2019年の大晦日の朝は、8時ごろに目が覚めた。
年末の仕事や、忘年会の疲れを引きずったまま、布団の中でしばらくゴロゴロとマンガを読んだ後、「いよっと」と起き上がった。
そして溜まっていたMessengerやメールを返していき、それが終わった後は、母に電話してお喋りした。
それから朝食を食べ、一息つくと、「さてやるか!」
年末の、大掃除に取り掛かった。
大掃除といっても、今年4月に入居したばかりのアパートなので、大した汚れがあるわけではない。
ただ、普段は掃除しない本棚の隅や、冷蔵庫の上には、ホコリが溜まっている。
整理がつかないまま、うっちゃっていたチラシ類もある。
You Tubeでユーミン(松任谷由実)の曲を流しながら、そんなところを1つ1つ雑片付けていく。
そんな中、ふと、子ども時代のことを思い出した。
掃除という行為に感じる不思議
僕は小中高と、千葉県で過ごした。
小学校では、朝の清掃の時間にいつも「魔女の宅急便」のテーマが流れていて、それを聴きながら担当の場所に行ったものだ。
僕は、掃除の時間が好きだった。
気になる女の子とお喋りするきっかけになったし、汚れていた床や壁がきれいになっていく様を見るのは、爽快感があったからだ。
同時に、掃除をするたびに、不思議だったことがある。
学校では、テスト勉強でもなんでも、基本的に、一度やったことには区切りがつく。
がんばって準備を進めてきた文化祭も終わるし、苦しい思いをしながらやってきた部活も、試合で負ければ終わる。
そして、次の段階へと進んでいくものだ。
なのに、掃除というのは、1回やっても、またしばらく経つと汚れてしまう。いつまでたっても終わりがないのである。
自然界の現象の、区切りのつかなさ。終わりのなさ。
このことに、この世界の不思議さを感じて、どこか哲学的な思いに誘われたものだった。
前進することと、繰り返すこと
大学生のときに読んでいた社会学者・見田宗介さん(ペンネーム・真木悠介)の著書・『時間の比較社会学』に、「冷たい社会」「熱い社会」という言葉が出て来る。「冷たい社会」とは、自然の循環の中にあって、ただ繰り返すことの大切さを重視する社会。原始的で、自然と共生する社会のあり方だ。
一方で、「熱い社会」は、発展とか進歩を重視する近代的な社会のことだ。
現代の資本主義社会の中では、常に前進し、成長することを求められる。
成長を目指すこと。発展すること。それは、もちろん、大切なことだろう。
ただ、生物的な次元、あるいは非人間的な次元では、僕たちは、「繰り返し」の時間にも属している。
そして、そういった世界には、ある種の安心感や、やすらぎ、死を受け止める度量のようなものがあるかもしれない。
きっと、人間の幸せも、ただ前進・発展・成長を目指すだけにあるのではない。
むしろ、「進歩すること」と「繰り返すこと」の間、あわいのような場所にあるのではないか。
そんなことを考えながら掃除をしていると、You Tubeのユーミンの歌が終わっていた。
レコメンドで出てきた次のトラックをかけると、ミスチル(Mr.Children)の曲がかかった。
「果てしない闇の向こうに、手を伸ばそう! Oh, Oh, Tomorrow never knows!」
ボーカルの桜井さんの声を聴きながら、「なんかお腹へってきたな〜」と思い、年越し用に買ってきたウドンを、昼間っから食べてしまったのは、大晦日のご愛嬌である。
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