「今年の抱負」を立てられない30代の抱負:天竺(インド)への旅に寄せて

2019年1月3日木曜日

t f B! P L
ガンジス河で日向ぼっこする牛

2019年、明けましておめでとうございます。

昨年は、皆さんにとって、どんな年でしたか?

僕は、転職した一昨年に引き続き、自分の今後のあり方を模索した年でした。

それらを振り返りながら、「さて、今年の抱負はなんだろう」と考えてみました。

(Facebookに多くの人が抱負を書き込んでいるのを見て、「オレもそれっぽいことを考えにゃアカン」と焦ったのです)

とりあえず、英語や、ヨガの呼吸法をもっとしっかり学びたい。そんなところは思いつく。

でも、「なんか違うなあ」という気もする。

この年末年始はインドを旅したのですが、そのことも踏まえつつ、改めて考えてみました。

片道5年間の道を辿った玄奘

上海・浦東空港で記念撮影する中国人の家族

今回は、成田から上海を経由してインドの首都・デリーに向かった。

気流などの関係で、上海からデリーへは7時間以上かかる。

途中、読書に疲れたので、モニターで映画『マッドマックス 怒りのデスロード』を観ることにした。

機内の騒音でセリフが聞き取れなかったので、半分くらいで観るのを止めてしまったが、果てしない砂漠を疾駆する主人公たちの姿に、ふと、あることが思い浮かんだ。

7世紀の中国の仏教僧に、玄奘(げんじょう)という人がいる。

正しい仏教の教えを学ぶため、中国からインド(当時は天竺)に旅した、いわば”海外旅行の大先輩”だ。

孫悟空や猪八戒が活躍する伝奇小説『西遊記』の主人公、三蔵法師のモデルでもある。

子どもの時に読んだ中国の歴史マンガに、彼が命がけでタクラマカン砂漠を越えていく場面が描かれていた。

『マッドマックス』を観ていて、ふと、このシーンを思い出したのだ。

(自分がその時、中国からインドへ向かう飛行機の中にいたこともある)

当時、道は十分に整備されておらず、山賊に襲われる危険もあった。

そんな中、玄奘は5年以上かけてインドに行き、ナーランダ僧院で学んだ後、再び5年以上をかけて仏教の経典を持ち帰る。


上場企業の4半期決算をはじめ、現代は、短期間で成果を出すことを常に求められる時代だ。

その目線で見ると、一つの場所に行くために5年以上もかけるなど、信じられない気がする。


誰もが自分らしく生きていける世の中

自分には、「誰もが自分らしく生きていける世の中」こそ、一番良い社会だという直観がある。

さまざまな性格・資質の人が、それぞれに合った生き方をして、人生を全うして死んでいけること。

この原体験の一つは、20代半ばで初めてヨガを体験した時にさかのぼる。

鬱っぽかった当時の自分は、インストラクターの先生から、

「他人に合わせるのではなく、自分の心と体の声を聴きなさい」

と言われたことに、衝撃を受けた。

その後、ヘルマン・ヘッセの小説『シッダールタ』で、悟りを開いた人であるはずのシッダールタが愛に迷う姿を見て、

「自分の愚かさをしっかり生き切った方が、最終的に『人生を全うした』と思えるのではないか」

と感じた。

ただ、「自分らしい生き方」って、いったいどんな生き方なのか。

そもそも、自分というのは、他の人・ものとの関係の中で成り立っている存在だ。

社会の中にいながら、自分らしく在れる生き方とは、果たしてどのようなものなのか。

自分が自分らしく生きることを通して、他者も自分らしく生きられるようにする。それは、どのような在り方なのか。

これに、自分なりに納得する答えを出したいのである。


これは、お金を稼ぐ仕事とは直接は関係がない。

ただ、昨年いろいろと考えた中で、自分の本質は、事業をやったりすることよりも、この疑問に向き合うことにある気がしている。

こんなことをおおっぴらに言うと、

「30代だったら、ちゃんとしたキャリアプラン立てて、貯金して、結婚しなきゃダメでしょ!」

と怒られるので、外向けには英語学習の目標を立てたりしているが。。


玄奘が、行き着けるかどうか分からない危険な旅を続けていた時、どんな思いだったのだろうか。

きっと、「真の仏法を求めるこの旅路で、いつ死んでもいい」という覚悟で、一時一時を生きていたのではないか、という気がする。

自分は、玄奘のような偉人に比べるべくもない、卑小な人間である。

(この歳になって、ようやく、自分のちっぽけさがよく分かってきた)

ただ、卑小な人間なりに、自分の「天竺への旅」を続けたい。

いつ答えが出るか分からない疑問に、向き合い続けたい。

「今年の抱負」ではないけれど、この偉人について思い浮かべながら、改めてそう思った。

当たり前でないこと

ガンジス河のほとりを散歩する家族

今回、インドを旅してみて、なにか悟りが開けたわけではない。

それでも、気づいたことがある。

今の自分の生活は、多くのものに支えられて成り立っているということだ。


今回、宿泊先の安宿で、お湯が出ず、寒さに震えながら水浴びをすることが何度もあった。

世界一汚染されているデリーの空気に、喉を痛めた。

道端で、ボロボロの格好をした物乞いを多く見かけた。


物質的な豊かさが、必ずしも良いとは限らない。

それでも、温かいシャワーを浴びることができて、きれいな布団で休める場所に住めること。

日々の生活を賄う給料が得られる仕事に就けていること。

それも、当たり前のことではない。

「あれもない、これも足りない」と思いがちな心を、いったん深呼吸で落ち着かせながら、

「とりあえず、生きていればOKかな」

自分という存在を成り立たせている人・ものに感謝をするところから、今年も始めたいと思うのである。



QooQ