クリスマスに帰省して:地元嫌いに関する考察

2018年12月24日月曜日

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家の近くのお寺

クリスマスの帰省で考えたこと

皆さん、地元って好きですか?


クリスマスの3連休に帰省した。実に1年半ぶりだ。

今年の年末年始は海外で過ごす。だからその前に、実家に一度帰っておこうと思った。

結婚もせず、大して稼いでもいない30代の息子の帰省。それが、快いものでないことは、想像に難くないだろう。

まあ、とどのつまり、怒られに帰るようなものだ。

親世代とは時代が異なること、自分には違う生き方があること・・・。いろいろと思うことはある。

でも、今の自分に、親を説得できるだけの確信があるわけではない。親をバチッと納得させられるような言葉を紡げるわけではない。

(まあ、30代の息子をあんまり怒っても、帰って来なくなるだけなので、親も適当に手心を加えてくれるが)


親との関係はかなり複雑なので、正直なところ、まだここで書けるほど自分の中でもまとまっていない。

なので、今回は別のことを書きたい。

正直なところ、自分は地元というものが苦手である。

好きな女の子がクラス中にバレてしまうことを恐れる中学生のような、気恥ずかしさと言おうか。

そんな言い知れない不安を、地元に帰る際はだいたい味わうのである。

「地元に戻るとほっとする」という人もいるだろう。

ただ、やはり世の中には、自分と同じように、地元に対してある種の不安を抱いている人はいるのではないかと思う。

この感情は、どんな原因で起きるのだろうか。

実家に帰る電車の中、暗い田園風景を眺めながら、つらつら考えてみたことを改めてまとめてみた。

(クリスマスイブに一人でこんな分析をやっていることに関しては、とりあえずツッコミはご容赦願いたい)


地元に対して感じる3つの不安



自分の感情を内省してみるに、地元に対する不安には、主に3つの要因があるように思う。


不安の原因1:黒歴史

誰でも子どもの時には、何かしら「黒歴史」があるものだろう。

調子に乗ってとんでもないことをしたり、バカをしたり。今思い返すと、赤面するようなこと。

地元に戻ると、否応なしにそうしたものを思い出してしまう。

すでに笑い話として済ませられるようになったものなら、何も恐れる必要はない。

(個人的に、例えば小さい頃にオネショしてしまったくらいは、笑って流せるようになった)

でも、他にまだ、笑って流せない記憶が色々と自分の中にわだかまっているのだろう。



不安の原因2:劣等感

人間というのは誕生時、誰もが裸一貫で、何も持たずに生まれてくる。

その後、教育を受け、仕事をする中で、格差が開いていく。

だが、年を取ると、誰もが同じく死という平等な地点に向かって進んでいく。

以前、思想家・吉本隆明の本で、このような考え方を目にしたのだが、30〜50代あたりは、格差が最も広がる時だと思う。

そうした中、自分より成功している同期を見たら? 

学生時代は皆がそれなりに平等だと思っていても、社会的成功の差を見せつけられたら、大体の人が、劣等感を刺激されずにはいられないのではないかと思う。

(特に、今の自分の人生に不満を持っていると、余計に劣等感が激しく燃え上がるものである)


不安の原因3:新たなトラブルの種

大人になると、交友関係の傾向がある程度決まってくる。

だいたいの人が、一緒にいて心地いい人を自然と選ぶようになるからだ。

(職場などは別だけど、少なくとも交友関係についてはそうだ)

その一方で、子どもの頃というのは、多彩な家庭の子どもたちが交じり合うカオスな中で交友関係が築かれる。

当然そこには、不快な人間関係も発生する。そうした相手と、もしまた出会ったら? 新しいトラブルが起きるかもしれない。

そんな恐れが無意識の中にあるのかもしれない。

地元も無常である


ただ、こうやって原因を書き出してみると、意外と大したことではないかもしれないという気がしてくる。

一つ一つ、自分の感情を解きほぐして、整理してやると、どれにもそれなりに対処法が見つかりなのだ。

それは、また機会を改めて書きたいけれど。

そんなことを考えながら今回、帰省してみて驚いたのは、地元にさまざまな変化が見受けられたことである。

家の近くにあるお寺に寄ってみると、英語が併記された看板が建てられていた(以前は、文字が霞んだ古い看板しかなかった)。

僕が大学生の時、企業のデータセンターが置かれるようになり、外国人エンジニアが増加したのだが、今や外国人観光客も来ているようだ。

また、自分が住んでいる住宅街では、昔は古ぼけたクリーム色の建物ばかりだったが、今回見てみたら、おしゃれな茶色に塗り直されていた。

自分は、不安の中で「地元とはこういうもの」と固定観念を抱いていた。

しかし、地元も常に変化し続ける、無常の中にある。

そんなことを感じたクリスマスだった。


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