渋谷の街中で、ふと咲いていた花 |
「すべてのルールは、失望から生まれるものだと思う」
8月12日。お盆を迎えた渋谷は、普段より人がまばらだった。
抜けるような夏空の下、駅から10分ほど歩いて、辿り着いた地下のカフェ。
そこで発された彼の言葉は、いつもの気忙しさから解放されたこの街にふさわしい、繊細な深みがあるように感じられた。
渋谷の落ち着いたカフェ
渋谷にカフェ「Mame-Hico」がオープンしたのは、2005年のこと。こだわりのコーヒーやパンのほか、演劇、音楽会、ラジオ、出版とさまざまな活動を行うユニークさに惹かれた人たちが来るようになり、今は、渋谷と三軒茶屋に合計4店舗を展開している。
友人がこのカフェで働いており、最近、週末などに訪ねるようになった。
木作りの落ち着いた空間で、集中して読書するのにもってこいなのだ。
(実際、カフェ内で仕事や勉強をしている人は、とても多い)
店長の井川啓央氏は、もともとテレビディレクターだったという。
カフェを始めた背景について、ホームページには
「本当にいい食材を使った、居心地のいい空間をつくりたい」
といった思いがつづられている。
(人間が物事をやる動機は複雑なものなので、こうした言葉の背景には、人生のもっと複雑な物語があるのだろうけど)
土曜のトークイベント
「今度、井川さんのトークイベントがあるよ。すごく面白いから、ぜひ来て」。
友人からのそんな誘いを受け、12日土曜の朝、渋谷の宇田川にある店舗を訪れた。
10分ほど遅れて入った時は、20~30人くらいの客が、大きなテーブル席や4人掛けの席を埋めていた。
井川氏は、カフェの奥にある劇場の舞台のような場所(実際に劇もやるらしい)に置かれた椅子に座って、渋谷の再開発や日本政府の問題(特に最近の森友学園や加計学園の件)などについて話していた。
ルールとは「あなたが信用できない」ということ
「こうしたいい加減な話は、政治のことだけでなく、ごく身近にあると思う」井川氏は、そう言いつつ、話題を、彼のカフェのスタッフ間で起きたトラブルに移した。
そして、こんな言葉を漏らした。
「本来なら、ルールをなるべく作らず、(自分たちが共有する)哲学にのっとって問題を解決したい」。
もともと、井川氏がこのカフェをつくった背景には、
「今の社会はあまりにもルールで縛られている。
せめて、カフェの中くらい、ルールに縛られない空間をつくりたい」
という思いもあったという。
井川氏は、
「本来、人間は信頼しあっていれば、暗黙の了解で一緒に仕事ができる」
と指摘しつつ、
「ルールというのは、(相手のことが信用できないという)失望から生まれるもの」
「ルールで細かく縛ろうとするほど、社会全体に失望が蔓延していく」
と語った。
「クリエイティブ」と、ただの「わがまま」
ところが、カフェを経営してみて気付いたのは、ルールが必要な場面もあるということだという。以前、「ルールに縛られず、自由にやりたい」と井川氏が外で話したところ、ある若者がスタッフに応募してきた。
彼は、朝も遅刻してきたり、やってほしい仕事をやらず、自分がやりたい仕事だけに熱中したという。
こうしたスタッフと一緒にやることは、当然、他のスタッフの不満もたまる。カフェとして仕掛けていきたいこともできなくなる。
「ルールに縛られず、自由にやる」ということは、うまくやれば、「クリエイティブ」に物事の価値を高めることにつながる。
でも、それと「ただのわがまま」の区別はとても難しい。
(それにしても、隣でスタッフも働いている中で、スタッフの問題をよく話せるもんだ、と聞きながらハラハラした)
人間的な交流
こんな話を聞きながら、「あうんの呼吸」という言葉を思い出した。
互いをよく知っている人の間では、わざわざ細かいルールを決めなくっても、「こうした方が、うまく連携できる」という意識が働く。
この方が仕事も効率的にできるし、「お互いを信頼しあっている」という感覚があるため、幸福感も高いのではないか、と思う。
こうした「ルールに縛られない関係」の重要性は、スタッフ同士だけでなく、店員と客の関係にも当てはまる。
例えば、店員が誤ったオーダーの飲み物を持ってきたとする。
「オーダーを間違える」ということは、ルールを破ることだ。
でも、そこで客が「作り直しをしろ」「弁償だ!」と言って店員を責めるのではなく、「まあいいよ。コーヒーが紅茶になっても、そんな大差はないし」くらいで対応してあげる。
すると、店員もその人に感謝の念を抱き、次にその客が来た時、つい笑顔になる。
それがきっかけで、仲良くなるということもあるだろう。
(実際、そんな事例を見聞きしたことがある)
ルールがなければ、社会も職場も、うまく回らない部分も多いだろう。
実際、僕も、生活や仕事の上で、ルールがなくては困る場面が多い。
だが、恐らく目指すべき方向は、一緒に何かをやる人と、ルールではなく、互いの信頼の下に何かを融通無碍に創造していくような関係になることではないかと思う。
(何となく、マンガ『スラムダンク』の一番最後の試合で、流川が桜木花道にパスを出した時のようなイメージ。笑)
井川氏が指摘した「ルールがもたらす失望感」は、目に見えず、気付かない間にじわじわと心を侵食してくるものだ。
僕たちは、自分でも気付かない間に、失望でくたびれていることがあるのではないかと思う。
今回のテーマは、すぐに答えの出るような問題ではない。
でも、日常の中で、少しでも気付きを深めていければと思った。
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