五感でものごとを感じる:冷水シャワーを浴びてみた

2018年4月11日水曜日

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先日、裸足で4月の野山を歩いたことを書いた。

【今週の感謝】野山をはだしで歩く/"1日ラマダン”(断食)をして

足に触れる草の冷たさや柔らかさ、そして食い込む小石の痛さ・・・・

ふだん服や靴に覆われている身体を外の世界に差し出してみると、自分の感覚が、いつもより鋭くなったように感じられた。

さらに、「普段やってないことをやってやったぞ」と、達成感もあった。

それですっかり味をしめてしまったらしい。自分の中に、「もっといろんなことを身体で感じたい!」というおかしなブームが来ていて(笑)、今度は冷水シャワーを浴びてみることにした。

冷水を浴びることに関する思い出

昨日の夜、仕事後に家に帰ってきたのは22時ごろ。そこから着替えて、シャワールームに向かった。(僕は大きめのシェアハウスに住んでおり、個室とシャワールームは、階が異なる)


「冷水を浴びる」ことに関しては、2つの思い出がある。

一つは、小中学校のときのプールの授業だ。

僕は、25mもろくに泳げなかった(平泳ぎだと泳げるのに、なぜかクロールでは泳げなかった。泳ぎの型がよほど悪かったのだろう)

そんな自分のダメさ加減がものすごく恥ずかしかったし、冷たい水も嫌だった。そんなわけで、当時の自分にとって、プールの授業は「人生で一番憂鬱な時間」だった。

(プールの日はいつも、「台風よ、来い」と、自分の部屋の窓にこっそりフレフレ坊主を吊るしていた)

ただ、もう一つは、幸せな思い出だ。

学生だったとき、国際NGOのスタディーツアーに参加し、フィリピンの貧しい家庭で3日間、ホームステイさせてもらったことがある。

山中にある、掘っ建て小屋のようなところだったので、当然、温水のシャワーなどない。大きな桶に入っている水を、手桶でくんで浴びるのだが、8月のフィリピンとはいっても、水は冷たかった。

ただ、その家の人々のもてなしはほんとうに暖かった。そのせいか、この水浴びの記憶も、思い返すと幸せな気分がこみ上げてくる。

(先日このブログで書いたタイの「プラムビレッジ」に行ったときも、シャワーの調子が悪く、水しか出なかったが、フィリピンのことを思い出してむしろウキウキした)

シャワールームに入った途端に感じた危機感


さて、今回、三十路過ぎの男が冷水を浴びてみたら、どうだったのだろうか。

「世の中、1月に寒中水泳している人もいるくらいだし、大したことないだろう」。

そう勇んで服を脱いだのだが、いざシャワールームに入り、シャワーヘッド(水を噴射する部分)を見つめると、ふと、その気分がしぼんでいくのを感じた。

シャワールームが無機質なクリーム色で、寒々しく見えたこともあると思うが、「なんか、コレ、ヤバイかも」という気がしてきたのだ。

(熱湯のシャワーを浴びるときなら、シャワールームの色など、ほとんど何も感じないのに、いざ普段と違うことをやってみると、いつもは気にならない部分が気になる)


カランをひねると勢いよく水が出てきた。4月の水道水は、正直なところ、そうとう冷たかった。

まずは手と足から浴び、さらに頭に浴びてみた。ここまでは、なんとか耐えられた。

(普段から外気に触れている部分であることもあると思うが、頭に冷たい水を浴びるというのは、案外、平気なものだ)

しかし、いざ首筋から背中に浴びようとすると、「それ、やったらアカンで」と、体の内側から湧き出るような拒否反応が出てきた。

(人間は、心臓に近い部分ほど痛みを感じやすいと聞いたことがある。こうしてみると、たしかに、自分の身体のどの部位が敏感なのかが、よく分かる)

本能的に嫌がる自分の身体を意志の力でねじ伏せて、さて、浴びてみたのだが、

「!!!!!」

そのときの自分は、はたから見たら、コメディーを演じているお笑い芸人か、ふざけている子どものように見えただろう。

狭いバスタブの中で、ぴょんぴょん飛び跳ね回った。跳ね回らずにはいられなかったし、頭の中は文字通り、”真っ白”になった。

3秒も浴びていられず、すぐにカランをひねって水を止めた。

(普段、マインドフルネス瞑想の話を書いているが、このときは、まったくマインドフルでいることなどできなかった・・・・・)

その後、身体を石鹸を付けたタオルで洗った後、再び首筋と背中に浴びたときは、また、コメディアンよろしくバスタブの中をぴょんぴょん飛び跳ねることになった。

終わった後はスッキリした気分 

ただ、ぐったりした気分でシャワールームを出たとき、ふと、水の生臭い匂いとともに、自分の内側から、ふっと暖かさが立ち上ってくるような感覚があった。

「自分の体って、意外と暖かいんだな」。

そして、服を来て、自分の個室に戻ってきたのだが、熱いシャワーを浴びたときとは異なるすっきりした感覚があった。

まるで、自分の中から、熱く濁って汚れた空気の塊のようなものが、抜けたような気分といったらよいだろうか。

(多分、熱いシャワーのときより、身体の緊張と弛緩の深いリラックスができたのだろう)

それで、昨晩は、いつもよりも深く眠ることができた。

多分、心臓が弱っているときは、危険なのでやらない方が良いと思う。

ただ、今日、冷水シャワーの効果について、医学的に書いているLife Hckerの記事を読んだのだが、冷水を浴びるのも、やり続ければ、案外慣れるものなのかもしれない。

「冷水シャワー生活」で起こる6つのポジティブな変化
https://www.lifehacker.jp/2015/11/151103_shower_therapy.html

なお、シリア難民として欧州などに逃れてきた人にも、寒波の中、難民キャンプで凍死した人もいるという。

こうして冷水を浴びて思うのは、いつでも温水を浴びることができる今の日本に住んでいるのは、まったく当たり前のことではない。

そのことに、改めて思いを致したいと思った。

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