先日行った神奈川県の小田原駅前で取った写真 |
夕方17時半、JR川崎駅前のマクドナルドにて。
1月後半に入ってから、日が長くなってきた。まだ2月だから、これからも寒さがぶり返すだろう。でも、季節は、春への歩みを着実に進めていると感じる。
この3連休は、疲れのせいか、なかなか雑念が去らなかった。
何かを楽しもうとしたり、英語の勉強に精を出そうとしたりしても、悩みごと(仕事と私生活の両方)が脳のあちこちから噴き出してきて、目の前のことに集中できなかった。
今日の午後、ヨガ教室に行ってリラックスをした。それで、ようやく、体中の凝り固まった部分がほどけてきたように感じる。
そうして、リラックスをした目で見ると、暮れなずんでいく街は、本当に美しかった。
明日は、何が待っているのか分からない。また、難しい問題が起こるのかもしれない。
でも、今のこの時間、自分がここにいて、この美しさを眺めていられることを、噛み締めたいと思う。
2月5〜11日
灰色に思える一日も、思い返してみると、意外とグレーではなかった
この1週間は、仕事がうまく行かないことが多く一日の終わり、疲れた気持ちを引きづったまま帰途に付くことが多かった。「今日は、感謝日記に書けることなんて、何もないかも」
帰りの電車の中で、ため息をつきそうになることも多かった。
だが、就寝前、いつものノートを開きながら一日を思い返してみて、「いや、そんなことはないな」と気付いた。
例えば、木曜日は、お弁当(自分の場合は、ただのおにぎりだが)を食べながら、同僚と話をしていた際、ひょんなことから、馬の話題になり、3年前、北海道の帯広を旅行したことを思い出した。
帯広では、農耕馬が重たい荷物を引きながら競争する「ばんえい競馬」という独特の競馬を開催している。
個人的にとても好きなマンガ『銀の匙』(荒川弘さん作)の中に、この「ばんえい競馬」が登場することもあり、一度見てみたいと旅行中、競馬場に足を踏み入れた。
その時の、競馬場のどこかのんびりした雰囲気や、『銀の匙』の立て看板が立っているお店で食べた豚丼の味が、ふと、自分の中に蘇ってきた。
その時も色んなことで悩んでいたが、雪が降り積もった道を歩きながら帯広神社でお参りしたことなどを懐かしく思い出し、幸せな気持ちになる。
一日の終わりがうまくいっていないと、その日すべてがグレーだったように思い、いつの間にかネガティブな思いの泥沼にはまってしまう。
でも、そうでないことに気づかせてくれた、さまざまな人やものに、改めて感謝。
赤ちゃんを抱っこする
土曜日は、相談ごとがあり、大学時代の友人宅を訪ねた。彼女の家には、生後3ヶ月くらいの赤ちゃんがいた。僕は普段、赤ちゃんに触れる機会がほとんどないので、はじめは戸惑ったが、まだ人見知りをしない年らしく、抱っこをさせてもらった。
おくるみに包まれた小さな生き物を恐る恐る両腕に抱えてみると、その体温が伝わってきた。
「けっこう重たそうだな」。傍目からはそんな風に思っていたが、赤ちゃんの温もりを感じているうちに、ふっと、自分の中から暖かい力が湧いてくるような気がして、あまり重たく感じなかった。
街中で赤ちゃんをだっこしているお父さんやお母さんを見るたびに、「重くて疲れそうだな」と思っていたが、彼らもこんな暖かい力を感じているのかもしれない、と思った。
赤ちゃんは、つぶらな瞳でこちらを見つめていたかと思い出すと、泣き出す。ご飯を上げると、今度はうっつらうっつらとなる。
自分を含む理屈っぽい大人たちが、一度はこのような姿だったことを考えると、なんだかこの世界の不思議に対面している気になってくる。
赤ちゃんと一緒にいると、なんだか自分も、いつもとは違う時間の流れの中、違う世界の中に浮かんでいるような気がした。
そんな経験をさせてくれた友人と赤ちゃんに感謝。
作家・石牟礼道子さん追悼
水俣病について書いた文学作品『苦海浄土』で知られる作家、石牟礼道子さんが2月10日に亡くなった。「あなたの好きな作家は誰か」と質問された時、自分にとって最初に思い浮かぶ人が、石牟礼さんだった。
長年パーキンソン病で患っていたという話を聞いていたが、「とうとう・・・」と感じた。享年90歳だったという。
11日の朝に石牟礼さんの訃報をネットニュースで見た後、彼女の代表作の一つ『あやとりの記』を本棚から取り出し、この2日間、隙間時間を縫って読んでいる。
水俣病の問題を書いた、というと、政治的なジャーナリズムのようにも聞こえるが、彼女は何より、「この世界はさまざまなものがつながり合って存在している(仏教の言葉では”縁起”)」ということを、その作品を通して深く感じさせてくれた人だった。
石牟礼さんの作品が教えてくれたものはあまりに多く、とても簡単に書けるものではない。
でも、この奇跡のように美しい日本語作品をこの世に産み落としてくれた存在に対し、今、ここでいったんキーボードを打つ手を止め、1分ほど黙祷を捧げた。
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