グッバイ、川崎

2019年3月24日日曜日

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「最終日が晴れて、よかった」。

今朝、目が覚めた時、そう思いました。

春分の日に前後して、近所でピンク色の花が咲きます。

植物に詳しくないため、名前は知りません。ただ、青空に伸び上がるように咲き誇る姿に、なんだか生命力をもらうような気分になる。

この花を見るのが、毎年、春の楽しみでした。

川崎市から香川県へ引っ越し


社会人になってから、3年半ほど東京都江戸川区で、5年ほど神奈川県川崎市で暮らしました。

今日から関東を離れ、しばらく香川県で暮らします。

引っ越し難民にならないよう、荷物は1週間ほど前に運び出しました。

そのため、今週は灯りの点かない部屋で、寝袋生活をしました。閑散とした部屋にいると、寒くて風邪を引きそうになったりも。

でも、なんだかすでに”旅”を始めたような気分で、ちょっと新鮮でした。

引っ越しや卒業式で感動しない理由?

自宅から見える空

本音を言うと、僕は、卒業や引っ越しといった節目のイベントに、ほとんど感動しない性格です。

たとえば高校の卒業式の時。

「ちょー寂しい」と言いながら泣いているクラスメートの横で、

「大学行ったら、かわいい女の子がいるかな」

とか考えて、内心ヘラヘラしつつ、いちおう外面的には厳粛なそぶりをしていたのでした。

今回も同様で、正直なところ、川崎市を去ることに、特段の思いがあるわけでもありません。


自分は、ある意味、「ここではない、どこかへ」(by GLAY)症候群なのだと思います。

「今のままじゃダメだ」
「自分を変えなきゃ」

こんな切迫感があるから、次に行く場所のことで頭がいっぱいになる。離れる場所については、思いを致すことがない。

(そのため、ろくに挨拶もせず、不義理をしてしまった人も少なくない)


もっともこれは、年齢的なものもあるかもしれません。

自分は今、30代で、次へ向かおうという気力がある。

これが50代や60代になったら、慣れ親しんだ場所を離れることに、引き裂かれるような苦しみを味わうかもしれない。

(東日本大震災の被災地の方々など、自分の意志に反して故郷を離れざるを得なかった人たちは、本当に辛いだろうと思います)


懐かしさの感覚

去る時は別に寂しくない。

でも、以前暮らしていた場所に数年ぶりに訪れると、不思議な感情の昂ぶりを覚えることがあります。


以前、大阪のJR京橋駅の近くで、4ヶ月ほど暮らしていました。

その時は、人生の中でもっとも鬱な時期でした。

(自分は母方のルーツが大阪なので、大阪に親しみがあります。でも、この時の経験から、大阪に対して複雑な感情を持つようになりました)


ただ、その後、数年経ってから、出張で大阪に行ったときのこと。

梅田近くで仕事を終えた後、ふっと、JR京橋駅へ行ってみました。

環状線の駅を降りて、改札をくぐり、駅の看板や雑踏を歩く人々の様子を見た瞬間。

ぶわっーと、熱い感覚が湧き上がってきました。

自分の細胞の一つ一つが、この場所の形、空気を覚えている。


大阪に住んでいた時の楽しみの一つは、京阪電鉄(通称”おけいはん”)に乗ることでした。

この時も、京阪電鉄の看板を見て、「やっぱり”おけいはん”はええなあ」としみじみしました。

それから、駅の構内にある、懐かしいカフェに寄りました。

大阪に住んでいた当時。社会人に成り立てで、まったく金がありませんでしたが、アパートに一人でいると淋しさに押し潰されそうだったので、よくこのカフェに来て、持ち帰り仕事をしていました。

その時は、潰れたカエルのような惨めな気持ちでした。

でも、何年もの時を置いた今は、不思議と甘酸っぱい気持ちになる。

人生いろいろあるけど、こういった感覚を呼び覚ましてくれる場所をいくつか持っているのは、悪くないなあ。

「懐かしさ」という不思議な感情を見つめながら、そんなことを思いました。


川崎市宮前区の思い出

僕が住んでいたのは、川崎市の宮前区という場所です。


駅前の交差点。なんの変哲もないけど、ここに来ると、少し空が広く見えます。

晴れた朝にここを通りかかると、なんとなく嬉しい気分になったものです。


近くの神社。自分にとっては、不安症をなだめる上で、ここは大切な場所でした。


家から歩いて10分くらいの距離にある温泉。「川崎に天然温泉なんてあるわけないやろ」とツッコミつつ、疲れているときは何度もお世話になりました。


川崎は、今後、自分の心の中で、どんな場所に変わるのだろう。

「旅は〜、終わら〜ないぃ〜」。

中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」を口づさみながら、しばし、そんな思いにふけりました。


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