小豆島に打ち寄せる波。海を見ると、生命の始まりについて思いをはせることがあります |
なぜアートをつくるのか?
先日、取材で小豆島に行った際、あるアーティストの方と飲む機会があった。すでに仕事に必要な情報は聴き終わった後。そんな気楽なお酒の席だったこともあり、気になっていたことを尋ねてみた。
「●●さんは、そもそもなんで絵を描いているんですか?」
アーティストも、村上隆のように売れっ子であれば、巨万の富を築けるかもしれない。でも、それは博打みたいなものだろう。
金儲けの観点からしたら、よりビジネスライクな世界に進んだほうが、費用対効果が良いに決まっている。
だいたい、がんばって作品を作っても、多くの人からは「意味不明だよね〜」と言われるか、やわらかく無視される。
それが、多くのアーティストの現実だろう。
(その方はすでに長いキャリアがあり世間に知られているが、そうなる前は多くのご苦労があっただろうと思う)
それにも関わらず、多くの時間を削って、時には不安定な生活も甘受しながら、なぜ創り続けるのか。
その情熱は、どこから来るのか。
(僕はアートそのものよりも、どちらかというと「人の心」や「幸せ」に関心があるので、そっちのほうが気になってしまうのだ)
「理由は分からないんだよね」
彼ははじめ、「子どもの時にこんなことがあって・・・」と、アートに興味をもったきっかけを語ってくれた。しかし、酒が進むにつれ、「本当は、自分でもなんで描いているか、よく分からないんだよね」と、ポツリと言った。
「社会的要因とか、生い立ちとか、他人に説明しやすいようにもっともらしい理由を挙げるんだけど、それが本当の理由じゃない気がする」
※
彼は、もともと美術大学で学んだ後、数年間、サラリーマンとして働いたという。
その間はとても忙しく、年に1枚、絵を描くのがやっとだった。
でも、描けない日々が続くうちに、心身の調子をうまく保てなくなっていったという。
(詳しくは聞かなかったのだけど、おそらく、鬱病みたいな状態だったのではないかと推測する)
それに気づいてから、仕事を辞め、アーティストとして生きる道を真剣に模索するようになった。
「もちろん、社会のためとか、他人のためとかを考えながら描くことで、モチベーションが上がることがないわけじゃない」
「でも、ほとんどの場合、描いているときは、自分にだけ向き合って、他人のことはいっさい考えないし、考えられない」
彼は、気をてらうでもなく、ごく自然にそう語った。
※
ああ、この人はきっと、描いてないとおかしくなってしまう。だから描き続けるんだ。
彼の話を聞いていて、「効率」「目的」といった人間的な物差しを超えた、生命の根源みたいなものに触れた気がして、深く心を打たれた。
僕は、言葉になっていないことをうまく受け容れられないタイプなので、このブログを書いている。
もやもやしたことを、言葉にしていくこと。多分、それが自分の生命の求める衝動なのだろうと思う。
だけど、その生命の衝動が求める形は、人それぞれで異なっている。
※
30代になって、20代よりも身体が弱ってきているのを感じている中で、できるだけ「自分の生命に正直に生きたい」と思うようになってきました。
そうした中で、深く考えさせられる話だったので、感謝とともに記録しておきたいと思います。
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