生きていて幸せだと感じる瞬間の一つに、「ひとの温かさを感じる」ということがあると思います。
困っている時に、単なる義理や義務を越えて誰かが差し伸べてくれた手や、自分が誰かの力になれて「ありがとう」と感謝された時など。
それ以外の場合もあると思いますが、こういう瞬間って、実際に体験できる時はあまりないような気がします。
疑似家族を扱うマンガ
こういう温かさを感じさせてくれるもので、個人的によく読むのが”疑似家族”を扱ったマンガです。「疑似家族」とは、血がつながっている訳でも、恋愛関係でもないけど、一緒に生活をしている(あるいは生活に近い位置で関わっている)人達の関係です。
この分野で一番有名なのは、羽海野チカさんの『3月のライオン』だろうと思います。マンガではさまざまなキャンペーンが行われ、アニメや映画化もされました。
『3月のライオン』1巻より。本当に食べ物の話が多い・・・ |
『3月のライオン』は、事故で家族を亡くした桐山零(きりやま・れい)が、孤独な日々を送っていたところ、ある偶然から、東京の下町に住む川本家の三姉妹に助けられ、彼女たちと交流を深めていくというもの。
川本家も、母が病気で亡くなり、父が女をつくって出て行き、おじいちゃんと三姉妹で肩を寄せ合って暮らしています。
そうした中で、例えば次女のひなたが中学校で陰湿なイジメを受けるといった問題が起こりますが、この解決に桐山君が尽力したりする中で、互いの交流を深めていきます。
こうした、互いの思いやりを表現する上で重要な役割を果たしているのが、一緒に食卓を囲んだり、買い物を手伝ったりするシーン。
こうした生活の場面を共有することで、桐山君は彼女達の心に触れていきます。
桐山君は、三姉妹の中でも特にひなたと親交を深め、あるきっかけがあって、まだ付き合ってもいないのに「僕はひなたさんとの結婚を考えています」と話す場面があります。
恋愛を飛び越えて、最初から「家族になろう」とするところが、本当に象徴的だな、と思いました。
疑似家族ものでも、「両親の再婚などの事情で義兄妹になった男女が、恋に落ちる」というパターンは、昔も今も色々あると思います。
(例えば、少年マガジンで連載中の『ドメスティックな彼女』。無料マンガアプリ「マンガボックス」で読めるので、たまに読んでいます)
ただ、この場合は、恋愛ドラマを盛り上げる小道具として疑似家族的な環境をつくっているだけなので、
周りの家族などは、主役の男女の恋愛劇を引き立てる“周辺環境”に過ぎず、その人間性がちゃんと描かれていない場合が多いようにと思います。
(これはこれで別の観点で面白いので、作品自体が駄目だとか、そういう訳ではまったくありませんが)
本当の家族とは異なるあたたかさ?
『3月のライオン』はまた別途書きたいと思ってるんですが、こういった疑似家族もののマンガで、今回紹介したいのが、浅野りん『であいもん』です。(こちらで、いくつかの話が無料で読めます)
個人的に、たまたま本屋で平積みにされていて買ってみたところ、何とも暖かく、幸せな気持ちになり、かなりハマってしまいました。。
粗筋としては、こんな感じ。
主人公の納野和(いりの・なごむ)は、京都の出身で、20歳で東京に出てから10年間、バンド活動に打ち込んでましたが、実家の和菓子屋「緑松」(りょくしょう)で父が入院したと聞いて、実家に帰って、和菓子屋を継ぐ決意をします。
ところが、帰ってみると、そこには10歳くらいの小さな女の子、雪平一果(ゆきひら・いつか)がいて、和のお父さんは「この子を後継ぎにするつもりや」と言います。
(和のお母さんは、「この人(父)が勝手にゆうてるだけや」と、しかめっ面をしますが)
この一果という子は、両親が離婚し、彼女を引き取った父もある日出て行って、天涯孤独になったところを、縁があって「緑松」に引き取られたのでした。
こうした経験から、一果は、「役に立つ人間にならないと、また自分は捨てられてしまう」という恐れを抱えています。そのため、お店の手伝いなどは一生懸命するけれども、どこか他人との壁を作ってしまいます。
そんな彼女の様子を見ていて、お母さんは「あの子も融通きかんとこあってな。人に頼ることに慣れてないゆうか、うちらの手をわずらわせとうないゆうて、何でも一人で片づけたがるんや」と心配します。
そして、和に「あの子の親代わりになったれへん?遠慮の枠から外れたあんたやったら、あの子も素直になるかも」と頼みます。
こんなわけで、このマンガは、この一果と、和の二人の関係を中心に展開していきます。
はじめは和を「自分勝手な人」と思っていた一果が、和の優しさに触れ、徐々に心を開いていくところが、このマンガの見せ所です。
具体的にどんな感じなのかは、ぜひこちらから見て頂ければと思います。
(1~2話と、最近の話が無料で読めます)
この、和というのが、また、ヌケていて仕事では失敗も多いけれど、優しく気も利いて、
実にいいキャラをしていて、しっかり者の一果とよいコンビとなっています。
血のつながった家族と疑似家族の、相補的な関係
こういう話を読んでいて、「温かさ」という感情って、多分、「ちょっとしたお節介」やその類の気遣いから生まれるものなのだと思います。「やってくれて当たり前」(「お金払ったんだから、そのくらいのサービスしろよ」だとか「これくらいやるの、お前の義務だろ」といった感じ)のところからは、温かさの感情は生まれない。
『3月のライオン』や『であいもん』のような疑似家族のストーリーと言うのは、本当の家族のような扶養義務がないにも関わらず、お互いの深い思いやりで成り立つ関係です。そこで「温かさ」が生まれやすいし、逆に、そういう感情がなければ、すぐに関係が壊れてしまうような、脆さがあると思います。
もっとも、この『であいもん』というマンガが、ユニークなのは、多くの疑似家族ものが「現実の自分の家族と問題を抱えているから、疑似家族をつくる」場合が多いのに対して、主人公の和は、厳しいけれど息子のことをしっかり考えている両親がいることです。
両親、特に父は、30歳で戻ってきた息子に対して、一からお菓子作りを叩き込もうと厳しく指導します。
それは、一見、一果と和のように、優しさから成り立っている関係とは真逆のものに見えます。
実際、和も親との関係を面倒くさがる場面が何度も登場するし。
でもこれ、よく読むと、この実際の家族と、疑似家族の関係が、互いにとてもバランスよく機能しているんだな、と思います。
人間って、優しいだけでも成長しないし、厳しいだけでも辛い。その点で、厳しさを含む血のつながった家族と、優しさをベースとする疑似家族が、それぞれ相補的な関係として作用している。
(「緑松」の従業員に関しても、和のことを「坊っちゃん」と読んで、優しく面倒をみる人が多く、この「緑松」自体が、一種の疑似家族になっている様子も見てとれます)
疑似家族を扱っている話には、このほか、個人的に好きなマンガが色々あるので、今後、継続して掘り下げていきたいと思ってます。他のマンガの場合、親との関係に問題を抱えているものばかりなので(笑)、疑似家族の問題が別の角度から浮かび上がってくると思いますが。
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