上海の空港近く |
多くの人は、明日から本格的な仕事始まりかと思います。
長期休暇の終わりには、とかく切ない気分や、不安になりがちなもの。
そんなわけで、先日、不安への対処について考えさせられた自分の体験談を書いてみました。
年末年始にインド旅行した際に、トランジットで立ち寄った中国・上海での体験です。
上海をよく知っている方は、笑い話としてお読みください。。
進めば進むほど高まる不安
浦東空港 |
24時過ぎ。雨の降るさみしい夜道を、タクシーは駆けていった。
タクシーが進むにつれ、自分の不安は高まっていった。
(おかしいぞ、なんでこんなに遠いんだ・・・)
(ひょっとしてこの運転手、オレをマフィアのアジドにでも連れていく気じゃないのか・・・)
※
今回の旅行では、仕事その他に追われ、事前に下調べがほとんどできていなかった。
『地球の歩き方 インド』も、出発前に成田空港で買ったくらいだったので、トランジットで立ち寄るだけの中国・上海については、当然、何も調べてなかった。
もっとも、上海到着は夜の22時で、デリー行きの便は翌日の14時。
一晩を空港で明かすのはちょっと辛いと思い、出発日の少し前に、空港近くのホテルを「Booking.com」で予約だけはしておいた。
Booking.comによると、ホテルは空港から3キロほどだという。Google Mapでも見たが、たしかに近そうだ。
(いざとなれば徒歩でも行けるだろう。まあ、なんとかなるさ・・・)
そんな軽い気持ちで、ホテルまでの交通もあまりちゃんと調べてなかった。
※
上海の浦東空港での一時入国の手続きには、1時間30分ほどかかった。空港の外に出た時は、すでに24時に近かった。
疲れたから、もうタクシーでいいや。そう思い、タクシー乗り場へ行って、ホテルの住所と地図を渡した。
「I think, this hotel is very near to the airport.(このホテル、空港からとっても近いと思うよ)」
などと付け加えながら。
タクシー乗り場の受付の職員は、僕の言葉に怪訝な表情をしたが、空いているタクシーに僕を乗せ、運転手に中国語で指示を出した。
そして、タクシーは発進した。
(たった3キロだから、10分くらいで着くだろう。早くシャワー浴びたいな)
そんなことを思いながら、シートに深く腰掛けた。
ところが、タクシーは10分たっても、目的地に着く様子がない。それどころか、そもそも、周りにはホテルやお店らしき建物がまったく見当たらない。
ふと、機内で読んでいた『地球の歩き方 インド』で、
「インドでは、騙して変なところに連れて行こうとするタクシー運転手が多いから、注意してね!」
と書かれていたのを思い出して、「もしや中国も・・・」と、冷や汗が出てきた。
その後、20分を過ぎても、タクシーはいっこうに到着する気配がない。
タクシー運転手は英語を話せないので、確認することもできない。
(これはもう、ドアを押し開けて、道路に転がり出るしかないかもしれない・・・)
そんな、映画の1場面のようなイメージが、脳裏を駆け巡った。
(でも、今、外に飛び出しても、雨が降る冬の夜に一人でいたら、凍死しそうだ・・・)
(仮にタクシーが無事にホテルに着いたとしても、カネが足りるのか・・・。中国元は1万円分しか両替してないぞ・・・)
そんな不安が、後から後から吹き出してきた。
不安と幸せの関係
ホテルの入り口。朝 |
ただ、こんな不安のさなかに、ふと脳裏に蘇ってきた言葉がある。
「苦しみと幸せは、生米と炊いたお米の関係です」。
これは以前、マインドフルネス瞑想会に参加した時に聞いた言葉だ。このブログでも以前、紹介させてもらった。
幸せな思い出を呼び起こす:マインドフルネス1日瞑想会の法話から
つまり、幸せというのは、そもそも苦しみや不安を変容させていく過程の中で生まれるということだ。
そう思いだした時、
(この不安との向き合い方を身に付けることこそ、もしかしたら、今回の旅のテーマなのかもしれない)
(この場面をうまく乗り切ることができたら、インド旅行をしなくても、何らかの悟りを得られるかもしれないな)
そんな馬鹿げたことを考えていたら、なんだかこの状況に対して、前向きのエネルギーがふっと生まれた。
特段、この状況を打開するグッドアイデアが思いついたわけではない。
でも、「かかってきやがれ、オレの人生」という気分になったのである。
九死に一生を得た気分
30分が過ぎた時、タクシーは脇道に曲がった。その通りでは、いくつものお店のネオンサインが輝いていた。タクシーはそのうちの一つの駐車場に入って、停車した。そして、運転手はメーターを見ながら料金を示してきた。
(助かった・・・、思ったほどの金額じゃない)
破顔一笑。震える手で中国元を運転手に渡した。
明るいホテルのロビーに入った時には、まるで、死と再生の儀式をくぐり抜けたような気分になっていた。
※
今回の旅行では、インドでホテルの場所が分からず迷子になったりと、様々なことがあった。
でも、もっとも強烈な不安に襲われたのは、この時である。
上海を良く知っている人からすれば、お笑い草だろう。でも、「知らない」というのは恐ろしいものである。
(それにしても、Booking.comの地図でなぜこんな距離の違いがあったのかは、今だに分からない。今後、検証したい)
お湯が出ない問題もクリア
シャワールーム。いまだもって、お湯の出し方はわからない |
なお、自分が泊まったホテルでは、お湯が出なかった。
(出るのかもしれないが、出し方が分からなかった)
清潔な環境に慣れているひ弱な先進国人は、3日間シャワーを浴びないだけで皮膚病になる。以前、そんな記事を読んだことがある。
空港でホコリまみれになった自分も、インドに着く前に、はや皮膚病をまっしぐらなのかもしれない。
そんな暗澹たる気分になっていたのだが、その時、ふと、先日読んだ『不思議の国のバート』というマンガを思い出した。
これは、明治初期の日本を旅した英国の冒険家の話だ。ここに、昔の日本人が風呂代わりに水に浸した手拭いで体を洗っているシーンがあった。
(そうか、あれをやればいいのか)
ちょうどいい感じの日本手拭いもカバンの中に入っている。
熱いシャワーを浴びるのとは、少し感じが違うけれど、
「面白いアイデアを思いついた」
「克服した」
という感じの、一種の高揚感を覚えた。
それで、蛇口で手拭いを濡らしながら、しばらく体を拭いていたのだが、予想以上にすっきりした。
そして、安心して眠りに着くことができたのである。
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