【ヨガ男子の香川日記】「何もないのがいいんだよ」:アートの島・豊島で1夜を過ごして

2019年6月29日土曜日

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甲生地区から見える海


豊島で泊る

昨日(金曜日)は、仕事で香川県の豊島(てしま)に行き、ゲストハウスで1夜を過ごした。

豊島は前回行ったのは5月。その際、豊島美術館やクリスチャン・ボルタンスキー氏の「心臓音のアーカイブ」「ささやきの森」といったアート作品に衝撃を受け、

「次回行くときは、この島に必ず泊まろう」

と思った。それが叶った形だ。

↓前回のブログ
【ヨガ男子の香川日記】「世界は美しい」と感じられる場所:豊島美術館を訪問

今回、予想以上に多くの方にお会いし、さまざまなお話をお伺いすることができた。

地域への愛のこもった話というのは、良いエネルギーを与えてくれるものだ。今回お世話になった方々に、改めて感謝したい。

(また、宿泊先のゲストハウスでは、子育て中のお母さん・お父さんたちの集まりがあり、たくさんのチビッ子と触れられて楽しかった。)

観光客の増加の両義性


今週末は仕事が詰まっており、あまり長く書けないのだが、1点、書き留めておきたいことがある。

豊島は、2010年に「豊島美術館」がオープンし、瀬戸内国際芸術祭の開催も伴って、一気に国内外の観光客が増えた。

それが移住者の増加や、島の活性化につながっている。

その一方で、もともと観光客の受け入れをあまりしてこなかった島のこと。当然、急激な観光客の増加に苦慮している面も多くある。

例えば、下調べをしてこなかった観光客が、島の不便さにクレームを言うこともあるようだ。

それに対し、ある方が「もともと『何もない』のが、豊島の良さなんじゃないのかな。あまり便利さを求められるのも、ちょっと違う気がする」といった話をしていた。

「何もないのがいい」?

何もないのがいい・・・。

豊島は今、「アートの島」として、直島と並び世界的に有名になっている。

でも、前回も感じたのだが、たとえば豊島美術館といったアートが示しているのは、僕たちが生きている「今・ここ」こそが素晴らしいということではないか。

アートは、それを再確認させてくれるための「装置」のようなものではないか、ということだ。


そんなことを考えつつ、今朝、少し早起きして、宿の周りを散歩してみた。

空では、優しく太陽が光っていた。昨夜の雨に濡れた木々が、風を受け、輝くしずくを降らせていた。


家の軒先では、朝顔の花が「こんにちは」と挨拶するように、かすかに揺れていた。


道端では、サワガニが顔をのぞかせたと思うと、しゅしゅっと逃げていく。


海では、カラスが楽しげに遊び回っていた。

緑に囲まれた道を戻りながら、「何もない、とはどういうことなんだろう」と考えさせられた。

ご存知の方もいらっしゃると思うが、豊島は1970年代以降、産業廃棄物の不法投棄問題で大きく揺れた場所である。

現在も、ソーラーパネルの設置をめぐって、景観や自然を壊してしまわないか、住民の方々や業者の間で話し合いが続けられている。

「何もない」と言われる「普通の」自然の景観も、ただで守られているわけではない。そのことにも、改めて心に留めておきたいと思う。









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