【今週の感謝】震災に寄せて:自分がまだ何かをできる可能性を与えられていること

2018年3月11日日曜日

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昨年5月に行った宮城県の南三陸町

今日、午後2時46分を迎えたのは、渋谷から新宿へ向かうJRの中だった。

まわりには休日気分でおしゃれをした若い女子高生が多く乗っていて、いつもの通り、休日特有の楽しくリラックスした雰囲気が漂っていた。

そんな中、時計が、7年前の東日本大震災の発生時刻を差した時をみはからって、しばらく黙祷した。

自分がまだ生きていて、この人生の中で何かをできる可能性を与えられていることに、改めて深く感謝した。


と同時に、「日本では、東日本大震災は一大事だったけれど、世界を見れば、東日本大震災と同様の惨事があちこちで起きているんだな」とふっと思った。

米国では近年、ハリケーンで大きな被害が出ている。2004年のインドネシアのスマトラ沖大地震や、2008年の中国の四川地震もある。

自然災害ではないが、人災としては、シリア内戦はいまだに終結していない。

今年2月に発生した台湾の花蓮における地震も、規模は小さかったものの、同じように心・物理面で傷を負った人がいるのだろう。

黙祷をしながら、そうしたさまざまな地域の人々のことも思い浮かべた。

(東日本大震災時に大きな支援をしてくれた恩返しも込めて、先日、台湾の被災地にわずかばかりだが寄付を送った)


今日はその後、東中野にあるミニシアター「ポレポレ東中野」で、『願いと揺らぎ』という映画を見た。

これは、宮城県の南三陸町の波伝谷(はでんや)地区において、伝統行事「獅子舞」の復興に向けた地域の人々の営みを描いたドキュメンタリーだ。

昨年5月、友人たちとともに南三陸町を訪れたことがあるため、縁を感じ、見に行こうと思った。

この映画では、震災後のさまざまな苦労や、地域の人々の間での意見の相違がリアルに描かれ、多くのことを考えさせられた。それは後ほどまた書きたい。

3月5〜11日

Kinkosのお兄さんの笑顔


基本的に、本は電車の中で読むほうだ。だから、重たい本はなるべく持ち歩きたくない。

どんなにいい本でも、本の物理的サイズが大きいと、億劫な気持ちになり、その本から遠ざかってしまう。


先日亡くなった作家・石牟礼道子さんについて、このブログで何度か書いたが、彼女の代表作『苦海浄土』は3部作だ。

河出書房新社の『世界文学全集』から、3部作すべて収められている本が出版されており、自分も持っているが、なにせ780ページもの分量。

2年ほど前に一度、読み通したが、それ以来、持ち運ぶのが億劫になって、再読できていなかった。

けれども、石牟礼さんが亡くなったこともあり、改めて「読み返さなければ」という意識が自分の中で高まっている。

それで思い切って、昨日、渋谷の「Kinkos」に持ち込み、分割裁断してもらった。


注文してから1時間半ほどして、裁断された本を受け取りにいった。

受付をしていた店員の男性は、かなり無愛想な感じの人で、ちょっと気後れした。

しかし、きれいに製本された『苦海浄土』を渡されて、彼に対し、思わず「きれいに裁断してくれて、ありがとうございます」と言ってしまった。

すると、その男性の無愛想な表情が少し解けた。彼は、少し照れたようにはみかみながら、「いや、こちらこそありがとうございます」と言った。

その照れた表情を見て、少し気持ちが通い合った気がして、改めて嬉しくなった。

そんな気持ちにさせてくれた彼に感謝すると同時に、本を大切に読もうと思った。


英会話カフェ

昨日・今日と、渋谷にある「英会話カフェ」に行った。

英会話カフェとは、一定の料金を払ってその場にいる外国人スタッフと自由に英会話できるというもので、時々、利用している。

(ちなみに、僕の行っている英会話カフェは、1時間1000円だ。)

ここで、昨日はニュージーランド人の男性の方とおしゃべりした。

彼は釣りが趣味らしく、ニュージーランドの魚の話を色々と教えてくれた。

(なんでも、ニュージーランドには「カワイ」という魚がいるらしい。「日本語の”かわいい”みたいだよね」と彼は冗談を言った)

正直、釣りにあまり興味があるわけではないのだが、「この人は、自分とは全然ちがう世界から来たんだな」と、ふとワクワクした。

自分がもともと外国語に興味を持ったきっかけは、外国人の方が端的に「この世界には、自分の知らないものがある」ということを感じさせてくれるからだ。

そんな初心を思い出させてくれた彼に、改めて感謝したい。



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