【ヨガ男子の香川日記 第0話(れいわ)】私の泣ける場所

2019年4月7日日曜日

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「トンネルを抜けた先は、海だった」


川端康成の小説『雪国』を真似して言うと、そんな感じでしょうか。

町から畑へ。

畑から山へ。

そして山を抜けると、海へ。

車で走っていると、どんどん景色が移り変わる。今、そんな場所に住んでいます。


2週間ほど前、仕事で香川県西部に引っ越しました。これは、最近の言葉で言えば、いわゆる「地方移住」になるかなと思います。

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住む場所が変わると、人間ってどう変わるのか?


大江健三郎の小説『個人的な体験』の書評かなにかに、こんな言葉があったのを覚えています。

個人の体験をどこまでも深く掘り下げていくと、普遍に達する


自分も、感じたことを掘り下げていけば、地方移住に関するユニークな教訓が取り出せるかもしれない。

というわけで、新しい環境における自分の変化を考察してみることにしました。

地方移住による変化

まあ、変化したことなんて山ほどあるんですよね。

とりあえず、ぱっと思いついた3点を挙げてみることにしました。


1,車に乗るのが楽しくなる?

自分が免許を取ったのは、東京・世田谷区の教習所です。ここは英語対応が進んでいるため、外国人がたくさん来るユニークな場所でした。

ただ、正直なところ、路上講習はちっとも面白くなかった。

道路沿いが住宅やお店、ビルばっかりで、「ぱっと開けた絶景」といったものがなかったからです。


その一方で、今住んでいるところは、少し車で走れば、町から畑、山、海と、景観がダイナミックに移り変わります。

特に、近くにあるトンネルは、抜けた先にぱっと海が開けます。そして、ブルーの海をバックに、ビワの木が立ち並んでいる。

このシーンを見たときは、感動しました(車乗っているんで、写真は取れないのですが)。

それに、人も車も多くないので、リラックスして走れるのもポイントです。

こんな場所だったら、ツーリングしても楽しいだろうなあ。そう感じました。


2、讃岐弁と大阪弁

自分の両親は関西出身です。

ただ、自分は、生まれも育ちも関東(神奈川・千葉です)。

なので、家では親と関西弁なまりで話し、外に出ると標準語で話す。そんな環境で育ちました。

こういう経緯だと、

「ワイは東京弁と関西弁のバイリンガルなんやで」

と胸を張ったりできそうなものですが、自分の場合、むしろ、

「どっちの言葉も正しく使えていない」
「どっちの言葉も、自分はネイティブじゃない」

そんな疎外感というか、居心地の悪さがありました。


ただ、不思議なものです。

香川は讃岐弁(関西弁によく似ている)を話します。初めは少し違和感があったのですが、だんだん「懐かしさ」みたいなものを感じるようになりました。

自分が関西弁のDNAを持っているからか。

あるいは、讃岐弁の生き生きしたリズム感が楽しいからかもしれない。

ただ、単に旅人として関わるのでなく、実際に「住む」ことで、言語に対する感覚は変わる、という側面もあるかもしれません。

讃岐弁が、今後、自分の中でどういう位置づけになるかは分かりません。でも、とりあえず今はけっこう楽しんでいます。


3、カフェがない

休日の夕暮れは、カフェで本を読み、書きものをする。

この10年来、そんな習慣を送ってきました。

万年金欠のため、使うのはせいぜいタリーズといった、フリーWifiが使えるチェーン店です。

でも、見知らぬ人たちに紛れて、1人でぼんやりすること。

そうした、ふわふわした雰囲気が好きです。

ただ、今の家からフリーWifiが使えるカフェまでは、5キロくらいある。今までのように気楽には行きづらい環境です。

そうなった時、カフェ通いは今後、別のものによって代替されるのか。

そもそも、

なぜ自分はカフェに通いたくなるんだろう

という深層の欲望の解明も含め、この点は継続的に考察してみたいと思います。


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以下、これに関連して考えたことを追加で。

小さな「好き」を積み重ねる


先日、スーパーで香川県のブランド米「おいでまい」を買いました。

話のネタづくりで買ったので、あまり期待してなかったのですが、食べてみると「めっちゃうまいやん!」と度肝を抜かれました。

甘みがあって、歯ごたえもなかなかです。

(自分は玄米食の人間ですが)しかも、玄米に混ぜて炊くと、玄米に足りないもっちりさを補ってくれて、ちょうどいい塩梅になる。

で、この発見をした時なのですが、ふっと、

生活の形が、また1つできた

という感覚がしたのです。


料理や洗濯物、風呂そうじ、食器洗い。生活をつくる1コマ1コマ。

こういうものに関して、

「このやり方が、自分に合っている」
「こういうのが好き」
「これが楽」

というものを、1つ1つ見出していくこと。それを積み重ねていくこと。

生活をつくるとは、そういうことなのかな。そう感じました。


私の泣ける場所

こんなことを考えていて、ふと思い出したことがあります。

前に、九州の中山間地で暮らす若い女性と話したことがあります。

彼女ははじめ、自身の家出話などをしていたのですが、ふっと、こんな話をしてくれました。


「うちの近くに、星のきれいに見える場所があって」

「辛くって泣きたくなったときは、〇〇(亡くなった愛犬)と一緒に行って」

「そこで泣いてたんです」


自分の乏しい記憶力では、彼女の生き生きとした方言をうまく再現できません。

でも、彼女の言葉は、深く闇に包まれた山の中で、ゆらめく灯火のように響きました。


「地域への愛着」という言葉があるけれど、場所に対する人間の感情は、たいてい、もっと複雑なものです。

なぜなら、ある場所に深くコミットすればするほど、良いことも嫌なこともたくさん経験するから。

そうした中で、「好き」とか「嫌い」といった単純な言葉だけでは、割り切れない感情が生まれていく。

地域だけではなく、会社や職場もそうだと思います。夫婦とか家族も、そうかもしれません。

だから、彼女も「地域への愛着」なんてシンプルな言葉では、表せないような感情なんだと思います。


でも、「私の泣ける場所」があること。

その話を聞いた時、この土地が、彼女の存在に深く刻み込まれていることは、確かなように思いました。


香川の今の土地が、自分にとってどんなものになるのかはまだ分かりません。まあ、とりあえずボチボチ考察を続けようと思います。












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