「心の奥の花瓶」に水をあげたい:THE BLUE HEARTS『情熱の薔薇』に寄せて

2019年2月28日木曜日

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「情熱の真っ赤な薔薇を 胸に咲かせよう
花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方」

ロックバンド、THE BLUE HEARTSに『情熱の薔薇』という曲があります。



長いこと忘れていたこの歌を、先週末、ふと思い出すことがありました。

そして今日。ある知人がFacebookで、偶然、この曲について書いていたのを見かけました。

なんだか、不思議な”流れ”を感じて、「書かなきゃ」という気持ちになったので、夜中にこっそりこの文章を綴っています。


忘れていた「情熱の薔薇」

『情熱の薔薇』を初めて聴いたのは、大学生の時でした。

「吠えるような歌い方」

そんな形容がピッタリの、ガンガン攻めてくるような甲本ヒロトの猛々しい声。

でも、3分弱のこの曲の最後。「花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方」と歌うとき、甲本さんの声が、ちょっとやさしくなる。

これを聴いた瞬間、


「大暴れしていたマッチョな大男が、誰もいない片隅で、ちょこんとお花に水を上げているみたいだな」


そんな可愛らしいイメージが浮かんで、なんだか笑いたくなりました。


その後、20代のほとんどを、自分は頭痛に悩まされることになりました。

ドラムのビートを聴くと、脳が万力で締め付けられるような、強い苦痛が起こる。

ロックはおろか、ちょっと激しめのオーケストラ音楽ですら、辛く感じる。

そんな中で、THE BLUE HEARTSのことも忘れていきました。


「花瓶に水をあげる」ような文章

でも、先週末、用事で訪れた埼玉県川越のスターバックスでブログを書いていた時。

ふっと、「花瓶に水をあげましょう」という言葉が、数年ぶりに心に浮かんできました。

「私ばっかり、いつも損してる!」 報われない気持ちに関する考察


優柔不断で、いろんなものをこぼしてきた過去。

他人に認めてもらえない淋しさ。

自分の馬鹿さ加減で傷つけてきた人。

「結局さあ、自分(てめえ)の苦しみは自分(てめえ)のエゴから生まれるんだけど、やっぱり、エゴから逃れることはできないんだよね」。


ブログを書きながら、とめどもない思いが、流れては消えていく。

そんな中で、ふと「心の奥の小さな花」のイメージが、池に咲く蓮のように、浮かび上がってきたのです。


生きることは、どうしようもなく、エゴの押し付け合いだという側面を含まざるを得ないのではないかと思います。

でも、心のずうっと奥の、薄暗がりの中で小さく光っている花瓶。

そこに、ほんのちょっと、水を注いであげるようなことをできたら。


このブログを初めてからずっと、「自分は何をしたくて、こんなものを書いているんだろう」と分かりませんでした。

でも、ブルーハーツの曲を思い出した瞬間、何かがすっと落ちたように、「ああ、そういうことだったのか」という気がしたのです。

ひとの心の奥底にある花瓶に、お水をあげるような文章を書きたい。

それが、望みなのかもしれない。

答えは分からないままだけど

でも、「心のずっと奥の方」って、いったいどこにあるんだろう

心なんて、脳神経の電気のやり取りにすぎないかもしれないのに。

この熱い思いとか、感動も、日常の苛立ちの中で、すぐに薄れてしまったりするかもしれないのに。

そんな声も、心の中で響いている。



でも、この方向に進めという声も、たしかにある。



結局、何かはっきりした答えが出たわけではないんだけど、また、ボチボチ歩き続けていこうと思いました。


最後に、敬意を込めて引用させてもらいます。



『情熱の薔薇』

作詞作曲:甲本ヒロト

永遠なのか本当か 時の流れは続くのか
いつまで経っても変わらない そんなもの あるだろうか
見てきたものや聞いたこと いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い そんな気持ちわかるでしょう

答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方
涙はそこからやって来る 心のずっと奥の方

なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ
なるべくいっぱい集めよう そんな気持ちわかるでしょう
答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方
涙はそこからやって来る 心のずっと奥の方

情熱の真っ赤な薔薇を 胸に咲かせよう
花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方

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