木曜日の朝、目覚めたのは5時だった。窓の外からは、夜明け前の闇をとおして激しい雨音が伝わってきた。
冬の間の晴天のうっぷんを晴らすような大雨だった。家から最寄り駅までのわずかな間に、靴の中に水がしみてきた。
この日は午前10時から千葉県の内房で取材があった。
朝8時にJR千葉駅近くでカメラマンの方と合流し、車に乗せてもらい、高速を飛ばす中で、空はだんだん晴れていった。
幾つかの場所で撮影を無事に終えた後、海沿いにある食堂で遅めのランチを食べた。
窓の外では、海が太陽を反射しながら、荒々しく波立っていた。
カメラマンの方がお手洗いに行っている間、海を見つめていて、ふと、子どもの時、両親に連れられて海に行った時のことを思い出した。
「なんて神秘的なんだろう」。当時の自分は、初めて見た海で、寄せては返す波の動きにすっかり魅了された。
「波をつかまえてみたい」と、バケツを持って、いさんで海の中に入った。
でも、白い飛沫と青さを湛えた海水は、バケツに入った途端に、水道水のような味気のない透明さに変わってしまった。
「海の波はいったいどこにいったんだろう」と困惑した。
その途方に暮れたような感じを、自分は今も引きずっているのかもしれない、と時々感じることがある。
センス・オブ・ワンダーに溢れた『椿の海の記』
このブログで、先日亡くなった作家、石牟礼道子さんについて2度ほど紹介した。子どもの心で世界を見る感性:石牟礼道子さんの『あやとりの記』
「自分はダメな人間だ」と感じる時に:石牟礼道子さんと親鸞
石牟礼さんは、世間的には、水俣病について書いた『苦海浄土』が有名だ。そして、『苦海浄土』はとてつもない深みをもった作品だと、自分も思っている。
ただ、今の自分には、まだ『苦海浄土』については書けそうにないので、もう少し個人的な話から、石牟礼さんの紹介をしてみたいと思う。
彼女の作品を初めて読んだのは、大学時代。文庫本の『苦海浄土』だった。
「重苦しくて、読むのが大変だなあ」。当時の自分には、それが正直な感想で、その後も、しばらく彼女の作品に触れる機会はなかった。
しかし、それから東日本大震災などを経て、「将来は地方の自然豊かな地域に移住するのもいいな」と考えるようになった自分は、農業の勉強などにも手を付けるようになった。
その時、「たしか、石牟礼道子という作家が、"自然との共生”みたいなことを書いていたな」と、ある日、本屋で彼女の本を探してみた。
それで手に取ったのが、文庫本の『椿の海の記』だった。
『椿の海の記』は、彼女の3〜4歳のころの、物心がついた時に見えた熊本の漁村の話を思い出しながら書いたものだ。
「山の神さま」について話す老婆や、古い伝統を保つ農村の文化、村の中ではびこる差別や貧困。読んでいて、「日本も80年くらい前までは、こんな状態だったのか」と驚くことも多い。
ただ、この本の最大の特徴は、物心ついたばかりの少女が、世界というものに感じた不思議、「センス・オブ・ワンダー」が描かれていることだと思う。
僕が石牟礼さんの作品に心惹かれるようになったのは、『椿の海の記』第一章の、こんな部分を読んだからだった。
みっちん(幼少期の石牟礼さんの愛称)は父親におんぶされて、磯の道を進んでいる。ふと、みっちんは父に問いかける。
「ここば、ずうっとゆけば、どこさねゆくと?」
「勝崎ヶ鼻たい」
「そこからまたずうっとゆけば、どこにゆくと?」
みっちんは「そこから先は、そこから先は?」と質問を繰り返していく。
父はとうとう「お日様のゆく先だ」と答えるが、みっちんは、この世界の果てがいったいどこなのか、問い詰めて問い詰めても分からず、ふと怖くなる。
みっちんは、さらに、
「一、二、三、四、五、とかぞえてゆけば先はどこまであると?」
と問う。
「百、千、万ちあると」
「万の次はなん?」
「億ちゅうと」
「オクの次は?」
「兆」
「ちょう?ちょうの次は?」
「うーん」
「いつおしまいになっと?」
「しまいにゃならんと」
世界も、どこまで行っても果てしがない。数字というものも、どこまで行っても終わりがない。
「数というものは無限にあって、ごはんを食べる間も、寝ている間もどんどんふえて、喧嘩が済んでも、雨が降っても雪が降っても、祭りがなくなっても、じぶんが死んでも、ずうとおしまいになるということはないのではあるまいか。数というものは、人間の数より星の数よりどんどんどんどん増えて、死ぬということはないのではあるまいか。稚ない娘はふいにベソをかく。数というものは、自分のうしろから無限にくっついてくる、バケモノではあるまいか」
石牟礼さんは、このはるかな感じを、このように書いている。
宇宙の広さと円周率に感じる無限
この下りを読んだ時、「この感覚、分かる」と思った。この世界の不思議に触れると、ふと、頭がクラクラするような感覚を覚えることがある。
例えば、この地球を取り巻く宇宙。現在、分かっているだけでも半径460億光年以上で、さらに今も膨張を続けているという。
小学生の時、「光は1秒間に地球を7周半する」と聞いて、「そんなスピードで駆け回ったら、自分の見えている世界は、めちゃめちゃになるんじゃないか」とふと、不安になった。
さらにその後で、宇宙の大きさを聞いた後は、しばらく、星空を見上げて、吐き出しそうな、地面にひっくり返りそうな気分を味わった。
宇宙のような、物質に関わる話だけではない。
中学校で、初めて円周率を教わった時も、同じような感じがした。
現在の学校教育では円周率は「3」だと教えるらしいが、僕の時代は「3.14」だった。
僕のクラスを教えてくれていた数学教師は、円周率を使った円の面積の計算方法を説明してくれた後、ニヤリとながら「円周率には、まだまだ先があって・・・」と、(うろ覚えだが)200ケタくらいまでの数字が書かれたプリントを配ってくれたのだった。
その果てしない数字の群れの、その先にも、さらに円周率は果てしなく続き、終わりがないという。
その授業の後で、教科書に描かれた円を見ると、無限の四次元ポケットを隠した怪物のように見えたのを覚えている。
紙に書かれた円は、その教科書を燃やしてしまえば消え失せる。なのに、そのはかない紙の上の造形物は、無限のを含んでいるという。
そう考えた時、一種の不気味さと、恍惚感を覚えたのだった。
「この世界とは、違う世界がある」という感覚
もしかしたら、子どもの時にこんな数字の不思議さを感じていた人の一部は、仮想通貨や金融工学の開発に関わっているのかもしれない。また、ギリシャの哲学者、アリストテレスによると、哲学は「驚き」から始まるという。
なので、「そんな風にものごとを不思議がって、なんのメリットがあるんですか?」と問いかけられると、うまく答えられない。
(「こんな、なんの社会批判も含んでいないし、実利的なメリットもないブログ記事を書くのに時間を使って・・・」と他人から非難されても、やっぱりうまく答えられそうにない)
ただ、なんとなく自分の感覚としてあるのは、「僕たちが当たり前だと感じている世界のすぐ隣には、常に違う世界が広がっている」ということだ。
何かそれは、自分の中で、「たとえ今は悪いことがあっても、それを宇宙とか、原子とかのレベルで見てみると、どう世界は映るのか」と問いかけてみること。
それが、現実を少し良い方向に変えることにつながることもあるのでは、という気がする。ある意味、ちょっとした希望にもつながっている気がするのだ。
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