この土日の朝は、溜まった疲れのためか、布団からなかなか出ることができなかった。
朝はたいてい、不安で目が覚める。「あれもこれも、うまくいかないだろう」という悲観的な感情が噴き出し、脳内を駆け巡るのだ。
その一つ一つをなだめながら、もう一度眠りにつこうとするのだが、最近は、うまく眠れないまま、時間ばかり過ぎることが多くなった。
この土日も、そんな形で疲れが取れず、結局、いくつかの予定をキャンセルせざるを得なくなった。
ただ、そんな中でFacebookを見ていて、ふと気になった記事があった。
「今流行りのマインドフルネスに物申す。29年間ネイティブアメリカンと共に生きてきたぼくが伝えたい、本当の「あるがままに生きる」とは?」
これは、ネイティブアメリカンのもとで30年近く暮らし、現在は企業や教育関係者に対してリーダーシップやイノベーション創出論などについて研修を行っている松木正さんのインタビューである。
記事内では、自分の弱い部分を含めて「私は存在していていいんだという安心感」を持つことの大切さといった、興味深い話題が多く出てきた。
中でも印象的だったのが、日常的な思考を超えて、いかに創造的なプロセスに入るか、という話だ。
松木さんは、自分という枠を超えた大きな世界(エッセンス)につながることが大切だとした上で、そうした大きな世界につながるためには、「自分から何か見ている」というより、「向こうが注意を引いている」といった感覚になることが大切だと語っている。
つまり、森の中に入ったとき、ふと「鳥が自分を見ている」(自分が見ているのではなく)と感じるような意識の在り方だ。
これを読んでいて、先日、作家の石牟礼道子さんに関連して、このブログで「森羅万象が人格を持つ」という感覚について書いたことを思い出した。
子どもの心で世界を見る感性:石牟礼道子さんの『あやとりの記』
ネイティブアメリカンのもとでの体験をもとにした松木さんの感覚は、石牟礼さんのそれと深く通じ合っているのだろうと思う。
なお、松木さんの講演が3月27日にあるという。自分は行けるか分からないが、改めて、ネイティブ・アメリカンの思想や生き方に興味を抱いた。
3月12〜18日
地方に移住する友人
友人が、今年の春、東海地方に移住することになった。彼は、もともと北の方の出身。しばらく東京で働いていたが、都会の喧騒が好きになれなかったようで、このたび縁あって東海地方の田舎に移住することにしたという。
以前から移住の話は耳にしていたが、正直、こんなに早く動くとは思わなかったので、驚いた。
同時に、人生に大きな決断を行った彼の姿に勇気づけられる思いがした。
彼の新たな門出を祝うため、先日、一緒に焼肉を食べた。
(もともと飲みにする予定だったが、「●●さん(筆者)、あんま飲まないでしょ。オレも腹減ってるし、焼肉食べ放題にしましょうよ!」と提案してくれて、一もニもなく賛成した)
焼肉の煙で油くさくなりながら、お互いのこれからの仕事や、目指す生き方などを語り合った。
「●●さんは、おっとりした性格だから、こんなことが向いているんじゃないですか」
と、彼なりに、僕に対して様々なアドバイスもくれた。
夜22時前まで一緒に焼肉屋で喋ったあと、駅の改札まで送っていた。
「お互い住む場所は違っても、また会いましょう」と手を振って別れたあと、ふと駅前のネオンを見ていると、夜がいつもより少し明るいような気がした。
Messengerでのやり取り
先週は、何人かの方と、Messengerでやり取りをさせていただいた。実務的な情報交換というより、お互いの心境や、思想的な部分について、意見を交わした。
正直なところ、相手がおっしゃったことを自分が十分に汲み取れたか、心もとないところだ。
また、自分も言葉足らずで、相手に自分の考えを十分には伝え切れなかったと思う。
それでも、こうした心の琴線に触れるようなやり取りは、とてもエネルギーを与えてくれるものだった。
改めて、自分に関わってくださる方々に、深い御礼を申したい。
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