先日、このブログで東日本大震災のことを書いたが、最近は毎晩、神社に立ち寄って、「今ここに自分の命があって、まだ何かをできる可能性を与えられていることに感謝します」と祈るのが日課になっている。
【今週の感謝】震災に寄せて:自分がまだ何かをできる可能性を与えられていること
昨晩も、旅行のお土産を抱えながらお祈りしていると、すうっと、自分の脳が違うモードに切り替わるのが感じられた。
5月3日から昨日まで熊本に滞在し、楽しいときを過ごした。
でも、いざ熊本空港に着いて、同じ飛行機に乗り込む家族や友だち連れ、カップルたちの姿を見ていると、「どうせオレなんか」という感情がこみ上げてきた。
熊本滞在中は、農村で暖かい人たちに囲まれて過ごした。その反動もあるのだろう。1人で来て、1人で帰るわが身に、わびしさを感じたのだ。
(もっとも、これは、結局、自分の根がネガティブなことに起因するのだろう。誰かと一緒に来たら来たで、きっと、1人旅行者の姿を見て「あー、気楽でいいなあ。オレも1人になりたい」などと思っただろうからだ)
羽田空港から自宅に帰る電車の中でも、ネガティブな気持ちは続いた。しかし、自宅が近づいてきたとき、「あ、そう言えば、旅行中、お祈りの習慣をすっかり忘れていたな」と気付いた。それで、夜中で疲れていたけど、「神社に行かなければ」と思ったのだ。
自分の命がまだあることへの感謝。
これを毎日、再確認することで、自分はネガティブな思考モードからだいぶ免れることができている。
シェイクスピアの『ハムレット』に、「習慣という怪物は、どのような悪事にもたちまち人を無感覚にさせてしまうが、反面それは天使の役割もする」というセリフが出てくるが、改めて習慣の力を実感した。
4月30日〜5月6日
熊本・山都町に滞在して
「●●さん、田舎ならではの”国際交流”をしてみませんか?」
農家らしく健康的に日焼けした顔を少し崩して、彼はいたずらっぽく笑った。
このゴールデンウィークの後半は、熊本県の阿蘇近くにある山都町(やまとちょう)で、農作業のボランティアをした。
以前もこのブログで書いたが、2016年4月に発生した熊本震災の復興ボランテイアのつながりで、現在もこの町と個人的に関わりを続けている。
【今週の感謝】熊本・山都町の人と再会/他人と一緒においしいものを食べること
今回は、地元のお茶農家の御宅に滞在させて頂き、畑の草刈りや収穫作業の手伝いをさせて頂いた。
山都町は、日本の中でもとくに早い時期から有機農業に取り組んできたことで有名で、県外からの移住者も少なくない。そのため今回は、農作業ボランティアのかたわら、移住者の方々にもお話を伺った。
(ご調整頂いた移住促進担当の方にも、お休みのところをとても親切に対応して頂いた。改めて深く御礼申し上げたい)。
それは後日、改めて書きたいけれど、とりあえずここでは一つ、印象的だったことを書きたい。
山都町で働くベトナム人研修生の方々と交流
4日の晩のことだ。僕がお世話になっている農家の次男さん(僕より少し年下)に、彼の知り合いとのバーベキューに連れて行ってもらった。
この、知り合いの方の農園では、4人のベトナム人の研修生が働いている。一番上が26歳、一番下が20歳と、「男の子たち」と言いたくなるような、若い人たちだ。
彼らは、とってもお茶目で、かつ礼儀正しかった。
「●●サン、彼女イマスカ?」とふざけて尋ねてくるかと思ったら、焼きあがった肉を、自分が食べる前に必ず僕らに取り分けてくれる(年長者への敬意を示しているらしい)。
僕は、隣に座っていた一番若い男の子とよく喋った。彼は、「●●サン、仕事ナンデスカ?」と尋ねてきた。
「編集」「記事を書く」といった日本語は、きっと分からないだろう。そこで、自分がこれまで書いた記事をスマホで見せながら、「こんなのを書く仕事だよ」と答えた。
「イロンナ所を旅スル仕事デスカ?」と、好奇心を湛えた眼差しで、彼はさらに尋ねてきた。
その姿を見ていて、ふと、自分が10年ほど前に、ロシアに留学したときのことを思い出した。
日本に来る外国人の技能実習生については、「あっせん業者に騙された」「行った先でひどい扱いを受けた」など、とかく悪い話が絶えない。
先日は、事前説明を受けないまま福島第1原発の除染作業にあたらされていたベトナム人の方のことがニュースになったが、似たようなことは各地で起きているのだろう。
僕は現在、訪日外国人の方々に日本の情報を伝える仕事をしているが、ふだんからベトナムを含むさまざまな国の方にお世話になっているだけに、こうしたニュースを見るたびに心が痛んだ。
もちろん、この農園で働いている彼ら4人の研修生の男の子たちも、家族と離れて熊本に暮らしていることに、寂しさはあるだろう。
でも、こうしてバーベキューを囲みながら、一緒に楽しい時間を過ごせること。
そこには、この農園のご主人や周りの人たちの受け容れの努力もあっただろうし、それに応えようと懸命に働いてきた彼ら自身の努力もあるのだろう。
(僕が連れてきてくれた農家の次男さんも、今は彼らと友達のように付き合っているが、最初は多くの戸惑いがあったことを明かしてくれた)。
さまざまな人の努力や思いやりがあって、こうした暖かい場が可能となっている。そんなことを思って、深く感動した。
(ちなみに、この農園では、彼らベトナム人研修生を含めて北海道に社員旅行までしたという。バーベキュー中、「スキーのジャンプ台がすごかった」という話で盛り上がった)
この夜、山都町は秋の晩のように寒かった。昼の農作業の疲れもあって、すっかり眠くなってしまったところで、「明日も仕事があるし、帰りましょうか」となった。
すると、彼らは車のところまで見送りに来てくれ、すすっと近づいてくると、僕のポケットにデコポンを入れてくれた。「オミヤゲ」だという。
夜空を見上げると、たくさんの星が美しく瞬いていた。
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