「トンネルを抜けた先は、海だった」
川端康成の小説『雪国』を真似して言うと、そんな感じでしょうか。
町から畑へ。
畑から山へ。
そして山を抜けると、海へ。
車で走っていると、どんどん景色が移り変わる。今、そんな場所に住んでいます。
※
2週間ほど前、仕事で香川県西部に引っ越しました。これは、最近の言葉で言えば、いわゆる「地方移住」になるかなと思います。
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住む場所が変わると、人間ってどう変わるのか?
大江健三郎の小説『個人的な体験』の書評かなにかに、こんな言葉があったのを覚えています。
「個人の体験をどこまでも深く掘り下げていくと、普遍に達する」
自分も、感じたことを掘り下げていけば、地方移住に関するユニークな教訓が取り出せるかもしれない。
というわけで、新しい環境における自分の変化を考察してみることにしました。
地方移住による変化
まあ、変化したことなんて山ほどあるんですよね。とりあえず、ぱっと思いついた3点を挙げてみることにしました。
1,車に乗るのが楽しくなる?
自分が免許を取ったのは、東京・世田谷区の教習所です。ここは英語対応が進んでいるため、外国人がたくさん来るユニークな場所でした。
ただ、正直なところ、路上講習はちっとも面白くなかった。
道路沿いが住宅やお店、ビルばっかりで、「ぱっと開けた絶景」といったものがなかったからです。
その一方で、今住んでいるところは、少し車で走れば、町から畑、山、海と、景観がダイナミックに移り変わります。
特に、近くにあるトンネルは、抜けた先にぱっと海が開けます。そして、ブルーの海をバックに、ビワの木が立ち並んでいる。
このシーンを見たときは、感動しました(車乗っているんで、写真は取れないのですが)。
それに、人も車も多くないので、リラックスして走れるのもポイントです。
こんな場所だったら、ツーリングしても楽しいだろうなあ。そう感じました。
2、讃岐弁と大阪弁
自分の両親は関西出身です。
ただ、自分は、生まれも育ちも関東(神奈川・千葉です)。
なので、家では親と関西弁なまりで話し、外に出ると標準語で話す。そんな環境で育ちました。
こういう経緯だと、
「ワイは東京弁と関西弁のバイリンガルなんやで」
と胸を張ったりできそうなものですが、自分の場合、むしろ、
「どっちの言葉も正しく使えていない」
「どっちの言葉も、自分はネイティブじゃない」
そんな疎外感というか、居心地の悪さがありました。
ただ、不思議なものです。
香川は讃岐弁(関西弁によく似ている)を話します。初めは少し違和感があったのですが、だんだん「懐かしさ」みたいなものを感じるようになりました。
自分が関西弁のDNAを持っているからか。
あるいは、讃岐弁の生き生きしたリズム感が楽しいからかもしれない。
ただ、単に旅人として関わるのでなく、実際に「住む」ことで、言語に対する感覚は変わる、という側面もあるかもしれません。
讃岐弁が、今後、自分の中でどういう位置づけになるかは分かりません。でも、とりあえず今はけっこう楽しんでいます。
3、カフェがない
休日の夕暮れは、カフェで本を読み、書きものをする。
この10年来、そんな習慣を送ってきました。
万年金欠のため、使うのはせいぜいタリーズといった、フリーWifiが使えるチェーン店です。
でも、見知らぬ人たちに紛れて、1人でぼんやりすること。
そうした、ふわふわした雰囲気が好きです。
ただ、今の家からフリーWifiが使えるカフェまでは、5キロくらいある。今までのように気楽には行きづらい環境です。
そうなった時、カフェ通いは今後、別のものによって代替されるのか。
そもそも、
「なぜ自分はカフェに通いたくなるんだろう」
という深層の欲望の解明も含め、この点は継続的に考察してみたいと思います。
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以下、これに関連して考えたことを追加で。
小さな「好き」を積み重ねる
先日、スーパーで香川県のブランド米「おいでまい」を買いました。
話のネタづくりで買ったので、あまり期待してなかったのですが、食べてみると「めっちゃうまいやん!」と度肝を抜かれました。
甘みがあって、歯ごたえもなかなかです。
(自分は玄米食の人間ですが)しかも、玄米に混ぜて炊くと、玄米に足りないもっちりさを補ってくれて、ちょうどいい塩梅になる。
で、この発見をした時なのですが、ふっと、
「生活の形が、また1つできた」
という感覚がしたのです。
※
料理や洗濯物、風呂そうじ、食器洗い。生活をつくる1コマ1コマ。
こういうものに関して、
「このやり方が、自分に合っている」
「こういうのが好き」
「これが楽」
というものを、1つ1つ見出していくこと。それを積み重ねていくこと。
生活をつくるとは、そういうことなのかな。そう感じました。
私の泣ける場所
こんなことを考えていて、ふと思い出したことがあります。前に、九州の中山間地で暮らす若い女性と話したことがあります。
彼女ははじめ、自身の家出話などをしていたのですが、ふっと、こんな話をしてくれました。
「うちの近くに、星のきれいに見える場所があって」
「辛くって泣きたくなったときは、〇〇(亡くなった愛犬)と一緒に行って」
「そこで泣いてたんです」
自分の乏しい記憶力では、彼女の生き生きとした方言をうまく再現できません。
でも、彼女の言葉は、深く闇に包まれた山の中で、ゆらめく灯火のように響きました。
※
「地域への愛着」という言葉があるけれど、場所に対する人間の感情は、たいてい、もっと複雑なものです。
なぜなら、ある場所に深くコミットすればするほど、良いことも嫌なこともたくさん経験するから。
そうした中で、「好き」とか「嫌い」といった単純な言葉だけでは、割り切れない感情が生まれていく。
地域だけではなく、会社や職場もそうだと思います。夫婦とか家族も、そうかもしれません。
だから、彼女も「地域への愛着」なんてシンプルな言葉では、表せないような感情なんだと思います。
でも、「私の泣ける場所」があること。
その話を聞いた時、この土地が、彼女の存在に深く刻み込まれていることは、確かなように思いました。
香川の今の土地が、自分にとってどんなものになるのかはまだ分かりません。まあ、とりあえずボチボチ考察を続けようと思います。
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