宿命論と運命論

2018年12月2日日曜日

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渋谷の占い

ふと思い立って、先週末の夜、占いに行った。二、三千円で受けられる気軽なものだ。

「●月には、あなたに運命の人が現れます」

これまで占いには何度か足を運んだことがあるが、残念ながら、こういった将来予測が当たったためしはない。

しかし、占い師と話していて良いのは、人生を見つめるきっかけになることだ。

「あなたは●●といった人ですよね」

「あなたの性格を踏まえると、こんな点に気をつけた方がいいですよ」

こうした話を聞きながら、「自分はそもそもどういう人間なのか」「自分はどうしたいか」を、己に問い直す。

占いには、カウンセリング的側面があると言って良いかと思う。

この日は、渋谷の店に寄った。対応してくれたのは、70過ぎくらいの男の占い師。占い師は女性比率が高いから、ちょっと珍しかった。

彼は、人相・手相見が専門だ。僕の顔をじっと見て、それから右手を取った。

「あなたは人の上に立つ相が出てますね。これから出世して、お金にも恵まれるでしょう」

「あなたは我が強くて、上司とよく喧嘩をするでしょう。たまには妥協することを覚えた方がいいのでは」

「その一方で、あなたには今ひとつ臆病で、センシティブなところもありますね。細かいことが気になって、不安になっちゃうタイプでしょう」

「あと、あなたは仕事人間で、家庭を大事にしないタイプですね。家庭をどう作っていくかは、これからの課題でしょう」

大体、こんなことを言われた。当たっていると思う点もあるし、当たってないと思う点もあった。

占いと運命論

今回占いを受けながら、ふと考えたことがある。

占いとは、2つの哲学をベースに成り立つ業ではないだろうか。つまり、

「運命論」
「宿命論」

である。

「運命」「宿命」という言葉は、使う人によって解釈は分かれるだろう。ただ、日本語での一般的な使用法を踏まえた上で、以下のように考えられると思う。


運命とは将来予測

運命とは、基本的に将来に関わるものだ。タロット占いや星占いなどは、基本的に将来予測を念頭に置いている場合が多いように思う。

「●月にあなたの運気は上がります」

「●月に、あなたの人生を変える大きな出来事があるでしょう」

こういう占いの場合、だいたい、こんなことを言われるが、この場合、考えることは比較的シンプルだ。

「運命の人との出会い」みたいな話だったら、「なんか棚ぼた式にラッキーなことがあるかも」という、ふわふわした期待感でいればいい。

良いことが自動的に起こるのであれば、ただ運気が悪くならないようにだけ注意をしながら、巣を張る蜘蛛のごとく待っていればいいのだから。

ただ、考える必要があるのは、運命によって不幸が訪れたり、あるいは望みが阻まれたりする場合だ。

しょせん、人間が自分の力でできる範囲は限られている。ひと一人の気持ちですら、思うようにならない。

自分の落ち度がなくても、不幸が降り掛かってくることはある。どんなにがんばっても、物事がうまく行かない時もある。

そうした、ネガティブな運命が降り掛かってくる時に、どういった心構えで受け入れるのか。ここは、個々人の存在のあり方が問われる点ではないかと思う。


なお、運命と言うとオカルトチックに聞こえるかもしれないが、個人的には、ビッグデータ解析でやろうとしていることを、多少別の形でやっているだけのような気がしている。

将来、宇宙全体の素粒子の動きをビッグデータで解析できるくらいになれば、運命も多少は科学的に解析できるかもしれない。


宿命とは「種」

他方で、宿命とは、「命に宿る」とある通り、その人がもともと持っている「種」のようなものだと思う。

現代的に言うと、遺伝子と生まれた社会環境の話と言ってよいだろう。

「自分がどんな性格や傾向を持って生まれてくるか」

「自分がどんな社会環境で生まれてくるか」

これは、自分では選べないことだが、これらはあくまで「種」なので、それをどう育てていくか、あるいはどう捉えて生かしていくかは、自分次第ということになる。

ある意味、運命論よりも、考える幅が広く、一種のクリエイティビティーを求められるのだ。

宿命論を考える2つの視点

ジャンヌ・ダルクといった歴史上の人物たち。あるいは映画『君の名は』の主人公たちのような場合は、「運命」が人生に占めるウエートがかなり重たいだろう。

ただ、そんな劇的な運命は、大抵の人にはない気がする。

そういう意味では、たいていの場合、考えるべきなのは宿命論だろう。

今回の占い師の話を聞いていて、「あなたは人の上に立つタイプ」「お金にも恵まれる」といった話は、今の自分の現実とかけ離れていて、あまり同感できなかった。

ただ、1点、心に引っかかった彼の言葉がある。

「あなたはかなりセンシティブで臆病な部分がありますね」

という指摘だ。

自分は他人に比べて、臆病だし不安になりやすい。この、常に湧き出してくる不安と向き合うことこそ、自分の宿命なのだろうと思う。

宿命と向き合うには、2つの選択肢がある。

第一に、自分の宿命を変えるよう努力すること。

自己啓発本などでは、ポジティブシンキングを培う方法が紹介されているが、このように自分の性格を変えようと努力することがその類だろう。

第二に、宿命を受け入れた上で、それをどう生かすかを考えること。

自分の臆病な性格も、すぐに不安になるところも、結局は大して変えられない。それを受け入れた上で、自分が生きたい生き方と、自分の性格の調整を測ること。

例えば、自分が何かの事業をやりたいと思っているけど、自分は人の上に立つのは苦手だという場合。

この場合、細かい調整などは得意だったら、例えば、人の上に立つのが得意な仲間を見つけて、自分はその補佐に回るというのも一案だろう。

(どんな性格や宿命も、考え方次第で強みに変えられる側面があるのでは、と思う)

どちらかと言えば、今の自分は、後者の考えを取りたいと思っている。

今日は時間切れでこれ以上はかけないが、この話、また今度続きを書いてみたい。








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