ガンジス河で日向ぼっこする牛 |
2019年、明けましておめでとうございます。
昨年は、皆さんにとって、どんな年でしたか?
僕は、転職した一昨年に引き続き、自分の今後のあり方を模索した年でした。
それらを振り返りながら、「さて、今年の抱負はなんだろう」と考えてみました。
(Facebookに多くの人が抱負を書き込んでいるのを見て、「オレもそれっぽいことを考えにゃアカン」と焦ったのです)
とりあえず、英語や、ヨガの呼吸法をもっとしっかり学びたい。そんなところは思いつく。
でも、「なんか違うなあ」という気もする。
この年末年始はインドを旅したのですが、そのことも踏まえつつ、改めて考えてみました。
片道5年間の道を辿った玄奘
上海・浦東空港で記念撮影する中国人の家族 |
今回は、成田から上海を経由してインドの首都・デリーに向かった。
気流などの関係で、上海からデリーへは7時間以上かかる。
途中、読書に疲れたので、モニターで映画『マッドマックス 怒りのデスロード』を観ることにした。
機内の騒音でセリフが聞き取れなかったので、半分くらいで観るのを止めてしまったが、果てしない砂漠を疾駆する主人公たちの姿に、ふと、あることが思い浮かんだ。
7世紀の中国の仏教僧に、玄奘(げんじょう)という人がいる。
正しい仏教の教えを学ぶため、中国からインド(当時は天竺)に旅した、いわば”海外旅行の大先輩”だ。
孫悟空や猪八戒が活躍する伝奇小説『西遊記』の主人公、三蔵法師のモデルでもある。
子どもの時に読んだ中国の歴史マンガに、彼が命がけでタクラマカン砂漠を越えていく場面が描かれていた。
『マッドマックス』を観ていて、ふと、このシーンを思い出したのだ。
(自分がその時、中国からインドへ向かう飛行機の中にいたこともある)
当時、道は十分に整備されておらず、山賊に襲われる危険もあった。
そんな中、玄奘は5年以上かけてインドに行き、ナーランダ僧院で学んだ後、再び5年以上をかけて仏教の経典を持ち帰る。
上場企業の4半期決算をはじめ、現代は、短期間で成果を出すことを常に求められる時代だ。
その目線で見ると、一つの場所に行くために5年以上もかけるなど、信じられない気がする。
誰もが自分らしく生きていける世の中
自分には、「誰もが自分らしく生きていける世の中」こそ、一番良い社会だという直観がある。さまざまな性格・資質の人が、それぞれに合った生き方をして、人生を全うして死んでいけること。
この原体験の一つは、20代半ばで初めてヨガを体験した時にさかのぼる。
鬱っぽかった当時の自分は、インストラクターの先生から、
「他人に合わせるのではなく、自分の心と体の声を聴きなさい」
と言われたことに、衝撃を受けた。
その後、ヘルマン・ヘッセの小説『シッダールタ』で、悟りを開いた人であるはずのシッダールタが愛に迷う姿を見て、
「自分の愚かさをしっかり生き切った方が、最終的に『人生を全うした』と思えるのではないか」
と感じた。
※
ただ、「自分らしい生き方」って、いったいどんな生き方なのか。
そもそも、自分というのは、他の人・ものとの関係の中で成り立っている存在だ。
社会の中にいながら、自分らしく在れる生き方とは、果たしてどのようなものなのか。
自分が自分らしく生きることを通して、他者も自分らしく生きられるようにする。それは、どのような在り方なのか。
これに、自分なりに納得する答えを出したいのである。
これは、お金を稼ぐ仕事とは直接は関係がない。
ただ、昨年いろいろと考えた中で、自分の本質は、事業をやったりすることよりも、この疑問に向き合うことにある気がしている。
こんなことをおおっぴらに言うと、
「30代だったら、ちゃんとしたキャリアプラン立てて、貯金して、結婚しなきゃダメでしょ!」
と怒られるので、外向けには英語学習の目標を立てたりしているが。。
※
玄奘が、行き着けるかどうか分からない危険な旅を続けていた時、どんな思いだったのだろうか。
きっと、「真の仏法を求めるこの旅路で、いつ死んでもいい」という覚悟で、一時一時を生きていたのではないか、という気がする。
自分は、玄奘のような偉人に比べるべくもない、卑小な人間である。
(この歳になって、ようやく、自分のちっぽけさがよく分かってきた)
ただ、卑小な人間なりに、自分の「天竺への旅」を続けたい。
いつ答えが出るか分からない疑問に、向き合い続けたい。
「今年の抱負」ではないけれど、この偉人について思い浮かべながら、改めてそう思った。
当たり前でないこと
ガンジス河のほとりを散歩する家族 |
今回、インドを旅してみて、なにか悟りが開けたわけではない。
それでも、気づいたことがある。
今の自分の生活は、多くのものに支えられて成り立っているということだ。
今回、宿泊先の安宿で、お湯が出ず、寒さに震えながら水浴びをすることが何度もあった。
世界一汚染されているデリーの空気に、喉を痛めた。
道端で、ボロボロの格好をした物乞いを多く見かけた。
物質的な豊かさが、必ずしも良いとは限らない。
それでも、温かいシャワーを浴びることができて、きれいな布団で休める場所に住めること。
日々の生活を賄う給料が得られる仕事に就けていること。
それも、当たり前のことではない。
「あれもない、これも足りない」と思いがちな心を、いったん深呼吸で落ち着かせながら、
「とりあえず、生きていればOKかな」
自分という存在を成り立たせている人・ものに感謝をするところから、今年も始めたいと思うのである。
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