「生きててもいいことないなあ」と感じる夜に

2019年1月31日木曜日

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「生きててもいいことないなあと思いつつ、惰性で生きてきた」

先日、Facebookに知人がそんな投稿をしていた。

これを見て、なんだか心の琴線が、ぐわんぐわん揺さぶられた。


(今に始まった話ではないのだけど)

最近、物事のうまく行かなさ加減に、辛くなることがあった。


片思いの恋が、けっきょくうまく行かなかったりとか。

がんばってやったことが、他人に評価されなかったりとか。

自分より活躍していたり、幸せそうだったりする人を見て、引け目を感じたりとか。


「どうせ何やったって、うまくいかないんだもんなー」

自分のケチな人生は、どうあがいても、ケチなままなんじゃないか。

そんな気がして、生来のネガティブ思考が、むくむく頭をもたげてくる。

淋しさが、津波のように押し寄せてくる。

それで、パソコンに向き合っていても、人と話していても、集中できなかった。


昨日は、夜中の1時を回っていたけれど、寝れそうになかった。

だから、「人生で良かったこと」が本当になかったかどうか、少し思い出してみることにした。



(あいかわらずの片思いだけど)昔、好きな人に、風鈴をプレゼントをしたことがある。

しばらくしてから、彼女が連絡をくれた。

「風鈴が鳴っているのを見て、●●さんのことを思い出して、なんだか心があったかくなった」

それを読んで、胸がきゅうっとして、自分の心もあったかくなった。


あるいは、約5年間勤めた前職を辞めるとき。

どんな場所でも、長くいたら、良いことも嫌なこともあるものだ。

でも、退職に際して、いろんな人が、心づくしの送別をしてくれた。

彼らから離れて1人になったとき、ふっと、涙が出そうになった。

色々あって会社は辞めるけど、5年間ここにいて、そう悪くなかったんじゃないか。

そう思って、やっぱり、心があったかくなったのだ。


「淋しさって感情は、波のようなものだ。大きな波がきても、必ず引いていく」

「けれども、また押し寄せてくる」

「その繰り返し」


以前、伊豆の山奥で約10年間、1人で自給自足の暮らしをしていた経験のある人と話したことがある。

会話の流れの中で、彼は、こんなことをぽつりと口にした。

夜の山中、風の音とともに聞いたそんな言葉が、今も心に残っている。


僕の淋しさや苦しみも、波のように、ひいては押し寄せ、ひいては押し寄せてを繰り返すのだろう。

でも、少し光っている、思い出のひとひら。

そんなものを舟にして、苦しみや淋しさの大波の上を、うまく波乗りしていければいいなあ。

サザンオールスターズの曲みたいに。ちょっと軽やかに。

夜更けに、そんなことを思った。

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