非日常が日常になっていく
香川県西部に引っ越して4週間が過ぎました。こちらでもヨガクラスに通い始めました。自宅から15キロほど離れた、丸亀市の個人教室です。運動も兼ねて、そこまでは自転車で行っています。
先日、その通り道である国道11号線で、せっせとペダルを漕いでいた時のことです。
春の陽射しに照らされた田園風景を見ていて、ふと
「あ、今、呼吸が深くなっている」
という感覚が訪れました。
初めて走る道だと、「このルートで正しいのかな?」といった迷いに意識が向きがちです。
その分、走ることに集中しづらい。そして、呼吸も浅くなりがち。
でも、一度通った道だと、「ここで曲がればOK」「この次に急勾配が来る」といったことが分かっている。だから、よりリラックスして走ることができる。
そして、リラックスする中で、自然と呼吸がゆったりとなっていく。
このことに気づいた際、
「非日常だった香川の生活が、今、日常に変化してきているんだなあ」
と感じました。
誰かの非日常と日常が交差するのが、旅
人生の時間についてどう考えるかは、人それぞれです。でも、1つの考え方として、「日常」と「非日常」という分け方があるかと思います。普段やらないことに挑戦することで、新しい知見や刺激を得る「非日常」。
休息したり、より深い探求をしたりするための時間である「日常」。
どちらも、生きる上で欠かせない要素です。
ただ、「日常」と「非日常」は、相反しているわけではなく、いわば「相互浸透」するような、不思議な関係にあります。
1つは、前述したような「非日常が日常に変わる」という側面。そして、それ以外にも、さまざまな形があると思うのです。
※
例えば、旅。
旅は「非日常」だと言います。初めての場所に行って、初めての体験をする。それが目的だったりするからです。
ただ、面白いなあ、と思うのは、
「旅人にとっては『非日常』であっても、受け入れる側にとっては『日常』なんだよなあ」
ということです。
先日、友人が大阪から訪ねてきた際、近くのスポットを案内し、カフェでご飯を食べました。
案内したスポットとカフェは、自分はすでに何度か行ったことのあり、親しみを感じはじめている場所でした。
ただ、それらに対して、新鮮な驚きを漏らす友人を見て、なんだか、不思議な気がしました。
友人の非日常と、自分の日常が、同じ時・場所で交錯している。
この感覚、なかなかうまく言葉にできないのですが、昼過ぎに友人と別れた後、「また自分の日常に帰っていくんだ」と感じると同時に、「あ、自分もなんだか、非日常を体験しているような気分になっていたんだな」と感じたのです。
非日常の中に日常を見出す
日常の中に非日常を見出す。あるいは、非日常の中に日常を見出す。そんな側面もあります。学生時代にロシアに留学していた際、ショッピングセンターに行った時のことのことです。
ところ狭しと並んだ商品を物色していると、ふと、
「キリール、こら、待ちなさい!」
という声が聞こえてきました。
見ると、笑いながら駆け回る子どもを、ロシア人のお母さんが追いかけていたのです。
その光景を見て、懐かしさに似た温かい感情が湧き上がってきました。
好き勝手に遊び回る子どもをお母さんが叱る。それは日本にも共通する光景ですが、それを見た時、
「この人達は、”不思議の国の住人”ではなくて、日本人と同様に日常生活を生きているんだ」
と得心がいったのです。
ロシアという、多くの点で日本と異なる国での「非日常」の体験の中に、「日常」を感じた瞬間でした。
人生の豊かさ?
非日常の中にも日常がある。日常の中にも非日常がある。そうした眼差しで物事を捉え直してみることは、「豊かな人生」といったものに関わっている気がします。
単に、一時的な「ハッピー」「アンハッピー」といったもので割り切れないもの。
「メリットがある・ない」という次元とも異なるもの。
むしろ、「味がある」「情け深い」といった言葉で言い表わされてきた感覚に近いかもしれません。
あまりうまくまとめられないのですが、最近、「日常」と「非日常」について考えることが多いので、また別の機会に、より考察を深めて行きたいと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿