インドの思い出

2018年11月18日日曜日

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年末はインドに

今年の年末は、インドに行こうと思っている。

インドは、これまで旅した国の中で、もっとも「多様性」という言葉を感じさせる国だった。

ターバン姿のシク教徒やヒジャブを着たムスリムの女性たちといった、さまざまな人々があるく街の通り。

エリートサラリーマンが歩くビル街の近くにあるスラムといった、巨大な経済格差・・・。

こうした、清濁を併せ持つエネルギーに、改めて触れてみたいと思ったのだ。

インドで何をするかは、まだ決めていない。とりあえずデリー行きの格安航空券を手配しただけだ。

ただ、1冊、現地で買ってみたい本がある。それは、前回のインド旅行の思い出にまつわるものだ。

通訳ガイドさんの贈り物


前回インドを訪れたのは、2010年春のこと。大学院の修士課程が終わり、4月からは新社会人としての生活が待っている時だった。

「学生生活の最後に、普段と違うことがしてみたい」。

そんな思いから、HISが実施しているツアーパッケージに申し込んだのだった。

この時は、約10日間をかけて、デリーとコルカタ、バラナシを回った。

デリーではシク教徒の方のお宅にホームステイし、コルカタでは、マザー・テレサが建てた「死を待つ人の家」でボランティアワークをした。

そんな僕たちの旅行を案内してくれたのは、インド人の通訳ガイドだった。

名前ははっきり覚えていないが、40過ぎの痩身、メガネにあごヒゲ姿の、優しそうなおじさんだった。

この旅行の主目的は、マザー・テレサの施設でのボランティアだった。そのため、参加者には、医療に携わっている人が多かった。

ただ、僕はどちらかというと文化・芸術に興味があった。だから、観光地を訪れるたびに、インド文化について、彼にさまざまな質問を投げかけたのだった。


旅行中は、インドの詩人であるラビンドラナート・タゴールに関する施設(たしか、コルカタにあるタゴールの生家)にも立ち寄った。

タゴールは、アジア人で初めてのノーベル賞受賞者(文学賞・1913年)として有名だ。ガンジーの盟友で、日本の岡倉天心とも深い交流があった。

日本でも詩や短編の翻訳がいくつか出ているので、僕も読んだことがあった。

そんなわけで、タゴールの生家に訪れた際も、通訳ガイドさんを質問攻めにしたのだった。

ただ、団体旅行を引率する通訳ガイドは、楽な仕事ではない。

スケジュール管理や交通手段の調整といった通常業務のほかにも、参加者の健康問題といったトラブルへの対処も必要だ。

さらに、個別の客に特別な配慮すると、サービスの公平性に関する問題も起きる。

なので、この時も彼は、僕の質問に適当に答えながら、先へ歩いていった。

僕も、その辺の事情は当然、意識していた。ただ、なにせ「自分に注目してほしい」という欲求が強い時分のことだ。内心、ちょっと不満も感じていた。


その数日後、博物館での見学が終わって、参加者が集合するのを待っていた時のことである。

「●●さん、ちょっといいですか」と彼から手招きされた。

「誰かが迷子になっているとか、なにか問題でもあったのかな?」と多少心配になった。

ところが、少し脇に寄ってから、彼が差し出したのは、分厚いペーパーバックの本だった。

緑色のカバーに、(日本人的には)少しダサくて子どもっぽいイラストが描かれている。
タゴールの詩・短編小説のアンソロジーだった。

タゴールの生家を訪れた時、僕が「英語の勉強もかねて、タゴールの本を買いたい」と言っていたのを、覚えてくれていたのだろう。

ちょっと驚いたが、嬉しかった。

「ありがとうございます! いくらでしたか?」

ところが、財布を取り出そうとする僕をとどめて、

「お金は要りません、これは、●●さんへの個人的なプレゼントですから」

そう言うと、彼はニッと笑った。

僕が戸惑いながら受け取ると、彼は「タゴール以外にも、インドにはたくさんの素晴らしい詩人がいます。よければ、ぜひ探してみてくださいね」と言った。


等価交換的な関係からはみ出す


残念なことに、社会人になって実家を出た後、そのタゴールの本は、親に捨てられてしまった。

たしか、インド旅行の次の年のことだったと思う。実家の大掃除の際、「哲学の本とかはもう要らないだろうから、捨ててもいい?」と親から電話がかかってきたのだ。

その時、僕は仕事で疲れて、鬱っぽくなっていた。色々なことが考えるのが面倒になっていたので、「いいよ」と言ってしまったのだが、その中にタゴールの本も入っていたのだ。

(この時、ニーチェやハイデガー、レヴィナスといった、大学時代に熱心に読んでいた哲学書もすべて捨てられてしまった。これは本当に悔やまれることだなあ、と今でも思う)


そのため、その本は手元にないのだが、通訳ガイドさんのことを思い出すと、今も心が暖かくなるのである。

消費者は、お金を払ってツアーに参加する。サービス提供者は、それと応分の仕事をする。

こうしたビジネス関係がしっかりしていないと、世の中は成り立たないだろう。

ただ、ほんの少し、その「等価交換」的な関係からはみ出して、誰かのために何かをすること。

「個人的なプレゼントです」。

彼がこのように言ったとき、インドという国が、単に面白いだけではなく、人間的な親しみをもった場所に変わったように感じられたのだった。

年末、インドに行く時には、とりあえず本屋に寄って、タゴールの本を探して見ようと思っている。

まったく同じ本はもう売っていないだろうけど、なるべく、ダサいデザインのやつを選ぼうと考えている。











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