【ヨガ男子の香川日記】「世界は美しい」と感じられる場所:豊島美術館を訪問

2019年5月19日日曜日

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豊島美術館とは?

「世界って、こんなに美しいんだなあ」

今週末、瀬戸内海にある豊島(てしま)の豊島美術館に行ってきました。

こう言うとオーバーかもしれません。でも「この場所に来れただけで、瀬戸内に来てよかった」。そう思ったほど、深く心打たれました。

この形は水滴を模しているらしい

豊島美術館は、2010年、建築家の西沢立衛氏とアーティストの内藤礼氏によって建てられました。

どのような経緯で作られたのか、正確にはよく分からない点もありますが、「自然と一体化した場所」、つまり日本庭園の借景のようなものを突き詰めて創造されたようです。


豊島美術館は、豊島の唐櫃港の近く、棚田に隣り合う位置にあります。

(この棚田、もともと耕作放棄地になって荒れていたのを、2010年の第1回瀬戸内国際芸術祭に合わせて地元の方々が再生させた、という経緯があります)



受付を通ると、アートスペースに行くまでの道を歩いていきます。道は森に囲まれており、木々の間からは瀬戸内海が見えます。

森を抜けた先に、楕円形の白いドームがあります。ここに裸足で入ります。

(内部は写真撮影不可なので、公式HPをご参照ください)


ドームの天井には2カ所、大きな穴が空いています。そこからは空と森が見える。

穴には、白い紐が掛けられており、風が立つとゆったり動きます。

床には、ところどころに小さな穴が開いていて、定期的に水が湧き出し、流れていきます。

ただ、これだけ。ほかに何も飾られていません。


つまり、何かを見せる場所ではなく、「この場にいることを味わう」ことを突き詰めた場所なのです。


「母型」

豊島美術館のドーム内は、「母型」という作品名が付けられています。

そのせいか、中にいると、自分が母親の胎内のような、何かに深く包まれているような感覚を覚えました。

天井に開いた穴は、2つの目。

赤ん坊が、生まれて初めて世界を見つめている。

鳥の声を、木々を揺らす風を、青空、森、落ち葉を感じている。


包まれている感覚

これは、瞑想をしているといつも起こることなのですが、心が静まってくるにつれ、心の奥に抑え込まれていた負の感情が吹き出してきます。

「あの仕事、どうなっているんだ」とか、

「あの人とうまくいかない」とか。

他人に言えないような悩みもたくさん浮き上がってくる。

いつもはそういった気持ちに飲み込まれて、落ち着かなくなります。

豊島美術館に行った際も、心が静まってくるにつれ、そうした日々の焦りや悩みが吹き出してきました。

でも、豊島美術館の中にいると、不思議と、そういった気持ちと自分との間に、やわらかいクッションがあるように感じました。

そのクッション越しに自分の負の感情を眺めている。

この、「包まれている」ような感覚は、美術館を出た後もしばらく続きました。


豊島美術館を、他の場所につくるとしたら

豊島美術館を「世界一の美術館」と評価する声もあるようです。

でも、豊島美術館で感じられるような「世界の美しさ」は、たぶん、僕たちの周りにも溢れている。


日曜の朝、窓辺で静かにゆれるカーテン。

水道から流れ出てくる水の、不思議な動き。

例えば、そうしたものです。



でも、日常の忙しさの中で、それらは見過ごされてしまう。だから、「止まれる場所」が必要なのではないかと思います。


豊島美術館は、僕たちの心を「世界の美しさ」に留めるために、緻密な計算を尽くして設計されていると思います。

深く音が反響するドームのつくり。

やわらかい色合いの白いコンクリート。

楕円になっていて、微妙に偏った傾斜を持つ形状。


このほか、気を散らす人工的な要素を、最大限排するつくりにもなっています。

※建築に関する以下の記事には、例えば雨天時の水切りの工夫について詳述されています。

【豊島美術館】アートを包み込む母型 Kaede Architect


豊島美術館は、豊島の海と山の美しさを最大限生かすつくりになっています。

でも、それぞれの場所には、それぞれの美しさがあります。

例えば、インドの海は、瀬戸内海に比べ、もっと荒々しい。

山梨などの山間地も、もっと濃い森に包まれています。

こういった場所に豊島美術館を建てるとしたら、どんな造りになるのか。

豊島美術館に行って、自分も、小さくても、こんな風に世界の美しさが聴こえるような場所をつくることに関わって見たいと思いました。

そして、その際に「この場所に豊島美術館を建てるとしたら」と想像をしてみると、「それぞれの土地ならではの魅力」が見えてきそうな気がします。





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