【ヨガ男子の香川日記】引っ越し1週間:新生活と家に関する考察

2019年3月31日日曜日

t f B! P L
家の近くの、なんでもない景色


夜、アパートに着いて、灯りを点ける。

散らかった玄関先の光景を見て、「家に帰ってきた」と感じて、ほっとする。

そんな風になったのは、3日目くらいからでしょうか。

慣れない新生活

家の近く。香川県は溜池が多い

前回のブログで書きましたが、この度、仕事で香川県に転勤することになりました。

住まいは香川県の西部。高松から電車で1時間ほどの距離です。

家財道具を全部持って引っ越しするのは、5年ぶりのことでした。

もっとも、前回は、東京の江戸川区から神奈川の川崎市へと、「ご近所」程度の移動でしたが、今回は、見ず知らずの四国。

特に大きな問題はなかったのですが、正直、かなり疲れました。

で、せっかくの機会なので、どこにどう疲れたのか、分析してみることにしました。


◆寝袋生活1週間

引っ越し難民にならないよう、今回は、家財道具を引っ越しの1週間ほど前に運び出しました。

そのため、約1週間ほど、寝袋生活を送りました。

意識的に睡眠時間を長めに取るようにしていましたが、やはり、慣れない寝袋では、体のあちこちに疲れが溜まったようです。

布団が届いたのは、引っ越し2日目の午前。それから昼寝で横になったのですが、温かい布団に緊張が緩んだのか、そのまま熱が出てしまいました。

その日は仕事が残っていたので、昼寝後は仕事を続けましたが、頭はぼうっとしたままでした。


◆トイレが使えない

諸事情により、水道やガスが通るようになったのは引っ越し2日目からでした。

1日目は、自宅にいるのにシャワーはおろか、トイレすら使えなかったのです。

東京都内にいれば、24時間営業のお店はいくらでもあるので、問題ないでしょう。

でも、ここは、事情のよく分からない香川県。

「今晩と明日の朝は、おしっこもできないのかな。それはキツイぞ!」

結局、近くにコンビニがあったので、なんとかなったのですが、けっこう心配しました。

こんな問題は、事前に意識していれば、ホテルに泊まるなり、知り合いに泊めさせてもらうなり、簡単に対策を打てます。

でも、今回は、直前までバタバタしていたので、当日の夜になるまで気づきませんでした。


◆玄米が食べられない

僕は数年前、友人の影響で玄米食を始めました。

玄米には、味や調理のしにくさといった問題はあります。でも、自分の生活にはかなりフィットしていて、おかげで食費も減り、健康も改善しました。

もっとも、8年間使っていた炊飯器はもうボロボロだったので、今回の引っ越しにあたって買い換えることにしました。

ただ、川崎市のゴミ収集日の関係で、引っ越し1週間前に、この炊飯器も捨てざるを得ませんでした。

そのため、玄米も、引っ越して新しい炊飯器を買うまで、食べることができなかったのです。

たかが1週間、食べられないだけ。でも、便通が悪くなったりと、やはり体調が悪くなりました。

布団もトイレも、玄米も、普段の生活では、「あるのが当たり前」。特に意識することはありませんでした。

でも、無いと、こんなに大変でストレスフルになる。

自分の「普通の生活」は、実は普通ではない多くのものに支えられているんだろうなあ。そんなことを、しみじみ感じました。


◆その他もろもろ

このほか、引っ越し時に一般的に発生する、荷物の整理とか、家財道具の配置、足りないものの買い足しといった作業もあります。

例えば、僕の川崎の住居は小さかったので、ルーム照明は1つで事足りたのですが、新居は3部屋あります。

そのため、慌てて追加の照明を買いに行きました。

このほか、100均で買ってきた安物カーテンの付け方が分からない、といった細かい問題もありました。

また、久々に車に乗るため、近くの教習所にペーパードライバー講習を受けに行ったりと。

やることは山積みでした。

1つ1つは決して大した作業ではない。でも、それが山ほどあるから、疲れてくる。

やるべきことをやっているのか不安

とりあえず移動は自転車で

こういった物理的な大変さに加え、心理的な面での不安もありました。

この1週間弱、自宅か、近く(といっても5キロ離れた)カフェで、会社の仕事をしました。

ただ、オフィスに出勤している時と異なり、他人と話す機会はほとんどありません。

今までも1〜2日、そんな状態を経験したことはあったのですが、今回のように長く続くと、

「自分がやっていることが、これでいいのか、よく分からない」

という感覚になってくる。

寂しいのではありません。「やるべきことをやっていない気がする」という不安で、変に落ち着かないのです。

ある種の「疑心暗鬼」的な心象と言えるかもしれない。

自分の心が、他者の存在によっていかに支えられているか。これは、一つの発見でした。


家があることの大切さ

家からカフェまでの道のりにある、鎮守の社らしき場所

安心できる家があって、休めること。

何か新しい物事を取り組む際には、そういう基盤が大切なのかなと思います。

もちろん、世界には、遊牧民のように、家を持たない暮らしをする人々もいる。彼らの生き方や精神性には、学ぶところが多くあると思います。

でも、「やっぱり、”No place like home”だよなあ」と正直、思います。

以前、中東の難民の支援をされているNGOの方に取材をする機会がありました。

その際、難民がどのような苦労をしているのかをつぶさに伺いました。

暑さや寒さ、レイプの危険にさらされること。トイレやシャワーを使えないこと。未来に希望が持てないこと・・・

ちょうど今も、ベネズエラ難民が国際社会で大きな問題となっています。

先日、彼らに関する記事を読んだのですが、こうした人々が安心して暮らせる家を持てるようになればいいなあと、改めて思いました。


今日、新居のベランダから外を眺めていると、干していた布団に、小さな虫が止まりました。

その時、曇り空から、太陽の光が差して、この虫を明るく照らし出しました。

ちょっとした変化ですが、なんだか、小さく感動しました。

香川の新しい家が、自分にとってどんな存在になるのか。

それはまだ分かりませんが、まあ、とりあえずボチボチやろうと思います。




QooQ