『ちはやふる』:世界が、ふっと深く聞こえる瞬間

2017年10月5日木曜日

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今住んでいるシェアハウスの共有スペースに、マンガ『ちはやぶる』が置いてあったので、最近、仕事の合間の息抜きを兼ねて、たまに読んでいる。

このマンガ、映画になるなど人気があるのは知っていたけど、そもそも、競技かるたに興味がないこともあり(俳句や短歌は割と好きな方だが)、これまで手に取ってみようと思ったことはなかった。

たまたま目に届くところにあったので、何の気なしに読み始めたのだけど、その中で「ハッ」と感動したことがある。


スポ根マンガ

この『ちはやふる』とは、競技かるたで頂点を目指すヒロインを描くマンガだ。

競技かるたというのは、小倉百人一首のかるたの札を並べ、それを読み手が読むのに合わせて、速取りするというもの。
このマンガに描かれている、体力・知力を絞り出すような激しい競技の様子を見ると、ほとんどスポ根の世界である。

しかも「ちはやぶる」は高校が舞台になっているので、そこに部活運営や努力・友情・恋愛の話が絡んでくる。
なので、ますますスポ根マンガの世界だ。
(絵柄は少女マンガなのに。。)

僕は、スポ根マンガはそんなに好きではないクチである。
自分が運動がまるでダメで、部活などで自分なりに努力したけれど、勝負ごとでは中の下くらいにしかなれなかった悔しい思い出がある。

大体、スポーツ系のマンガは、ある程度才能のある人間が、努力して成長していくのを、隣で支えてくれる異性がいて、甘酸っぱい雰囲気になったりするものだが、自分にはそんな経験は皆無だった。。
そんな恨みもあるのだろうと思う。



同じ音でも、込める思いで響きが異なる

ただ、このマンガでは、単に競技の駆け引きや、努力・根性の話だけでなく、「音を聞く」ということについて、深く描いているのだ。


「「夕されば」と「由良の門を」。同じ「ゆ」でもキョコタンの中に広がる景色はちがう」

これは、登場人物の一人である、かるた王者の独白。
これを聞いた後、ヒロインのちはやが、街角で聞こえる音に耳を澄ませるというシーンが出てくる。

このシーンを読んだ時、この世界が広がる感覚に、最高にシビレてしまった。

そして、自分も、思わず、自分にいるシェアスペースに時折聞こえる車の響きやかすかな震動に、耳を傾けてしまった。




同じ音でも、そこに込められている意味や思いによって、わずかな揺らぎが生じる。
そして、こうした音を聞き分けられる人間の世界というのは、とても豊かになるのではないか、と思う。


僕は、子どもの時、コウモリになってみたいと思ったことがある。

コウモリは、人間が「超音波」と呼ぶ領域の音を聞き分けられるという。
そうした耳を持った時、この世界がまるで異なって感じられるのではないだろうか。

あるいは、昆虫の複眼。
昆虫の目で見る世界の景色は、人間とは全く異なるのだろう。


今の自分、もっと言えば人間が「常識的に」感じている世界は、世界の全てではない。

もちろん、人間として生まれたので、少なくともこの人としての生涯の間は、コウモリだったり昆虫になれる訳ではない。
ただ、何かを深め、感覚を研ぎ澄ますことで見えてくる世界がある。

これは、競技かるたでなくても、恐らく仕事や趣味全般に言えることだと思う。

自分が今やっていることも、深めれば深めるほど、次々と新しい発見があり、自分の世界観を塗り変えていってくれるのだろう。

こうした世界に触れられる人間は、感動の多い人生になるのではないか。
それを幸せと言ってもいいのかもしれないと思ったりするのだ。

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