夕暮れ時。船着き場の近く。人混みの中でスマホを見つめていた少女は、ふと顔を上げると、弾けるように笑った。
そして、遅れてきた彼氏らしき男に何度も手を振った。
たまたまそばを通りかかった自分にも、彼女の喜びが伝わってくるようで、つられて思わず笑った。
香港の人々の生活に触れて
9月21〜23日、香港を旅行した。仕事の忙しさに追われて、何も準備しない中での初の訪香だった。
(数ヶ月前に取ったLCCのチケットは日程変更ができなかったのだ・・・)
初めての香港に感じたことは種々あるが、特に街中の人々に親しみを覚える機会が多かった。
地下鉄の中でお姫様ごっこをする『アナと雪の女王』のTシャツを来た少女(香港には世界で一番小さいディズニーランドがある)。
空港のポケットWifi受け渡しカウンターにいた、親切だけどちょっとオロオロした新米社員らしき女性。
コインロッカーを探してウロウロしていた自分を、笑いながら案内してくれたショッピングモールのおじさん。
香港は現在、政治・経済のさまざまな問題で揺れていると思うが、地元の人々の日常にちょっと触れることができて、行って良かったと率直に思えた。
香港で高所恐怖症を思い出して
旅行に来ると、普段はやらないことをやってみたくなるものである。
自分は全般的に”ビビリ”だが、殊に高いところが苦手だ。
「バンジージャンプやスカイダイビングをやる人間は、頭がおかしいんじゃないか」。
内心でそう思っているクチである(バンジーやスカイダイビング好きの方、ごめんなさい笑)。
しかし、今回は海外旅行で舞い上がり、そんな高所恐怖症を忘れていたのだった。
※
21日の午後に香港に到着すると、まず一番有名な観光スポット「ヴィクトリア・ピーク」に行こうと思った。
ただ、観光案内所で「今日みたいに天気のいい日は、1〜2時間並びますよ」と言われ、すっかりげんなりしてしまった。
それでも、とりあえずヴィクトリア・ピーク行きのトラムが走る街の中心地に行ってみたところ、近くにそそり立つ観覧車が目に入った。
「ヴィクトリア・ピークの代わりに、こっちに乗ろう」。
チケット料金の表も見つつ、そう決めた。
※
観覧車というのは、傍から見る分にはあまり高くないように感じられるものだ。
そんなわけで、「今日は天気もよくって、景色がきれいだろうな」と一点の不安もないウキウキ気分のまま、ボックスに乗り込んだ。
観覧車はゆっくりと空へ上がっていき、眼前に夕暮れの九龍湾が美しい広がりを見せる。
だが、はるかな湾に注いでいた視点を、何気なく下に移してみると、港を歩く人々が、まるでアリのような大きさになっていた。
「え、こんな高いの!」。
そう気づいた瞬間、尻の下の方から空気がすうっと抜けていくような感じがした。
そして、脳裏には、
「ここから下に落ちたら、コンクリートの上で自分の肉体はぐしゃぐしゃになるだろうな」
「肉体がぐしゃぐしゃに潰れる瞬間というのは、どのような感じなのだろうか」
そんな想像が駆け巡った。
※
自分でも驚いたのだが、この時、本気で「自分の頭を抱えて、ちっちゃい子どものようにしゃがみ込みたい」と感じた。
実際にケーブルカーが落ちたら、そんなことをやっても意味がない。
でも、怖くて、普通に座っていることができないのである。
もっとも、自分が乗ったボックスには、他にも中国系の若い3人組と、お年を召したカップルが座っていた。
「ビビっている自分を見せるのは恥ずかしい」という感情も働いて、かろうじてとどまった。
なので、しゃがみ込む代わりに、手すりをガッツリつかみ、さらに椅子も前のめりに座った。
(椅子の後ろまで深く腰かけると、観覧車のボックスがひっくり返りそうな感じがしてならなかったのである)
そして、彼方に広がる九龍湾の美しい景観だけに目線を固定して、「すてきな絶景、すてきな絶景」とおまじないのように唱え、脳を絶景一色で埋めた。
観覧車は結局、3周したが、とりあえずなんとか乗り切ることができた。
観覧車から出てきた時は、ぐったりしていた。
自分ではよく分からない衝動
「たかだか観覧車くらいで」と言う人もいるだろう。だが、自分としては「だって、コワイものはコワイんだもん」とい思うのである。
高所恐怖症の人間が味わう感覚は、そうでない人間にはよく分からないものだろう。
もっとも、このことを考えていて気づいたのは、「他人にはよく分からない、自分の衝動や症癖」は、高所恐怖症に限らず多くあるだろうということだ。
※
観覧車に乗った日の夜、民泊先でベッドに寝そべりながらスマホでインターネットを見ていたら、たまたまLGBTに関する記事が目に入った。
自分は今までのところ、とりあえず異性を好きになった経験しかない。
なので、LGBTの方々がどのような感覚なのか、よく分からない部分がある。
ただ、「なんだかよく分からないけど好きになっちゃった」という、よく分からない衝動に突き動かされている点は、同性愛も異性愛も同じなのではないかと思う。
最近、「子どもが産めない同性愛者には生産性がない」とする主張が話題を呼んだ。
ただ、「子どもを産む=生産性・有意義」というのは、あくまで現時点での人間の知識でもって考えられる範囲の話である。
生物学の研究では、一見、無意味に見える動物の行動や自然界の事象が、実は大事な役割を果たしていると証明されることがある。
自分は学問を基本的に尊敬している人間だが、学問の基本前提は「まだ人間には分かっていない事がある」という認識だ。
そう考えると、「好き」という感情を含めた人間の衝動というのも、今の人間の知見では理解できない隠された意味があるかもしれない。
自分の高所恐怖症も、一見すると「ただのビビリ」に見えるだろう。
でも、実は「高いところって本当はアブナイんだぞ」と人類全体に警告を発するような、大変な意義があるのかもしれない。
そんなことを思うのである(ないかもしれないけど笑)。
そんな省察を与えてくれた香港の観覧車に、改めて感謝を示したい。
と同時に、「しばらく高いところはカンベンだな」と思った。。。
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