今年の5月5日に撮影した通潤橋 |
「豪雨の影響で通潤橋(つうじゅんきょう)が崩落したと聞きましたが、皆さんはご無事ですか?」
5月8日の昼前ごろ、そんなメールを複数の知人に送った。
豪雨による観光名所への被害
熊本県の阿蘇山録に、山都町(やまとちょう)という人口1万5,000人程度の町がある。2016年の熊本震災の復興ボランティアの縁で、一昨年からこの町に関わるようになった。
その話をこのブログで何度か紹介したが、
【今週の感謝】熊本・山都町の人と再会/他人と一緒においしいものを食べること
【今週の感謝】熊本の山の中でベトナム人の方々とバーベキューして:山都町滞在記
そこから帰ってきて3日後の5月8日、フォローしている熊本日日新聞のFacebookを見ていて、「あっ」と驚いた。
山都町の観光名所である国指定重要文化財「通潤橋」の石垣が、豪雨により一部崩落したというニュースが出ていたのである。
熊本日日新聞:通潤橋、石垣の一部が崩落
熊本震災からの復興の途中での出来事
関東の人にはなじみがないかもしれないが、「通潤橋」とは、江戸時代末期に作られた巨大な石造りの橋である。中には水路が通り、離れた水源から水を汲み上げ橋近くの棚田に送水できる仕組みをもっている。
150年以上前とは思えないほど高度な技術で作られた歴史的な建造物であると同時に、滝のような豪快な放水が話題になり、かつては、連休になると車を停めるスペースもないほど観光客が訪れることもあったという。
2017年5月の通潤橋 |
それが、今年訪れたときは、すでにブルーシートもなくなり、試験的に少量の放水も行われていた。
「今年中には、本格的に放水も再開できるようになる」と言われていたので、「山都町の活性化もさらに弾みがつくだろう」と、僕もとても期待していた。
今回の石垣崩落は、そうした最中での出来事だった。
2017年に訪れた際の道の駅 |
農産品はもちろん、陶芸など地元のアーティストの作品も多く、「通潤橋は、この地に住む多様な人々の経済を支えているんだな」と実感した。
その分、復興が再び逆戻りしてしまった状況に、どれだけ多くの関係者が落胆しているか。想像に余りある。
熊本震災の報道が非常に少なくなった東京のメディア
先週末、大阪に住む友人が、下記のようなブログ記事をアップした。【フォトジャーナリスト・安田菜津紀さんに会ってきた】
この中の「目立つ情報だけが切り取られてしまうもどかしさ」という下りを読んでいて、改めて深く通潤橋のことを考えさせられた。
通潤橋の崩落に関しては、熊本日日新聞で報じられた以外は、僕の知る限り、ほとんどメディアでは出てきていない。
というか、最近、東京のメディアで、熊本震災の話自体が出てくる機会が非常に少ないと思う。関東にいると、あたかも「熊本震災はもう終わった出来事」のように感じられる。
(実際、僕も山都町に関わっていなければ、そう思っただろう)
ただ、地元に住んでいる人たちにとって、熊本震災はまったく終わっていないのだ。
想像力と“節度”を持つこと
昨年、下記のようなブログ記事を書いた。世界に問題が多すぎて、思考がマヒしてしまう時に
日本も海外も、世の中には問題が多すぎて、どれほど意識の高い人でもすべてに関心を持ち、関わることは不可能だ。
そういう意味で、ある程度の「無関心さ」は仕方ないことだと思う。
ただ、「自分の知らないところで、大変な思いをしている人がいること」に、心のどこかで、想像力と“節度”を持っていたいと思うのである。
僕自身、山都町に関わっているとはいっても、別に大したことをしているわけでもないし、これからもできることは限りがあるだろう。
ただ、自分なりにできることをしていきたいと思うし、山都町を通して世界に対する想像力を失わないようにしておきたいと思う。
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