群馬県・榛名神社で山登りの魅力を再発見

2019年1月25日金曜日

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3連休の初日である1月12日、群馬県高崎市にある榛名神社へ初詣に行った。

「かつて修験道の霊場だった」「深い森に包まれている」「不思議な形の岩が多い」

以前、インターネットでそんな紹介文を目にし、

「ここだったら、自然から良いエネルギーをもらえそう」

そんな気がして、前から気になっていたのだ。

東京から行く場合、JR湘南新宿ラインでまず大宮に向かい、新幹線に乗り換えてJR高崎駅へ行く。

JR高崎駅からは、バスに乗って70〜80分くらいだ。

近くはないが、なんとか日帰りできる距離である。

奇岩・巨岩が有名な榛名神社



神社に一歩足を踏み入れると、巨大な杉の木に囲まれた参道が続く。


榛名神社は6世紀ごろに創建されたと言われている。域内には、歴史の爪痕を感じさせる建物が多い。


日光の東照宮を彷彿させるような、美しい装飾も各所に施されている。



本殿の裏にある御神体は、この不思議な形をした岩。


このほか、洞窟のような場所にも祠が設けられている。


域内の外れには、隠れ家のように、小さな祠が岩の中に設けられていた。

まさに、岩が織りなすワンダーの世界である。


榛名神社から約3キロ進むと、榛名湖という大きな湖がある。

神社の中を散策しているとき、この湖に通じる遊歩道を見かけた。

小生、遊歩道とみると歩きたくなる性分である。

1月の寒中、遊歩道に踏み入る人影はなかった。ただ、出入りは禁止されていない。

とりあえず行ってみることにした。

神域を訪れる


凍った滝を横切ると、少し開けた川原に出た。

すると、辺りを包む空気が変わるのを肌で感じた。

まるで、騒音がすっと背景に退いたような、静けさ。

周りには看板も何もない。

けれども、ここが、ある種の”神域”であることが感じられた。

川には、ところどころ、石が積み重ねられていた。

神域と俗世を分ける、いわゆる「賽の河原」なのだろう。

静かな空気の中でしばらく佇んだ後、川の水をすくって飲んだ。

それから一礼して、また歩みを進めた。

体と呼吸に意識を集中させる



その後、道らしい道がなくなった。

「遊歩道」という言葉から想像できないほど、勾配も急になった。


時折現れる看板も、「天神峠」と書かれているだけ。果たして榛名湖への道なのかすら、分からない。

さらに、仕事による寝不足で、体もきつくなってきた。

榛名湖に出ないと、バスに乗れず、帰れない。

1月の山の中で、ぼやぼやしていたら、最悪、遭難の危険もある。

(おおげさだけど、心配性なのである)

引き返そうかどうか、迷いが生じた。


この神社に来たこの日は、色々と悩み事があり、すばらしい景観を眺めながらも、不安が去らなかった。

けれども、

「なんとか、ここを歩き切らないと」

と、歩き続けているうちに、意識が、体と呼吸だけに研ぎ澄まされていった。

一歩一歩。一歩一歩。呼吸を整えながら、できるだけ楽に足を運んでみる。

ふと、ドイツの作家、ミヒャエル・エンデの小説『モモ』の中の言葉が、脳裏に蘇ってきた。

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「なあ、モモ、」とベッポはたとえばこんなふうにはじめます。「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」

 しばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづけます。

 「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息がきれて、動けなくなってしまう。道路はまだのこっているのにな。こういうやり方は、いかんのだ。」

 ここでしばらく考えこみます。それからようやく、さきをつづけます。

 「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな? つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」

 また一休みして、考えこみ、それから、

 「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」

(『モモ』、岩波少年文庫、P52-53)

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2時間以上歩いて、ようやく天神峠に着いた。


見てみると、峠のすぐ先に、湖とバス停が見える。

「とりあえず、助かった」。

自分って、バカっぽくって、おおげさだなあ。

そんな笑いと安堵の気持ちがこみあげてきた。


疲れていたこともあり、湖では特に観光もせず、すぐにバスに乗って高崎駅へ戻った。

湖を見に行くために歩いていたのだったら、馬鹿らしいことだろう。

でも、心は不思議な充実感に満たされていた。

山の中を、自分の体と呼吸だけに意識を向けていたあの時。

それは、なにか大きなものと向かい合っていた時間のような気がするのである。











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