先週末、2泊3日で香港旅行をした。
その顛末について先週、1度書いているが、その続きを書かせて頂きたい。
2泊3日の香港旅行で高所恐怖症を味わって
寶蓮(ポーリン)寺を訪ねて
滞在2日目(9月22日)、香港唯一の大仏があることで知られる寶蓮(ポーリン)寺を訪ねた。
ポーリン寺は、香港南西部にあるランタオ島の山の上に立つ。行くには、地下鉄の東涌(トンチョン)駅からゴンピン360駅まで歩き、ケーブルカーに乗り換える必要がある。
ケーブルカーでは、元気いっぱいの小さな女の子を連れたインド人のご夫婦と一緒になった。
彼女は、お父さんに「ねえ構って構って」とはしゃぎまわる。お父さんは、僕を見て「娘が騒いでごめんなさいね」と笑う。
彼女たちの近くにいて、こちらも楽しい気分になった。
ケーブルカーは、陽光にきらめく内湾を越え、山肌に沿って進んでいく。車窓から山の様子を眺めながら、
「香港には、あまり大きな木がないなあ」
「きっと土が痩せているんだろう」
「香港で金融が発展したのも、案外、こういった土地の特性と関係しているのかも」
といった考え事にふけった。
お寺での不快ごと
そんなこんなでポーリン寺につき、名物の大仏などを眺めながら歩き回った。
折しも、雲間から太陽が強烈に照りつけた。その日、気温は30℃を越えていた。
香港がこれほど暑いとは想像していなかったため、少し歩くと汗だくになった。
「何か飲みたいなあ」。そんな気分の自分の目に、ふっと、寺の境内の売店で販売されているマンゴージュース(?)が映った。
値段表を見ると、30香港ドル(400〜500円程度)。日本なら絶対に買わない値段だが、このときは金払いがいい観光客気分だ。
「This one, please(これください)」
そこにいた40〜50絡みの販売員の女性に尋ねた。彼女の「分かった」という素振りを見て、
「30 dollars?(30ドルですよね)」と100ドル紙幣を取り出した。
(お金を細かくくずしたかったのだ)
販売員の女性は鷹揚な態度でそれを受け取ると、後ろにしまった。
そして、少し経ってからジュースの入ったプラスチック容器をこちらに出してきた。そして、手振りで「30」と示した。
「えっ」
一瞬、はげしく戸惑った。
女性は、こちらが何も分かっていないと思ったのか、電卓を取り出し、「30」と打って、こちらに提示してきた。
心の中で「なんでやねん」とつぶやきながら、
「I already paid 100 dollars(もう100ドル払いましたけど)」と言った。
しかし、彼女は英語を解しないようで、ちょっと顔をしかめてから、また電卓の「30」を示してきた。
(香港では多くの人が英語を話せるが、必ずしもすべての人ではない)
こちらも、さらに2度ほど英語で「もうお金払いました。100ドル払ったから、70ドルのお釣りですよね」と言ったが、やはり通じていないようだった。
※
もっとも、この場面に至った後でも、ジュースの受取を拒否して、周りにいる英語を解する香港人の人に通訳をお願いするといった手もあっただろう。
ただ、このときの自分は、暑さにやられて、相当疲弊していた。
だんだん面倒くさくなり、「わかった、分かったよ」と言って、改めて30ドルを取り出して渡し、ジュースを受け取った。
事態を考え直して
それから日陰のベンチに座って、ジュースのストローに口を当てた。
冷たく甘い液体が体内に流れ込んでくると、少し疲れが癒されるようだった。
同時に、怒りが湧き上がってきた。怒りは、ジュースの中にも沈殿しているように思えた。
「なんて不調法だ。こんなところで二度と何も買ってやらない」。
※
少し元気が戻ってくると、この寺の名物である「心経簡林/Wisdom Path」へ歩いていった。
奥には香港のパワースポットとして有名な、般若心経が刻まれた木板が八の字の形に建てられている「ハート・スートラ」や、南シナ海を望む展望デッキがある。
心を清めるべきこの小道を歩きながらも、怒りはなかなか去らなかった。
もともと、香港に来る前から相当疲れが溜まっている状態だった。
脳の中に堆積した疲れが、怒りを体外を洗い流すのを拒んでいるのかもしれなかった。
それでも、ベンチで休んだりしながら、木々や花々、青空を眺めていると、少しずつ気分も収まってきた。
「まあ、たかだか1500円程度のことだ」。
気分が落ち着いてくると、こんなことでイライラしているのが、もったいない気分になった。
「それに、これは、今後もっと大きな詐欺などに遭わないように気をつけろという、神様からの警告みたいなものかもしれない」
こんなポジティブな考えを取れるようになった。
※
さらに歩きながら、こうも思った。
「こういう金の扱いをしていると、観光地に不評が立つ。不評が立つと客足が減り、地域の経済が逼迫する。すると地域の雇用が減るだろう」
こういう場面で、お金の扱いがちゃんとできていないことを相手に指摘するのは、自分の怒りをぶつけるというより、相手のためにも必要なのだ。
自分は基本的に人との争いごとが苦手な性格ではあるが、相手のためを思うと、しっかり言って上げたほうがいいのだろう。
そんなことを考えながら、山道を引き返し、再び寺への道に戻っていったのだった。
※
香港では基本的に楽しく過ごしていたため、これは数少ない不快な体験である。
ただ、なんだかんだで、不快な体験の方にこそ、印象に残ることや、学ぶことがあるものだと、改めて思った。
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