こういう点に関する好き嫌いが、自分の生活する場所を選択する上で重要だと思いますが、これをヒントに今後の自分の生き方を考えてみたいな、と改めて思いました。





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