35歳のバースデーに溝に落っこちた話

2019年12月22日日曜日

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「誕生日」をどう迎えるかは、人によって違うだろう。

友だちとパーティーをする、家族や恋人と祝う、いつも通り仕事する・・・。いろんな過ごし方がある。


正直いうと、自分は30歳を過ぎてから、「誕生日さん、もう来てくれなくてもいいよ」とゴマをスリスリしたい気分でいる。

1年に1度のその日、カレンダーを見ると、「また歳とっちゃったな」と老いを感じて、げんなりするからだ。


自分を産んでくれた両親に感謝するほど人間はできていないし、「オレはまだ若いぞ」と言い立てたい傲慢さもある。

でも、「そろそろね・・・」と、自分の今を、冷めた目でみたりもする。

30代というのは、そんな宙ぶらりんな感情を持て余している時期かもしれない。

そんな自分だが、今週迎えた35歳の誕生日は、ある出来事から、思い出深いものとなった。

夜に星空を見上げながら


香川に来てから、夜は空を見上げながら歩くことが多い。

僕が住んでいるのは田舎なので、夜は闇が濃い。そうなると、「すてきな星空に遭えるんじゃないか」と、ワクワクするからだ。


35歳の誕生日も、そんな感じだった。

このところ仕事が忙しいので、オフィスから帰った後も家で仕事をしていることが多い。

ただ、そんな日を続けていると、くさくさしてくるので、なるべく散歩したりランニングしたり、体を動かすよう心がけている。


その日もそうだった。

自転車でよく通っているお気に入りの田舎道で、できるだけ暗い方を選びながら、時折、空を見上げる。

その日は曇りだったが、どこかで雲が切れて月が出ないか、期待をしていた。

ゆっくり走っていると、だんだん身体の血液が熱くなってくるのを感じて、気分がよくなってきた。


「ドン!」

ウキウキ気分の中で、突如、天地がひっくり返った。と思ったら、深い溝に落っこちていた。

メガネがどこかに飛んでいってしまい、まっくらで、状況が把握できなかったが、とにかく、体が泥だらけになっているのがわかった。

頭にも、違和感があった。少し触ってみると、血が流れているのを感じた。ぱくっと、割れているみたいだった。


ただ、不思議なことに、状況が飲み込めるにつれて、心はむしろ、仕事時で焦っているときよりも、はるかに落ち着いてきた。

「ああ、いずれ起こるべきことが、いま起こったんだ」

溝から夜空を見上げながら、そんな感興が湧いてきたのだった。



「まずはメガネ探そう」

暗い夜道の溝の中で、裸眼の視力0.1では、ほとんど見えない。スマホは家に置いてきたままだったので、溝の中を照らすこともできない。

「でも、そんなに遠くには飛んでいってないはずだ」

手探りで泥の中をさぐった。20分ほどして、ようやく見つかった。泥だらけで、フレームも曲がっているようだったので、そのままかけることはできなかったが、安堵した。


そこは、自宅から2〜3キロほど離れていた。

「頭を打った後、気分が悪くなったらヤバイ」

子どもの時、学校で習ったそんな話が記憶に蘇ってきた。

なので、なるべく頭を揺らさないよう、ゆっくりゆっくり歩いていった


平常時なら、「早く帰らなきゃ」と焦る気持ちがあるだろう。

「でも、今は、どれだけ時間がかかっても、頭を揺らさないよう、またコケたりしないようにするほうがが大切だ」

そう思いながら、一歩一歩、ひとあしひとあし。闇の中を、たしかに踏み出していった。


1時間くらいかかっただろうか。その時間、心は静かで、溶けるような夜の闇と一つになったようだった。


家に着くと、とりあえず止血し、きれいなバンダナを包帯替わりに巻いた。

しばらくしたら血が止まったので、仕事上の急ぎのものだけ片付けて、できるだけ傷口に触れないようにしながら、早めに寝た。

(朝起きたら、布団にも血がついていたが)

頭を数針分、縫って


「なんでいつも自分ばっかり!」

子どものとき、そんなことを感じていた時期があった。

みんながやりたくない学級委員を押し付けられ、えらい苦労をしたり。

ちょっとした勘違いから、自分だけ修学旅行で迷子になったり。

そんなことで、他人に比べて自分ばっかり不幸だと感じたものだ。


ただ、歳をとるにつれて分かったのは、誰でも人生にはそれなりに苦労しているということだ。

そして、不幸は、いつ誰の身に降りかかるか分からない。

だから、不幸をいたずらに嘆く必要はないし、不幸がやってきたら、その時に対応すればいい。それが生きることだ。

そんな了解がなんとなくできてきたのは、「年の功」というやつかもしれない。



誕生日の翌日は、東京出張だったので、けっきょく、新宿の医者に見てもらった。

「これは、縫わなければだめですね」

初老のお医者さんは、すぐに麻酔をして、縫ってくれた。

頭を縫われるのは初めての経験だったので、気持ち悪さとともに、どこか「こりゃ、いいネタかもしれない」という商売根性も湧いてきた。

「香川に帰った後も、なるべく早めに病院に行ってくださいね。招待状も書いておきましたんで」

何もかもテキパキした彼の手つきで、ものの30分で治療は終わってしまった。


終わった後、すぐ近くの花園神社を参拝した。

本殿でお参りした後、おみくじを引いたら「中吉」だった。

願い事などは我慢しなければいけないみたいだが、「まあ、来年に向けた厄落としを今のうちにできたのかな」と感じた。


今回はとりあえず大ごとにならず済みそうだが、当たりどころが悪ければ、命も危なかったかもしれない。

そう考えても、自分はいろんな偶然の上に今、とりあえず「無事」でいられるんだな、と思う。


その日の夜18時、東京駅で岡山行きの新幹線に乗った。

窓ガラスの向こうの闇に、山が浮かび上がるのを見ながら、

「そうして自分は、たまたま生き残った」

夏目漱石のなにかのエッセイで読んだ一節が、心に浮かんできた。


30代半ばになって、なにかと疲れやすくなっているのを感じる。

でも、自分はまだ、何かをするための時間を、与えられているのだと思う。


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