「自然豊かな場所で暮らしたい」という憧れについて

2018年4月27日金曜日

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「いつか、自然豊かな場所で暮らしたい」

かなり前から、そんな漠然とした憧れを抱いてきた。

でも、「自然豊かな場所」と言うときの「自然」とは、いったい何を指しているのだろうか?

「緑豊かな山があって、川が流れていて、鳥が歌っていて・・・・」。

なんとなく、そんな景色は思い浮かぶ。

でも、実際に自分がそうしたところに住んで、どんな生活をして、どんな仕事をして、どんな風に子育てして・・・と、具体的に考えようとすればするほど、「自然」という言葉に自分がどんな思いを仮託しているのか、よく分からなくなってくる。

長野から東京に戻ってきた友人と再会して

3年ほど中部地方で働いていた友人が、仕事を辞めて東京に戻ってきた。

彼女は自然が好きで、中部地方でも自然に関わる仕事をしていた。そんなこともあり、先日、「話を聞かせてよ」と晩飯に誘った。


「風光明媚な山に囲まれて暮らしていても、オフィスで一日中パソコンに向かい合って、気づいたら、もう日が暮れている。これだと、東京と変わらないよね」。

浅草で薬膳カレーを食べながら、彼女はそんな話をした。

彼女の仕事自体は自然と関わるものではあったものの、実際の彼女の業務は、もっぱらオフィスワークだったという。そんな点にも、考えるところがあったようだ。

もっとも、彼女が仕事を辞めた一番の理由は、彼女がやりたいことをやるためだ。そして、彼女のやりたいことというのは、自然と関わること。そこは変わっていない。

でも、「私のやりたいことは、人と人が、自然のなかで深い関係をつくるための場作りなんだよね。それで、少なくとも現時点では、私のいるところは地方ではないかな、と思っている」。


以前、「東京は人の住む場所ではない」と吐き捨てるように言う人に会ったことがある。

人が多すぎるのに人間関係は希薄で、自然も少ないからだ。そう言いたくなる気持ちは、一部、分かる気もする。

しかし、自然好きな彼女は、東京の下町出身で、生まれ育った地域の文化にも深い愛着を抱いている。


それに、東京にいても、耳を澄ませば、鳥や虫の鳴く美しい声が聞こえることがある。美しい木々がある場所も少なくない。

先日、JR荻窪駅から10分ほど離れた公園に言ったが、池に映し出された新緑の美しさに息を飲んだ。

東京にいても、ふとした瞬間に「センス・オブ・ワンダー」で満たされることもある。そして、そんな豊かな感性を持った人に出会えることもある。

改めて、「自然が好き」=「地方に移住する」といった単純な話では全くないのだと思う。

自然との関わり方:4つの観点

彼女は、自然の中でワークショップを行うさまざまな団体のイベントに参加した経験がある。

そんな話を教えてもらいながら、自然との関わり方には次の4つの観点があるように思った。


第1に、自分自身を見つめるための場所としての自然。

山伏修行やサバイバル研修を受けたり、登山をしたりして、普段とは異なる厳しい環境に自らを晒す。それによって、自分のあるがままの姿や、傲慢さを、より深く見つめることができる。


第2に、自分の身体を癒やす場所としての自然。

オーガニック食材などに関心のある人や、森や山をハイキングしてリフレッシュすることを求める人も、この中に入るのではないかと思う。


第3に、自分以外の命に関心を寄せる場所としての自然。

昆虫採集が好きな人や、狩猟に携わる人も、この中に含まれると思う。


第4に、何かをつくる場所としての自然。

農業や林業などに携わり、人間以外の命を相手にして何かを作っていくのは、スマホアプリを開発したりするのとは別種の喜びがあると思う。


どの関わり方が良いとか、悪いということではない。

ただ、自分の心の中にある自然への憧れって、結局なんなのか。答えが出ていない自分のもやもやを、これから解きほぐしていく作業が必要になるのだろう。

ゴールデンウィークを目前に控えて、多くの人が旅に出ると思う。自分もまた、遠出の予定がある。それに先立ち、自分の中のもやもやを整理してみたいと思い、書いてみた。

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