今週は風邪を引いて、身体の調子が良くなかった。
いや、風邪自体は大したことがないが、どちらかというと、溜まっていた頭の疲れが出たのだろう。脳に血の塊が詰まっているような、鈍い発熱状態が続いていた。
そんなわけで、昨日の土曜日も、ご飯を食べに軽く外出したりしたほかは、基本的に家で寝ていた。
ただ、今日の午後になって、ようやく体調がだいぶ回復した。そうなると、「こうしちゃいられない」という気分になって、仕事の資料を持って外に出た。
隣駅まで続く道を歩いていると、紅く染まりだした木々を太陽が暖かく照らし出していた。
やることは色々と終わっていないし、自分の状況が客観的に好転したわけでもない。
でも、秋の日の暖かさをしみじみと感じたその瞬間、ふと幸せを感じたのだった。
iPS細胞によるパーキンソン病の治療
昨日、重い頭を抱えてぼんやり新聞を読んでいると、ある記事に目が止まった。京都大学が9日(金)、iPS細胞から育てた神経細胞をパーキンソン病患者に移植する手術を行ったことを発表したという。
京都大学は、2012年にノーベル賞を受賞した山中伸弥教授が所長を務めるiPS細胞研究所がある。ノーベル賞の受賞当時はまだ研究開発の段階だったが、着実に実用化が進んでいるようだ。
もっとも、個人的に驚いたのは、脳に直接、細胞を注射で流し込むというその手術方法だ。
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パーキンソン病とは、脳の障害のために物体に震えが起きたりする病気。特に高齢になると発症しやすい。発症の原因の一つは、運動調節に関連する役割を果たしているホルモンの一つ、ドーパミンが不足するためだという。
そのため、今回はまず、あらかじめ備蓄しておいたiPS細胞から、ドーパミンをつくる神経細胞を作成。それから患者の頭蓋骨に穴をあけ、特殊な注射針で脳の左側に移植したという。移植された神経細胞は、約240万個に及ぶ。
実際の手術は先月実施されたらしいが、今のところ、異常は見られないという。半年後も異常がない場合は、さらに脳の右側にも240万個の神経細胞を移植するということだ。
脳に細胞を移植することへの期待と不安
パーキンソン病を実際に患っている方、あるいは身近にパーキンソン病を患っている方がいらっしゃる方にとって、今回の京都大学の取り組みは、大きな朗報だろう。ただ、脳の痛みに悩まされることが多い自分にとって、「脳に細胞を移植する」というこの記事を読んでいて、矛盾する2つの感情が沸き起こった。
「すぐに頭痛になるこの脳も、ある種の神経細胞を流し込めば、改善されるのではないか」
という期待と、
「そんな風に脳を弄ったら、自分が自分でなくなるのではないか」
という不安である。
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養老孟司氏が以前、皮肉を込めて「現代は脳化社会だ」と書いていたけれど、確かに現代は基本的に脳によって人の有り様が決まる部分があると思う。
「優れた脳の使い方をできる人が、良いビジネスパーソンになれる」というだけではない。
例えば、文章を書くのが得意だとか、組織運営に興味があるだとか、手作業が好きとかいった向き不向き。
あるいは、誠実さとか、茶目っ気とか、落ち着きといった性格。
これらは結局、そういった傾向を助長する脳のホルモンがたくさん出ているか、といったことで決まるのだと思う。つまり、脳の傾向が「個性」「私らしさ」を形づくる要素となっているということだ。
ただ、脳に細胞を移植できるようになるということは、今後、医学的措置によって「クリエイティブな発想」を司る脳細胞を増やしたり、「株式相場の流れを読む」脳細胞を増やしたりといったことが可能になるかもしれない。
また、ビジネスシーンではポジティブ・シンキングの大切さが説かれることが多いが、「ポジティブ・シンキングを促すホルモンを生み出す脳細胞」を移植する手術も、今後、あるだろう。
脳の手術によって、人間の力を拡張でき、現代社会が求める能力・性格の人間を作れるようになる。国の経済発展に役立つ優秀なビジネスパーソンが増えるといった観点で、これは役に立つかもしれない。
ただ、他方で、個人の生き方が見えづらくなってしまう側面があるだろうと思う。
「できないこと」の意味
自分を振り返ると、「できないこと」が、自分の生き方を考える上で大きな影響を及ぼしてきたように思う。僕が学生だった頃、ビジネス雑誌を読んでいると、「バイタリティあふれた中国のエリートビジネスパーソンに日本人は負けている。このままではマズイ」と言った趣旨の記事がけっこう多く出ていた。
(2000年代後半の、ちょうど中国が日本を抜かして世界第2位の経済大国になろうという時期だ)
ただ、社会人になって働く中で、自分の身体がそれほど頑丈ではないことを痛感するにつれ、「この世界で自分に与えられた役割は、中国のエリートビジネスパーソンと張り合い、打ち負かすことではないのだろう」と感じるようになった。
なので、今は、自分の限られた力を、別の方向に使いたいと思っている。
もちろん、「身体がもっと頑丈になれば」という思いは消えないが、自分の生き方がなんとなく見えて、精神的に少し安心したのも確かだ。
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ただ、今後は、望めば、こうした「できないこと」も、医学的に克服できてしまうかもしれない。
また、(今まで批判めいたことを書いていてなんだが)、こうした医療技術の発展自体は否定されるものではないと思う。
パーキンソン病を含め、身近に難しい病を患う人がいたら、やはり、自分もそうした技術を頼りたくなるだろうからだ。
科学によって、できることが増える中で、何を受け入れて、何を使わないのかを自分の意志で決めていくこと。
英国の作家オルダス・ハクスリーのSF小説『素晴らしき新世界』の末尾近くに、主人公が「僕は、不幸になる権利を望む」と語るシーンがある。
今後は、こういう問題提起に関して、一人ひとりが答えを出して行く必要があるんだろうなーと、iPS細胞の話を読みながら、改めて考えたのだった。
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