子どもの心で世界を見る感性:石牟礼道子さんの『あやとりの記』

2018年2月17日土曜日

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昨年に旅した熊本で取った写真
「ひゅうー、ばーん。はい、お兄さんが優勝〜」

夜19時半。錦糸町のカフェ。目の前で、4〜5歳くらいの女の子2人が、空になったフライドポテトの容器でおままごとをしている。

どんな話かは分からないけど、きっと、2人だけのワクワクする物語を描いているのだろう。その楽しそうな様子を見ていて、僕も嬉しくなり、つい聞き耳を立ててしまった。

今日は所用で千葉に行った。17時過ぎ、帰りの電車に揺られていると、窓から暮れなずむ町並みが見えた。

空に闇が深まるにつれて、窓ガラスには、町並みと、自分の姿が二重写しになっていく。

その光景を見つめながら、ふと、子どもの時に戻ったような気持ちになった。

子どものとき、世界は不思議で満ちていた。

風が吹いて木々が揺れると、「まるで潮騒のような音だな」と感じ、自分が海の中で泳いでいるような気持ちになった。

近くの林を見ると、「この中に、異世界に通じる穴があるんじゃないか」と想像力を掻き立てられた。


大人になって、ともすると世界が色あせて見えることが増えている。「いつも同じ、くたびれた風景」「変わらない日常」。危機的状況か、つまらない日常か。

いつの間にか、その2つの時間しか、感じ取ることができなくなっている自分に気づく。

そんな中、子どものころの気持ちを思い出させてくれたのが、石牟礼道子さんの作品だった。

「子どもの心で世界に見る感性」を教えてくれた人

2018年2月10日、石牟礼さんの訃報を聞いた。享年90歳だったという。

熊本県出身の作家、石牟礼道子さんは、水俣病を題材とした『苦海浄土』という作品(ノンフィクションのようだが、厳密にはノンフィクションではない)で知られている。

『苦海浄土』は、水俣病にかかった人々の悲惨な状況などを克明につづっているため、彼女は「公害闘争のジャンヌ・ダルク」のように見られる向きもあるという。

だが、自分にとって、石牟礼さんは、何より「子どもの心で世界に見る感性」を教えてくれた人だった。

自然の神秘を描く『あやとりの記』


石牟礼さんの代表作の一つに、『あやとりの記』という作品がある。これは、石牟礼さんが3歳の時の思い出を基に描かれた童話だ。

石牟礼さんは、もともと熊本の天草に生まれ、子どもの頃に水俣に引っ越してきた。当時の水俣は、海と山の豊かな自然に囲まれ、古い漁村の文化が息づく場所だったらしい。

『あやとりの記』では、人間の世界を理を少し外れているような不思議な人たちや、動物たち、あるいは「山の神さま」的な存在との交流が描かれている。

とは言っても、スタジオジブリの映画「となりのトトロ」や「もののけ姫」に出て来るような、完全に架空と思えるような生き物が登場するわけではない。(似ている部分はあるけれど)

むしろ、風がざわめく音、雪がしんしんと降り積もる静けさ、川の流れ。そういった自然の神秘に誘われ、彼女が「神さま」のような存在を感じる様が描かれている。

それは、本当にレイチェル・カーソンが言うところの「センス・オブ・ワンダー」に満ちた世界で、風が吹いて木立が音を立てること、太陽で空がキラキラ輝くこと、そうした一つ一つの事象が、あたかも奇跡のような美しさで描かれている。


中でも面白いのが、石牟礼さんが、無機物を、あたかも生きているかのように描写していることだ。

例えば、第一章「三日月まんじゃらけ」では、冒頭、彼女の村に雪が降るシーンがある。その中で、このような描写が登場する。


「地蔵さまはうごかぬ肩のまま、杉の梢は、夕暮れの静寂を吸い込んで呼吸をととのえました。世界は物語と音楽に満ち、それはみっちんがはじめて聴いた、ものたちの賑わいの時間でした。青い橙の実は、固くて丸い自分の色で、自分の調べを唄い、燕を載せていない電線が、沖の島に向かって、今から音譜を入れられる譜線のように銀色に浮き出ていました。その気配たちは、雪を被いている自分の形を抜け出して、いっせいに囁き交わしてはいましたが、てんでんばらばらにべつべつのことを語っているというふうではありませんでした。ものたちは、宇宙の呼吸に、あの低められた静かな呼吸にうながされて語り、あるいは唄っているように思えました」
(『あやとりの記』22P)


こうした感覚に関して、『あやとりの記』のあとがきで、石牟礼さんは

「おもかさま(少し気違いになってしまっている石牟礼さんの祖母)と二人づれだったので、あらゆる森羅万象は人格をもち、人間よりは深い対話の相手でありえた。ありがたいことである」

と書いている。

「森羅万象は対話の相手であった」

すべての物が、人格を持ち、対話できる相手でありうること。

こういう感覚について書いている作家はあまり見かけないが、これは、意外と身近な感覚でもあると思う。


先日、仕事の関係で、あるタクシー運転手の方の話を伺う機会があった。

今のタクシーはほぼオートマ車だが、もともと車自体が好きな彼は、プライベートでマニュアル車に乗っているという。

「クラッチを調節したりしていると、なんだか車の”気持ち”が自分が対話しているような感覚になるんですよね。自分が、いかに車の気持ちを分かってあげられるか、その”対話”しているような感覚が、楽しいんですよね」

僕自身は車の運転に非常に苦手意識を持っているが、この話には深い共感を覚えた。

(僕も、例えば仕事でカメラを使うことがあるが、撮影の前にカメラに向かって、「今日は一緒にがんばろうな」などと言ったりしている)

石牟礼さんの場合、自然豊かな地域で生まれ育ったこともあり、「森羅万象との対話」という感覚は、本当にさまざまなものに広がっている。

現代文明の中では、世界を感じる感性は生かせない?

石牟礼さんの場合、現代社会の機械文明に対しては、かなり嫌悪感を持っていたようだ。

『あやとりの記』のあとがきには、同時に、故郷の熊本に関して「どこもかしこもコンクリートで塗り固めた、近代建築」「高速道路にそう情けない都市」と批判をあらわにしている。

だから、きっと僕が、『あやとりの記』と車の話を関連させて書いているのは、天国でさぞ心外な思いをされていると思う。

ただ、個人的には、彼女を単に「自然を賛美し、現代社会を批判した人」という狭い枠に閉じ込めたくない気がする。

僕自身は、石牟礼さんの嫌う現代文明にどっぷりと浸かりながら育ってきた人間だ。

東京の近郊で生まれ、子どもの時から、近くの空き地しか、自然らしい自然はなかった(その中で、バッタやカマキリ、セミをよく捕まえたりしていたが)

そうした自分だが、彼女の作品に直観的に心惹かれるものがある。

そうした人間として、彼女の作品の持つ意味、魅力を、自分なりに解き明かしてみたいと思っている。


ちなみに、「森羅万象が対話相手である」といった感覚は、宮沢賢治の作品にも見られるが、賢治の場合、鉄道をはじめ機械に対して、もっと愛着を持っていたように思える。

これは、飢饉で苦しめられていた東北で育った宮沢賢治と、貧困状態ではあれ東北よりは多少マシだった熊本に育った石牟礼さんという、社会状況の違いが反映しているのかもしれない。

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