【ヨガ男子の香川日記】旅と移住の違い?日常と非日常に関する考察

2019年4月21日日曜日

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非日常が日常になっていく

香川県西部に引っ越して4週間が過ぎました。

こちらでもヨガクラスに通い始めました。自宅から15キロほど離れた、丸亀市の個人教室です。運動も兼ねて、そこまでは自転車で行っています。

先日、その通り道である国道11号線で、せっせとペダルを漕いでいた時のことです。

春の陽射しに照らされた田園風景を見ていて、ふと

「あ、今、呼吸が深くなっている」

という感覚が訪れました。


初めて走る道だと、「このルートで正しいのかな?」といった迷いに意識が向きがちです。

その分、走ることに集中しづらい。そして、呼吸も浅くなりがち。

でも、一度通った道だと、「ここで曲がればOK」「この次に急勾配が来る」といったことが分かっている。だから、よりリラックスして走ることができる。

そして、リラックスする中で、自然と呼吸がゆったりとなっていく。


このことに気づいた際、

「非日常だった香川の生活が、今、日常に変化してきているんだなあ」

と感じました。


誰かの非日常と日常が交差するのが、旅

人生の時間についてどう考えるかは、人それぞれです。でも、1つの考え方として、「日常」と「非日常」という分け方があるかと思います。

普段やらないことに挑戦することで、新しい知見や刺激を得る「非日常」。

休息したり、より深い探求をしたりするための時間である「日常」。

どちらも、生きる上で欠かせない要素です。

ただ、「日常」と「非日常」は、相反しているわけではなく、いわば「相互浸透」するような、不思議な関係にあります。

1つは、前述したような「非日常が日常に変わる」という側面。そして、それ以外にも、さまざまな形があると思うのです。

例えば、旅。

旅は「非日常」だと言います。初めての場所に行って、初めての体験をする。それが目的だったりするからです。

ただ、面白いなあ、と思うのは、

「旅人にとっては『非日常』であっても、受け入れる側にとっては『日常』なんだよなあ」

ということです。

先日、友人が大阪から訪ねてきた際、近くのスポットを案内し、カフェでご飯を食べました。

案内したスポットとカフェは、自分はすでに何度か行ったことのあり、親しみを感じはじめている場所でした。


ただ、それらに対して、新鮮な驚きを漏らす友人を見て、なんだか、不思議な気がしました。

友人の非日常と、自分の日常が、同じ時・場所で交錯している。

この感覚、なかなかうまく言葉にできないのですが、昼過ぎに友人と別れた後、「また自分の日常に帰っていくんだ」と感じると同時に、「あ、自分もなんだか、非日常を体験しているような気分になっていたんだな」と感じたのです。


非日常の中に日常を見出す

日常の中に非日常を見出す。あるいは、非日常の中に日常を見出す。そんな側面もあります。

学生時代にロシアに留学していた際、ショッピングセンターに行った時のことのことです。

ところ狭しと並んだ商品を物色していると、ふと、

「キリール、こら、待ちなさい!」

という声が聞こえてきました。

見ると、笑いながら駆け回る子どもを、ロシア人のお母さんが追いかけていたのです。

その光景を見て、懐かしさに似た温かい感情が湧き上がってきました。


好き勝手に遊び回る子どもをお母さんが叱る。それは日本にも共通する光景ですが、それを見た時、

「この人達は、”不思議の国の住人”ではなくて、日本人と同様に日常生活を生きているんだ」

と得心がいったのです。

ロシアという、多くの点で日本と異なる国での「非日常」の体験の中に、「日常」を感じた瞬間でした。


人生の豊かさ?

非日常の中にも日常がある。日常の中にも非日常がある。

そうした眼差しで物事を捉え直してみることは、「豊かな人生」といったものに関わっている気がします。


単に、一時的な「ハッピー」「アンハッピー」といったもので割り切れないもの。

「メリットがある・ない」という次元とも異なるもの。

むしろ、「味がある」「情け深い」といった言葉で言い表わされてきた感覚に近いかもしれません。


あまりうまくまとめられないのですが、最近、「日常」と「非日常」について考えることが多いので、また別の機会に、より考察を深めて行きたいと思います。


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